2018.07.19

【スタッフコラム】シネマと生き物たち byミ・ナミ

ヨルゴス・ランティモス監督 『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』

全く知らない映画でも、タイトルに惹かれて観たくなるというのは誰しも経験することです。私の場合は、やはり動物の名前が題名に入っている作品は素通りできません。もちろん、そうして選んだ映画に必ずしも生き物が登場するわけではなく、空振りも多々あります。当館でも上映していた『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』(2017/アイルランド・イギリス)は、てっきり鹿映画だと思ったのですが、最後まで鹿は出てきませんでした。にもかかわらず、鹿の象徴性がふんだんに織りこまれた作品だったのです。

調べてみると、鹿映画というのは案外多くみつかります。鹿映画の王道、ディズニーアニメ『バンビ』(1942/アメリカ)。幻の鹿をめぐってバラバラになった家族の再生物語『ディアーディアー』(2015/日本)。不器用な男女が同じ鹿の夢を見たことで少しずつ関係が近づいていく『心と体と』(2017/ハンガリー)。また『新感染 ファイナル・エクスプレス』(2016/韓国)は、冒頭での鹿のゾンビ化がその後の恐怖を予感させる不穏な役割を果たしています。こうした映画に登場する鹿たちには、実は共通点があります。神様の乗り物と言い伝えられる鹿は、しばしば聖なる伝説や民間信仰で語られており、そうしたイメージが映画の中でも表れているのです。

『聖なる鹿殺し~』は、鹿が登場しないながらも、映画における鹿の本質をよく映し出しています。主人公の医師は、医療事故で死なせてしまった患者の息子からかけられた“呪い”を解くため、身を切られんばかりの選択をします。この物語の背景には、「神様の鹿に矢を放った上に自身の腕前を吹聴したある英雄が、その代償として娘を断頭台に差し出した」というギリシャ神話があります。本作の鹿が象徴するのは、絶対に侵してはならない禁忌。これに手をかけた者は大きな犠牲を払わなければならないのです。

ヨルゴス・ランティモス監督の多いとは言えないフィルモグラフィ―には、動物にまつわるタイトルか、あるいは展開に重要なキーとして動物が登場する作品がいくつかあります。「犬歯」という原題の『籠の中の乙女』。パートナーのいない独身者は生き物に姿を変えられてしまうディストピアを描いた『ロブスター』。映画における表象は、人間の文化の営みの発露です。そういう意味で、ヨルゴス・ランティモス監督は、「人の心の奥底にいる動物」というものを表現しているのかもしれません。

(ミ・ナミ)