2016.08.18

【スタッフコラム】二十四節気・七十二候とボク by上田

二十四節気:立秋(りっしゅう)、末候:蒙霧升降(ふかききりまとう)

季節について話していると、体感的な季節と暦の上での季節ついて違和感をつぶやくのをよく聞きます。夏至や冬至は日の長さで決められていますが、二十四節気では夏至と冬至を中心にその中間である春分と秋分、さらにその中間に立春・立夏・立秋・立冬があります。九月末頃に暑さが緩んできますから、体感的に秋を感じるのは秋分頃ということになるでしょうか、夏至から秋分までを体感的な夏の気候とすると、その真ん中に位置するのが立秋ということになります。ここから、少しずつ暑さの種類が変わって、だんだんと風が涼しくなり、虫たちの鳴き声の変化にも気づくでしょう。秋のイメージとはまだ異なりますが、立秋を境に暑中見舞いは残暑見舞いにかわりますし、少しずつ秋の兆しを感じて、「ピークは過ぎましたね」というのがちょうどいい頃合いなのでしょう。

大気が冷やされて空気中の水分が漏れ出てしまうのが霧の発生の主な原因ですが、ここに起こる現象はとても美しいものです。日本では、夏に列島を湿らせる海洋性の高気圧と、乾いた大陸性の高気圧が入れ替わり、大気が安定して風の乱れも少なくなります。晴れた日には、地表から放出された熱が宇宙へと放射され、夜間に地表は冷えていきます。そうすると、明け方には冷やされた空気が霧を発生させ周囲を包み込むのです。霧が面白いのは、発生する原因が山や盆地、川や海など、空気を暖めたり冷やしたりする地理的な条件や、気流の環境などによって様々だということです。最近早稲田松竹で上映した『アクトレス ~女たちの舞台~』などでは霧のシーンがとても印象的に描かれていましたが、映画の舞台となる地理的な条件が、物語と密接に関わり合うときには、歴史的な背景や政治状況の隠喩と見ることもできるでしょう。その情報量や詩情豊かさに、多くの映画が助けられていると思います。霧で注目して映画を
観た時、画面的な演出効果以上の意味を探ってみるのも面白いかもしれませんね。

ホロコーストを扱った『夜と霧』のタイトルは、ヒトラーが1941年12月に出した政治犯を収監するために出した総統命令から引用して名づけられたそうですが、ヒトラーもまたワーグナーのオペラ『ニーベルングの指環』「夜と霧・・・たちまち誰も、いなくなる!」という呪文を唱えるシーンから引用したと言われています。ワーグナーはこの歌劇を完成した後、ロンドンのテムズ川から、労働者たちの街を見て「霧の都(ニーベルハイム)、世界支配、労働と勤勉、いたるところ重くたれ込めたスモッグ」と感想をもらしたそうですが、歴史を暗く覆うここでの霧のイメージは、どれも恐ろしく見えますね。

(上田)