2019.12.24

12/1(日) 今泉力哉監督トークショーレポ

去る12月1日(日)、『愛がなんだ』『さよならくちびる』のアンコール上映に合わせ、『愛がなんだ』今泉力哉監督によるトークショーが行われました! 笑いの絶えない和やかな雰囲気の中、映画の制作裏話をたっぷり語っていただきました。お客様からのご質問も沢山! その一部始終をお届けいたします。

司会:今泉監督は今までオリジナル脚本の作品が多かったと思うのですが、『愛がなんだ』は原作ものです。いつもと違ったことはありましたか?

お話をいただいたのは、2016年の秋口くらいでした。それから1年半くらい脚本家の澤井さんとあーだこーだ言いながら一緒にやっていました。元々、僕は小説とか漫画を本当に読まない人間というか、国語が一番苦手で(笑)。人生で読んだ小説が50冊もないくらいなので、映画化の話をいただいてから「愛がなんだ」を読みました。もちろん(原作者の)角田光代さんのことは知っていましたけど、読んだらめちゃくちゃ面白くて。自分はずっとちょっとダメな人たちとか、うまくいかない恋愛の話とか、群像劇みたいなのを作っていたので、この話が自分のところに来た意味も分かりましたし。

司会:原作者の角田光代さんとはこの映画について語られましたか?

角田さんは特殊な方といいますか。普通は脚本を作っていく過程とか、企画が立ち上がったタイミングで原作者さんと会うというやりとりがあるんですが、角田さんとは撮影時まで一度も会う機会を設けられませんでした。「これ大丈夫ですか?」「後で揉めたり、怒られるのは嫌ですよ」って言ってたんですけど(笑)。

角田さんはこういう映画化とか、原作が別媒体になるときにはお任せしているのが基本のスタイルらしくて。ご自分の作品が映画化されても観ないという噂を聞いて。「そこまでノータッチなの?!」と思っていたら、初号試写という完成したものをスタッフとかキャストが一緒に観る場に、角田さんと編集さんが現れて。「観るじゃん! 来たじゃん!」って(笑)。

作品は気に入っていただけました。「すごい面白いから、家に帰って自分の小説を読み返そうと思った」って。それで家に帰ったら、自分の部屋で『愛がなんだ』が見つからなくて、本屋さんに走ったっていう(笑)。そんないいエピソードある?!っていう(笑)。

司会:どこのシーンが好きとか、角田さんと具体的なお話はされたんですか?

角田さんと話したので面白かったのは、映画の前半でマモちゃんとテルコが居酒屋でいろいろ注文していて、テルコが焼酎のボトルを頼もうとしたときに「ボトルはパス」ってマモちゃんに断られるシーンがあるんですが。「あそこが本当に切なくて悲しくて、すごくいいシーンですね」って言われたんですけど、それ、原作にあるんですよ(笑)。「それ俺じゃないです。角田さん書いてますから」って(笑)。「でも映像になってみたらすごいあそこがぐっときて~」と言われました。

司会:映画オリジナルのシーンはありますか?

結構ありますね。例えば、旅行に4人で行くところ。あれは原作では3人で行くんです。ナカハラは行かない。そして映画では一泊ですが、原作は二泊三日くらいの予定で行くけど一泊で帰ってくる。確か、初日の時点でなにも盛り上がらず、上手くいかないまま、静かに帰ってくるという、何もない旅行なんですよね。だけど、映画ではもうちょっと山場っぽく脚色して、ナカハラを連れて行くっていう話にしました。夜にナカハラが、葉子について「サイテーな女じゃん」ってすみれさんから強く言われて揉める、あの辺は全部オリジナルです。そのあとの「よし、パスタ作る!」みたいなやり取りはちょっと自分が書きたくなったので、僕が書いてます。

パスタ作るとか意味わからないじゃないですか(笑)。理由もなにもないので。でも、だからこそ、ああいう台詞を書けた時は「あぁ、書けたな」って思います。自分の中では、あの緊張感の中でコミカルになる意識で書いたんですけど。妻に粗編(撮影した映像を大まかに編集したもの)を見せた時、「すみれさんのこういうところにマモちゃんは惹かれたりするんだね」みたいなことを言われました。その視点は俺には全くなくて、そういう風にも受け取れるのか~と思いましたね。そうやって、自分の意図を越えて感想が出るのが特に面白かったですね。

あとよく言われたのは、ラストのナカハラの写真展に葉子が現れるシーンです。ナカハラの方は自分で諦めたのに葉子が会いに来る。「ナカハラくん良かったね」「まだなんか希望ありそう」って思う人がいるだろうと。テルコの辛さを浮きたたせるためだけに描いたつもりだったんですが、お客さんによっては「せっかく離れることを決意したのに、なにをのこのこやって来て笑顔を振り撒いているんだ葉子!」「ナカハラ、さらに沼に落ちていく…」みたいな意見もあって(笑)。観方によってはすごくばらばらに分かれるんですよね。

司会:他にお客様の反応で「これ面白いな」と思ったものはありますか?

