2019.08.22

【スタッフコラム】二十四節気・七十二候とボク by上田

二十四節気:処暑(しょしょ)初候:綿柎開(めんぷひらく・わたのはなしべひらく)

「処暑」とは厳しい暑さの頂点を越した時期のこと。お盆休みも終え、朝夕は少し涼しくなってきましたが、疲れがでてきやすい時期ですね。まだまだ気が抜けません。8月の末から9月に入る頃に萼(がく)が開くという綿花ですが、あまり日常でみかけることはありませんね。それもそのはず、国産綿花は現在統計上では自給率は0%なんだとか。日本も1930年代や戦後には一時期世界一の輸出量を誇ったといいますから、綿花の栽培もさかんだったのでしょうが、今では個人やグループ単位でしか栽培されていないそうです。

元々暖かい地域での栽培が向いているためか、日本では綿花は室町時代から江戸時代にかけて普及し、庶民の生活を変えていったのは江戸時代になってからだといいます。(このあたりは『木綿以前の事』柳田國男、『新・木綿以前のこと―苧麻から木綿へ』永原慶二、という本に庶民の生活を激変した木綿の面白い話がまとめられているそうです)二十四節季七十二候が定められたのもこの頃なので、ある意味植物たちの中で新参者の綿花がここに姿を残しているのは、綿の実がはじけて萼が開いた姿がとてもインパクトがあったからではないかと予想します。世界中でも、「羊毛が生える木がある」「枝先に小さな子羊がなる素晴らしい木」などチャーミングな混乱を伝える著述が多く残されています。

綿は生活必需品ですから、世界史の中でも大きな役割をはたしてきました。イギリスでは産業革命の下、インドをプランテーション化し、その後の独立戦争を引き起こすきっかけになったり、アメリカでは黒人奴隷によって栽培され、南北戦争を引き起こしたりしています。そういえば「コットン・クラブ」というアメリカのハーレムにある有名なナイトクラブは舞台に立つのは黒人のみだったといいます。このネーミングも奴隷と綿花という当時の差別意識を反映したものなのでしょうね。

フランシス・フォード・コッポラによる同名映画『コットン・クラブ』(1984)ではこのナイトクラブを舞台に、禁酒法時代に暗躍したギャングや舞台で踊る黒人たちを描き、差別問題や、芸人同士の恋を描いた作品です。30年代に量産されたギャング映画へのオマージュやミュージカル、音楽映画への愛情がたっぷり感じられる作品です。当時のスターたちがこのナイトクラブへ足を運ぶ姿や登場人物が映画に出演するも描かれていて、当時の雰囲気がわかるという意味ではウディ・アレン監督の『カフェ・ソサエティ』などにもよく似ています。木綿の話は少しも出てきませんが、おすすめです。そういえば高田馬場にも「Cafe Cotton Club」というお店があります。その系列店の「もめん屋」もスタッフいきつけの良いお店ですよ!

(上田)