2020.11.05

【スタッフコラム】ごくごく私的偏愛女優たち(最終回) by甘利類

その44 最終回 小嶺麗奈と『水の中の八月』

石井聰亙(現・岳龍)監督は、『狂い咲きサンダーロード』(80)や『爆裂都市 BURST CITY』(82)などのパンクな作品で熱狂的なファンを持っています。しかし『エンジェル・ダスト』(94)に始まる内省的でミステリアスな90年代の作品群は何故かあまり顧みられません。『水の中の八月』は、一連のオウム事件や神戸の大震災が起こった95年に石井監督が発表した、終末観と救済への祈りを感じる作品です。

物語はある夏に福岡の高校生 桑島真魚が、転校生の少女 葉月泉と出会うところから始まります。二人はすぐに惹かれあいますが、同時期に記録的な大渇水が起こり、人々が石と化していく奇病が蔓延し始めます。高飛び込みの選手だった泉も体調を崩し、大会で起こした事故によって昏睡状態に。付き添い続けた真魚の祈りが通じたのか泉は奇跡的に生還しますが、自分の細胞が地球の鼓動と同化したような、新鮮な感覚にとらわれるようになったといいます。それからほどなくして渇水と奇病が深刻になった頃、真魚は泉からある衝撃的な告白を聞かされるのですが…。

泉を演じる小嶺麗奈は、一歩間違えると絵空事になってしまいそうなアニミスティックな物語に大いなる説得力を与えています。特に臨死体験のあと人間離れした存在に変わっていく表情には、遥かな大地と溶け合うような芯の強さと水のように澄み切った透明感が同居しています。ただそこにいるだけで、日常の喧騒を消してしまうような神秘的な佇まい。デビュー作ということもあって演技は決してうまくないのですが、その訥々としたセリフ回しすら、彼女をさらに霊的で神聖な存在に高めていると思います(この口調で勧誘されたら、変な宗教でも入ってしまいかねません…)。彼女の呼吸と一体となったように静謐な音響と映像の関係もスリリングで美しい。石井監督の代表作として挙げられることは少ないかもしれませんが、個人的には90年代邦画の最高傑作のひとつだと思います。未見の方は、続いて石井監督が小嶺麗奈主演で発表したこちらも傑作『ユメノ銀河』(97)と併せて是非ご覧いただきたいと思います。『ユメノ銀河』の彼女もまた、モノクロ画面の中で観る者全員の瞳を吸い込んでしまうような、瑞々しさを湛えています。

突然ですが、甘利は11月で早稲田松竹を退社することになりましたので、今回が最後のコラムとなります。昔も今もこんなことばかり考えていたので約3年半、特にネタに困らず、毎月楽しく書くことが出来ました。これからも出来る限り女優のことだけ考えながら日々過ごしていきたいと思います。いままで読んでいただいたみなさん、ありがとうございました。

(甘利類)