コンビニ前のナカハラとテルコのシーンはすごく評判良かったですね。ナカハラはテルコの鏡になる存在だから、影の主役みたいになっている。意識的には分かっていたけど、自分では客観的に観れてなかったので、あのシーンがそんなにいいんだっていうのは、公開してから分かった感じですね。

司会:俳優さんたちはみなさんキャラクターにはまっていたように思いますが、キャスティングは全て監督が決めたのですか?

プロデューサーと話し合って決めました。まず、テルコ役の岸井ゆきのさんが最初に決まりました。でもこの話って、テルコが27~8歳くらいの設定で書かれているからこそのイタさがあって、20代前半くらい若い設定だと普通にあり得る話になってしまうんです。だから、岸井さんは少し幼く見えるので、ちゃんと年上に見せられるのであれば岸井さんとやりたいです、という話をしました。役者さんとしてはすごく大好きだったので、ぜひ一緒にやりたいとお話ししたのが最初ですね。

司会:マモちゃん役の成田凌さんは、実は今泉監督とは以前からお付き合いがあるそうですが?

2015年くらいに映画学校とかで定期的に俳優ワークショップをやってまして。そこに成田さんが来てくださって。その時に初めてお会いしてから、飲み友達みたいになっていって。「一緒に仕事したいね」って言っているうちに成田さんがあれよあれよという間にすごい売れっ子になったんで。「これは、もうできないんじゃない?」とか冗談で言っていたんですけど。

初めて成田さんがこの脚本読んだ時の印象が、「これ面白いですか?」って(笑)。「これ別に普通じゃないですか」って言われて。このマモちゃんが普通って、だいぶやばいじゃないですか(笑)。これを普通という成田、大丈夫?!みたいな(笑)。

ご一緒するのは今回がはじめだったんですが、もちろん成田さんってすごくうまいし、色んな役ができるんですけど、同じ世代の俳優でこれが現場でできる人はいないなって思ったことが一つありまして。それは、危機察知能力が高いこと。「このシーンって一歩間違ったらめっちゃスベるかも」っていう判断能力がめちゃめちゃ高いです。

だから、ベッドシーンで、テルコに「好きになるようなところなんてないはずなのにね」って言われたときに、マモちゃんが「なんだとコラ」って言って足蹴っていちゃつくっていうシーンがあるんですが、この「なんだとコラ」ってリアルには言わないセリフじゃないですか。成田さんの方から「このセリフ、この前後のやりとり含め、棒読みっぽくやっていいですか?」って言われて。それ聞いたときに、あぁ、本当にそう、成田、わかってるわ、と思って。僕もあの脚本ではそこが危ないと思っていたので。これは一歩間違えると温度が変わっちゃうっていう判断能力はめちゃめちゃ高いです。これは結構、普通はできることではないですね。

司会:今回の当館の二本立ては、どちらにも成田さんが出演されています。監督は『さよならくちびる』はご覧になりましたか?

観ました。塩田さんの映画は『害虫』とか『どこまでもいこう』とかすごい大好きな映画がたくさんあって。『さよならくちびる』も、本当に面白かったですね。あのラストシーンが、賛否あったみたいで、蛇足だって言う人もいるんですけど。僕はもうさすがだなあ、と思いました。

これまで、映画とか物語とか、始まり方と終わり方が大事だと思っていて、めちゃくちゃ意識して作っていたんですけど。でも『アイネクライネナハトムジーク』とか『愛がなんだ』を公開した時に、「この映画がどう終わるのか、っていうのを気にしながら観る映画はたくさんあるけど、この映画の登場人物たちをもっと見ていたいから、まだ終わってほしくない」というお客さんの感想を読んで。終わり方って、ただ単にその一ヶ所でしかなくて、その前で終わるかもしれないし、その後にもう一つシーンがある可能性もあるけど、登場人物をきちんと描けていれば、ラストっていうのはただの一つのシーンでしかないんだなと。ある種続いていくというか。どういうラストにするかってことは、実は終わった後にもこのキャラクターたちの人生がまだ続きそうに見えるっていうことが大切なんだって考えるようになりました。そういう意味では『さよならくちびる』はまさにそういう終わり方でしたね。

人物を豊かに動かすエモーショナルなシーンが何ヶ所もあって。「あぁ、はやくそういうの撮れるようになりたい!」って思いました。「映画術」(「映画術 その演出はなぜ心をつかむのか」)という塩田さんの本があるんですが、めちゃくちゃ面白いんですよ。全七章あるんですが、第一章は「動線」。要するに映画とか演出っていうのは、人物をどう動かすかっていうことだと。僕は人を動かすことが一番苦手なんですよ。その辺はまだまだ課題だな~と思います。でもいっぽうで、自分の中では座って喋っていても、作れる感情はあると思っていて。もっともっといろんなことを学べられたらいいなと思っています。

司会:今泉監督の作品は日常を描くことが多くて、それが見どころだなと感じるのですが。日常の恋愛をずっと描いているのはなにかこだわりがあるのでしょうか?

