2016.09.22

【スタッフコラム】二十四節気・七十二候とボク by上田

二十四節気:秋分(しゅうぶん)、初候:雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)

「雷」は夏の代表的な季語として知られ、落雷、いかづち、雷光、神鳴、遠雷、晴れの日に起こる日雷(ひがみなり)など、その条件によってさまざまな呼称があります。しかし、不思議なことに同じ発光現象である「稲妻」は秋の季語として雷とは区別されています。雷は「音」、稲妻は「光」を表すということを言われますが、私がよく見ている『増殖する俳句歳時記』(※1)というサイトを見ると― 古人曰く「光あつて雷ならざるをいふなり」。すなわち、秋季に「音も交えず、雨も降らさず、夜空を鋭く駆ける」(角川歳時記)光りが「稲妻」だ。ちょっとした遠花火の趣きもある―とあります。音が聞こえないということですから、その光は頭上の閃光ではなく、遠く彼方の空に見るもの。しかもその稲光が遠くであるほど夜しか見えないので、嵐が多く、日が落ちるのが早くなり始めたこの頃にまさにうってつけの季語だと思います。

高峰秀子主演の成瀬巳喜男監督作品『稲妻』では、親子喧嘩の末のクライマックスシーンで空に光る一つの稲妻が印象的です。音がしていたかどうかは覚えていませんが、ちょうど夏から始まる物語でしたから、終盤の時期はぴったりでしょう。二人が和解へと向かうきっかけになるのがその稲妻なのですが、稲光一つで妙に納得してしまうのが不思議です。思い返すと、ここで舞台になっているあの二階の部屋の窓が、稲光が見えるほど遠くを見渡せる窓であったことがとても大切な仕掛けであったと思います。窓の外に高い建物がないことや、それが誰かの仲裁ではなく突発的に起こる自然現象を引きこむことのできる窓であったこと。元々親と住んでいた家は家々が密集している地区でしたから、あの(世田谷の)部屋を自分で選んだ主人公が引き込んだ偶然かもしれません。そんな素敵な窓は今も東京のどこかにあるかしらん。

(上田)

※1『増殖する俳句歳時記』(http://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/)詩人・清水哲男さん主催のインターネット歳時記。一日一句選ばれた俳句の評を掲載していたが、2016年8月8日を以て更新終了。多くの現代詩人・俳人が曜日毎に入れ替わりで評者を務め、一つの句の広がりを豊かに伝えてくれた。掲載した句は7.306件にも及び、句の季語や作者、評者別に検索できる機能もとても便利。ずっと見ていて飽きないサイトです。