2024.09.05

【スタッフコラム】シネマと生き物たち byミ・ナミ

今年6月、ひとつのニュースが生き物偏愛界隈をざわつかせました。アメリカ・カリフォルニア州で行方不明になっていたロバが、野生のヘラジカ(アカシカという報道もあり)の群れで暮らす様子が撮影されたのです。ロバの名前はディーゼル。飼い主だったドリューリーさんによれば、ディーゼルは2019年、一緒にハイキングをしている最中何かに驚いて逃げ出してしまったのだそうです。ディーゼルはもともと、数を減らす目的で一斉捕獲した公有地の野生馬やロバを、市民が受け入れる連邦土地管理局によるプログラムを通じてドリューリーさんのもとへやってきたので、自然環境へは簡単に順応できたのではないかと推測されています。愛ロバの無事を確認したドリューリーさんは胸をなでおろす一方、ディーゼルの捕獲は望みませんでした。「寂しいけれど、彼は真の野生のロバになった。元気で最高の生き方をしている」と笑顔を見せたそうです。

逃げてしまったロバがひょんなことから発見される-こんなニュースに「バルタザール…!」と思った方も多かったのではないでしょうか。ディーゼルの来し方は、ロベール・ブレッソン監督のロバ映画『バルタザールどこへ行く』を思い出させるのです。

舞台はフランス・ピレネーの小さな村。教師の娘マリーは、幼馴染のジャックと共に、生まれたばかりのロバに“バルタザール”と名づけ可愛がっています。ところがある日ジャックが引っ越してしまうと、バルタザールもどこかへ姿を消してしまうのでした。10年後、鍛冶屋でこき使われ苦しんでいたバルタザールは、図らずもジャック家の農園に逃げ込みます。そこには美しく成長したマリーがいて、彼女は喜び心から慈しむのでした。マリーに恋する不良少年、ジェラールはそれが面白くありません。嫉妬のあまりバルタザールを痛めつけ、さらにはマリーから奪い取り自分の仕事に手荒く使うようになります。人間たちに翻弄され、バルタザールの流転は続いていくのでした。

馬とともにウマ属に分類され、しかし馬とは種が異なるロバは、小型であることやウサギのように長い耳のせいか、どちらかといえば愛らしいキャラクターのような生き物と捉えられているように思います。一方でたとえば新約聖書「マルコの福音書11章」には、イエスがエルサレム入城の時に子ロバに乗って来られたことが書かれています。再会に喜ぶマリーが花の冠をバルタザールにかぶせて愛おしむ様子はとびきり可愛らしいですが、そう言われてみると二人には宗教画のような厳粛さも漂うのです。

人間の愚かしさを作品のエッセンスとしている本作で、バルタザールは業を引き受けるように悲壮な最期を遂げます。バルタザールの痛ましさには生き物偏愛家として心を痛めざるを得ないのですが、ブレッソン監督は物語の発端としてロバの頭の造形の美しさを挙げているように、バルタザールには馬の気高さとはまた違う素朴さの中の崇高なオーラを感じさせます。映画史に残る名作『バルタザールどこへ行く』は、やはりロバがいてこその傑作だと言えるのではないでしょうか。

(ミ・ナミ)

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