2016.04.07

【スタッフコラム】ごくごく私的偏愛女優たち by甘利類

その1 ステファーヌ・オードランと『肉屋』

メランコリーを帯びた大きな瞳。何不自由ないブルジョワ婦人を演じているときでさえ、ステファーヌ・オードランがふと見せるまなざしは、人間のどうしようもない根源的な悲しみを見つめるかのような、美しくも悲しい諦念を湛えていた。

彼女の出演作で最も観られている作品は、ブニュエルの『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』(72)やアカデミー外国語映画賞受賞作『バベットの晩餐会』(87)、あるいはナチ運営の精神病院に潜入した女スパイを怪演したフラーの『最前線物語』(80)なのかもしれないが、彼女の唯一無二の魅力を最大限に引き出したのはやはりクロード・シャブロル監督によって撮られた一連のねじくれたスリラー群だろう。『悪意の眼』(62)『女鹿』(68)『不貞の女』(68)など、傑作揃いのなかでも『肉屋』(69)は特に鮮烈だ。

オードランはフランスの静かな田舎の小学校で校長を勤めるエレーヌを演じる。彼女はある日、肉屋を営む中年男性・ポポールと出会う。いつしか互いに惹かれあっていく二人。だが、過去の失恋の痛みを引きずるエレーヌは、ポポールのやさしさに素直に答えることができない。そして、明るく振舞うポポールもまた戦争で受けたトラウマを秘かに抱えていた。そんなある日、近隣地域で若い女性ばかり狙った連続殺人事件が発生。エレーヌも殺された女性の遺体を発見してしまうが、その傍らに彼女がポポールにプレゼントしたはずのライターを見つけたことから、エレーヌの心に彼への疑念がきざしだす・・・。

シンプルな物語なのに引きこまれてしまうのは、親密な愛情と恐怖に引き裂かれる孤独な中年女性の心の揺れ動きが、オードランの抑制の効いた演技から痛いほど伝わってくるからだ。映画は進むにつれ、スリラーというより成就することのない男女の悲痛でビザールなメロドラマへと昇華されていく。ラストシーンはこの上なくロマンチックでありながらあまりにも苦く、切ない。ここでのひとりで虚空を見つめるオードランの瞳の美しさを、僕は生涯忘れられないだろう。

(甘利類)