2016.06.09

【スタッフコラム】ごくごく私的偏愛女優たち by甘利類

その3 バーバラ・ローデンと「ワンダ」

群衆の中、思い詰めたような表情でこちらを見つめ返す女。『ゴダールの映画史』(88-98)でも引用された、この印象的なスチールは70年のアメリカ映画『ワンダ』のワンシーンだ。写っているのは本作の脚本家兼監督でもある主演女優のバーバラ・ローデン。巨匠エリア・カザンの妻であり、80年に48歳の若さでこの世を去ったこの女優が生涯唯一監督した長編映画、それが『ワンダ』である。日本では数回の特殊上映を除いて正式には劇場公開されず、ソフト化もされていない。しかし欧米ではフランスで自ら配給したイザベル・ユペールやマルグリット・デュラス、ジョン・ウォーターズなど、崇拝する人々が後を絶たない作品だ。

タイトルロールのワンダは夫と離婚調停中の中年女性。行きずりの男に捨てられ、さらには映画館で財布をスられた彼女は、無一文のまま立ち寄ったバーで出会った中年男性ノーマンに銀行強盗の共犯になることを、半ば強要されることになる。

16ミリフィルムで撮影された粒子の粗い画面やスカスカな音響は、カサヴェテス作品やロバート・フランクの写真作品とも通じる、打ち捨てられたような剥き出しのアメリカを立ち上がらせるが、本作をさらに特異にしているのは、ワンダの人物造形だ。状況に流されるだけのどんくさいそのキャラクターは、通常の劇映画でヒロインに託される理想的な美や力強さなどとは対極にある。しかし、だからこそ本作を激賞したマルグリット・デュラスの言うように「バーバラ・ローデンとワンダは、直接的に、決定的に一致している」ようにしか見えない。観客はドキュメンタリー以上に生々しく、バーバラ・ローデン=ワンダの目を通した残酷な世界の見え方を共有することになる。

誤解を恐れずに言えば、本作はものすごく「しょぼい」。ヒロイン像だけでなく、ワンダの待ち受ける運命もまた冗談じみているほどに無様で、カッコ悪い。だが、そのしょぼい悲劇を通して、人間(あるいは女性)の実存的悲しみをこれほど鋭く、そして繊細に掘り下げた映画は他にないように思う。それほど、本作のしょぼさは唯一無二で特別なのだ。ささやかな救いと、それでも癒されない孤独感を鮮烈に切り取ったラストシーンのストップモーションが、いつまでも忘れ難い余韻を残す。

(甘利類)

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