2024.04.11
【スタッフコラム】わが職場の日常 by KANI-ZO
「13回目の春に」
桜も咲き新年度。私事ですが、早稲田松竹で働き始め、13回目の春を迎えました。先日、ここで働くことのきっかけとなった日本映画学校(現:日本映画大学)へと、フィルム映写機のメンテナンスに行く機会がありました。
3月某日、大雨が降る中、小田急線に乗って新百合ヶ丘に降り立ちました。母校を前に、私はやや緊張していました。16年前も同じように、大雨が降る中、入学式の為にここを訪れたのです。友達できるかな。どんな先生がいるのかな。どんな授業が待っているのかな。と様々な不安を抱え、傘をさして学校へと向かった記憶がよみがえります。
その日、学校は春休み。校舎に入ってみると、懐かしい風景が変わらずにありました。古いながらもお掃除が行き届いており、とても大切に使われているんだなと感じました。学校の映写機メンテの担当の方は、学生時代にお世話になった事務のお兄さん。事務と言っても、学生たちの撮影実習での道路使用許可や、撮影での困りごと、恋の相談など様々な面でサポートして頂きました。これまでたくさんの学生たちを見てきても、いまだに私や同級生の名前などしっかり憶えていてくれて、彼らの近況などの話題で盛り上がりました。
映写機のある大教室は校舎の最上階にあります。階段を上がりながら見えるゼミ室や、映画作りに必要なダビングルームやレコーディングスタジオ、映像編集の設備などの変わらない風景に、ノスタルジーが止まりません。
大教室では、一年生最初のカリキュラムだった「映画史」の授業で、小津安二郎や溝口健二、成瀬巳喜男などを観て、当時の佐藤忠男校長による解説や映画作りの心得などを学んだ場所です。授業で作った作品の上映も行い、先生たちに講評していただきました。皆、吐きそうになりながら講評を受けた場所でもあります。授業の合間や放課後に、好きな映画談議であっという間に仲良くなった友人たちと、同じ映画を観て語り合う贅沢な時間だったなと改めて感じます。
作業の昼休憩で外に出ると、懐かしい風景が今も残っていました。脚本を練るために徹夜したファミレス。お金のない学生達の憩いの場だったハンバーガーショップ…。ふと思い出した、定食屋「おいしん」は別のお店になっていました。おばちゃん達が元気に迎えてくれ、実家のような落ち着く場所。授業で来てくれた、山下敦弘監督との懇親会もここだったなぁ。「“おいしん”行こ!」と皆でワイワイ連れ立って行ったあの日々の記憶がよみがえります。
メンテナンス作業を終え、溜り場だった学校の屋上で、一息つこうとドアを開けるとすっかり雨は上がり、夕焼けが新百合ヶ丘の景色を照らしていました。今も変わらず、事務のお兄さんと学生が、冗談を交えながら明るく話す姿を帰り際に見ながら、新年度も頑張ろうと、母校を後にしたのでした。
(KANI-ZO)