2017.12.07
【スタッフコラム】二十四節気・七十二候とボク by上田
二十四節気:大雪(たいせつ)、初候:閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)
12月に入りましたね。昨年は11月に雪が降りましたが、この冬東京では年内に雪は降らなそうだと予報で聞きました。閉塞成冬とは、いよいよ寒くなってきて、空が曇り、雪が降り出しそうな気配、生き物たちもぐっと息をひそめているような空気の頃を言います。「塞ぐ」と言うと、通路や出入り口を塞がれることや、先行きが見えない不安などのネガティブな意味で使われることが多いですが、本来は「守る」という意味があるそうです。寒さから人々を守るという意味で考えてみると、雪曇りの今にも落ちてきて私たちを覆ってしまいそうな重たい雲も、やさしく見えてきます。
私は今年の初めに青森県弘前市というところに行って映画の撮影をしていたので、雪景色というと青森を思い出します。福岡出身である私にとって、雪とは朝だけ校庭を覆い、昼過ぎにはびちゃびちゃになってしまっているようなもので、冬の寒い最中に湿った地面がとても冷たかったのを覚えています。しかし雪に覆われた弘前の町は(もちろん完全防寒をしたうえではありますが)不思議と暖かくて驚きました。理由は諸説あるようで、雪が放射冷却を防いだり、新雪だと雪面反射で暖かくなったり、地上の水量が多いと冷やすのに冷温が奪われるために、吹雪などでない限りなかなか0℃以下には下がらないのだとか。これも考えようによっては、雪が寒さを防いでくれているということですね。
「塞ぐ」ということでいうと、全国にある道祖神と呼ばれる路傍の神は「さへのかみ(塞の神)」と呼ばれることもあり、村や集落に外部からの侵入者が病などを持ち込んで入ってくるのを防いでおり、村の中心や境界に置くことで結界を作っているのだそうです。道祖神は旅の守り神としてもよく知られていて、松尾芭蕉の『おくのほそ道』にも登場します。「そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。」と、旅に出る前の心の落ち着かなさを表現しているのですが、侵入者を防ぎつつ旅人の守り神になる道祖神って、どういう神様なんでしょうね。あまりにも古く、地蔵などと混同してしまいがちで、祀っている神様の由来も諸説あるそうです。謎は多いそうですが、道祖神は古い民間信仰で、旅をせずに生涯を一つの村で終えることの多かった時代に作られたそうです。「塞いで守る」道祖神。これだけ開かれた現代ですから、今何を守ってくれているのか妙に気になってしまいます。
(上田)