ミ・ナミ
ロベール・ブレッソンの映画哲学とは、カメラこそ創造の道具であり、そこにシナリオやセリフがあっても、映画づくりの基本は映像による記録を意味するシネマトグラフにあるということ、また、演じる者を見せかけること(俳優)と在ること(モデル)に分け、後者を自身の映画の不可欠な要素とみなしてきました。そのような徹底された美意識により、作品で厳しく妥協のない人物を描いてきたのです。今週の早稲田松竹は、筋立てはむごい悲劇でありながら観るごとにスクリーンへと引き込まれてしまう彼の代表作『少女ムシェット』『バルタザールどこへ行く』の二本立てです。
ロベール・ブレッソンの即興の演出は、俳優を使わないことについて、傲慢だという批判もされました。しかし、「私はこう答えてやりました。『俳優を使わないことを楽しんでいるとでもお思いか?』それは楽しくないどころか、恐るべき仕事でもあるのです。それに、私はまだ六、七本しか映画を作れていません。こんな手詰まりで、失業者のような状態でいることが楽しいとでも?面白くも何ともありませんよ!」(*1)と自嘲したように、哲学をつらぬくがゆえの苦悩もあったようです。こうしたエピソードは興味深い一方で、彼のシネアストとしての矜持に、こちらも襟を正すような心持ちにさせられます。
ブレッソンは、映画は見世物ではないとしました。また演じる側が物真似になると自分自身を投げ出してしまい、映像は空っぽになってしまうとし、「己のうちに閉じこもること、私に何も与えないこと」で、ブレッソン自身がその隠されたものをとらえにいくのだと語りました。たしかに『少女ムシェット』のムシェットも『バルタザールどこへ行く』のマリーも(そしてロバのバルタザールも)、何かの容れ物のようにして佇んでいます。しかし、その姿は無論棒立ちというのではなく、感情が抑制されているからこそ観客の心を打つという逆説的効果を上げているように感じます。ただそこに存在するものにこそ真実がある―ブレッソンの美学の源泉とは、こうしたところにあるのではないでしょうか。
(*1)ロベール・ブレッソン「彼自身によるロベール・ブレッソン」より抜粋
バルタザールどこへ行く
Au hasard Balthazar
■監督・脚本 ロベール・ブレッソン
■撮影 ギスラン・クロケ
■美術 ピエール・シャルボニエ
■編集 レーモン・ラミー
■音楽 シューベルト/ジャン・ヴィーネル
■出演 アンヌ・ヴィアゼムスキー/フランソワ・ラファルジュ/フィリップ・アスラン/ナタリー・ジョワイヨー/ヴァルター・グリーン/ジャン=クロード・ギルベール/ピエール・クロソフスキー/ロバのバルタザール
■1966年ヴェネチア国際映画祭審査員特別表彰
© 1966 Argos Films – Parc Films – Athos Films – Svensk Filmindustri
【2021年4月3日から4月9日まで上映】
少女マリーと聖なるロバが辿る無慈悲な運命。
小さな農村で、農園主のジャックと幼なじみのマリーは、生まれたばかりのロバに「バルタザール」と名づけて可愛がり、静かで幸福な日々を過ごす。年月が経ち、別の飼い主のもとで家畜としての生活を送っていたバルタザールはある日、運搬中の荷車が倒れたすきに逃げ出す。たどり着いたのは、幼年期に過ごした思い出の場所であるマリーの家だった。美しく成長したマリーと再会し、まるで愛し合う恋人たちのように慰め合う。だが運命は、バルタザールにもマリーにもあまりも過酷な試練を与えていく…。
巨匠ロベール・ブレッソンによる、映画史に輝く至高の傑作。
巨匠ロベール・ブレッソンが長年映画化を望み、12、3年間ほど構想にあったとされる本作は、聖なるロバ“バルタザール”をめぐる現代の寓話。ドストエフスキーの長編小説「白痴」の挿話から着想を受け、ロバが主人公という前代未聞の設定ながら、一匹のロバと、少女マリーとの数奇な運命を描きだす。
純粋さから悪の道へと堕ちていく少女マリーを演じるのは、当時17歳のアンヌ・ヴィアゼムスキー。その後『中国女』などゴダール作品に数々出演することになる彼女にとって、これが初の映画出演作となった。ブレッソンの意を汲み、完璧に抑制され尽くした映像は、『夜と霧』、『ロシュフォールの恋人たち』等で知られる名撮影監督ギスラン・クロケの手によるもの。
フランソワ・トリュフォーが「この映画は美しい。そう、私にとってはただ美しいのである。」(1970年5月2日発行「アートシアター76号」より)と述べているように、緊張感溢れる画面が、この崇高な悲劇を美しくも冷酷に映し出す。ヴェネチア国際映画祭審査員特別表彰をはじめ数々の映画賞を受賞し、いまも多くの映画人を魅了しつづける、映画史に残る最高傑作。
少女ムシェット
Mouchette
■監督・脚本 ロベール・ブレッソン
■原作 ジョルジュ・ベルナノス「新ムシェット物語」
■撮影 ギスラン・クロケ
■美術 ピエール・ギュフロワ
■編集 レーモン・ラミー
■音楽 クラウディオ・モンテヴェルディ/ ジャン・ヴィーネル
■出演 ナディーヌ・ノルティエ/ジャン=クロード・ギルベール/マリー・カルディナル/ポール・エベール/ジャン・ヴィムネ/マリー・ジュジーニ
© 1967 Argos Films – Parc Films
【2021年4月3日から4月9日まで上映】
孤独で、惨めで、あまりに哀れな少女の受難劇。
重病に苦しむ母と、酒に溺れ暴力を振るう父。自分が面倒を見るしかない赤ん坊を抱え、14歳のムシェットは、貧しい生活のなか、ひたすら孤独な日々を過ごしていた。これといって友達もおらず、生徒たちへ泥をぶつけて嫌がらせをすることでしかコミュニケーションが取れないでいる。居場所のないムシェットはある日、下校途中に森の中に逃げ込むが、突然の嵐で道に迷ってしまい…。
多くの映画監督たちを魅了した、ブレッソンの問題作にして伝説の一作。
ロベール・ブレッソンが傑作『バルタザールどこへ行く』の直後に手がけた本作は、またも一人の少女の悲運な運命をまざまざと描きだす。原作はカトリックの作家ジョルジュ・ベルナノスの小説(ブレッソンは1950年にもベルナノス原作の「田舎司祭の日記」を映画化している)。これ以上ない厳格なフレーミングと、俳優たちの演技を最小限に抑制することにより、原作にあった冷酷さを忠実に映像化。怖いほどのリアルさを帯びて、大きな感動を呼び覚ました。
常に孤独な魂を映し続けてきたブレッソン映画のなかでもとりわけ苛烈な問題作である本作で、強情で忍耐強い少女ムシェットを演じたのは、この映画のために抜擢されたナディーヌ・ノルティエ。彼女の悲惨さが極まるそのラストシーンは、ベルイマン、タルコフスキー、ジャームッシュら多くの映画監督をも魅了し、映画史に残る名場面として今も語り継がれる。