そこに興味があるからですね。恋愛っていうより、やはり人間関係に興味があります。二人の人がいるときの想いの差とかに興味があって。もともと恋愛映画を撮り始めたのは、自分もモテなかったし、世の中のカップルに対する嫉妬からはじまっているんですけど(笑)。当時の僕のチラシのキャッチコピーに「世の中の付き合っているカップルの7割は片想いだ」という謎のコピーがあるんですけど(笑)。要はどれだけ付き合っていても、どっちかが誰かを好きで、どっちかが想われているっていう関係性だということです。だから五分五分で同じく想い合っているっていうのは夫婦でもカップルでも無いと思っているんです。その想いの差を表現するために、浮気とか不倫とか、二股・三股みたいな話をよく作っていて。それでバレると揉めるみたいなコメディーシーンになる、みたいなものを初期にはやっていたんですが。浮気したのがバレて揉めるなんてベタじゃないですか。余命ものみたいな。死んだら泣くみたいな。それもつまらないな~と感じて興味がなくなってきて。二股とか浮気をしていて、それを知っているけどもう怒りもしない関係になっているとか、どんどん恋愛の温度を下げる方に興味を持つようになりました。

それからずっと温度の低いものを作り続けていますけど、今回『愛がなんだ』は原作があったので、テルコに関しては熱量がすごい高いじゃないですか。こういう、相手を間違いなくずっと好きでいる人っていうのは、逆に憧れるというか。(作品の)途中で穂志もえかさん演じる同僚が「うらやましい」と言いますが、ああいう視点は自分の中にもあって。ただむちゃくちゃイタい人になることもあり得たので。その点で、僕はテルコのまっすぐさに肯定的だった。それは僕が『愛がなんだ』を監督してよかったなと思った部分の一つでもあります。

お客様からのご質問

偶然にもナカハラとテルコがラーメンを食べているシーンの中華料理屋に入り、そのラーメンがとても美味しかったので、この中華屋を使った映画だったら絶対良いだろうと思い今日観に来ました。他の料理もどれも美味しそうに映っていましたが、食べ物を撮ったりそのシーンを入れる時のこだわりはありますか?

めちゃめちゃいい話じゃないですか(笑)。ありがとうございます。まず『愛がなんだ』の話から。結構、料理ものの作品だとフードコーディネーターが入るんですけど、『愛がなんだ』は入ってなくて。これは美術部・装飾部の仕事なんですね。担当している方がめちゃめちゃ美味しそうに料理を作ってくれる人なんですよ。もう料理いつもその人でやりたいっていうくらい。この映画のテルコって、どれだけ辛い目にあっても、ずっと食べて飲んでいる。それが生きることというか、ポジティブに見える要素で。唯一、大福を持ってきたシーンのときだけ、食べずに去っていくんですが、ついにテルコが食からちょっと離れた…ってグッとくるんですけど(笑)。あの辺はテルコと食の切れ目というか。っていうのは意識していましたね。

食べ物は美味しく映った方がいいっていうのがありますよね。あと、食べながらの芝居の時って、喋るから口の中にたくさん入れられなくて、どうしてもみんなチマチマ食べる人が多いんですよ。そうすると美味しくなさそうに見えるんですよね。でもナカハラ役の若葉さんはめちゃめちゃラーメン、口に入れてるから(笑)。ワンカット撮ったらラーメン一杯無くなってて、これ足りるんかい?!みたいな(笑)。でもそれって大事だな~と思いました。美味しそうな食べ物を用意するだけじゃなく、芝居もやっぱり重要なんです。

ポスターに惹かれて、どういう映画なんだろう?って思っていたのですが、実際にはこのポスターのシーンは本編からカットされています。それは監督の判断なのでしょうか?世に出したときに観た人が「あのシーンないじゃん!」ってなるのは怖くなかったのでしょうか?

あのシーンは、ちゃんと動画でも撮っています。二人が出会った結婚式の二次会の帰り道で、テルコのハイヒールが折れて、守がおんぶして帰っているというシーンで。しかもその「いいよ、おんぶするよ」って言われて「いいよいいよ、重いから」って言って。でも「いや、大丈夫」っておんぶしたら「あ、テルちゃん、やっぱりあれだね(重いね)」みたいに守がテルコをいじって、「あ~だから言ったじゃん。重いでしょ~」っていちゃついているシーンです。

物理的な重さと、ああいう重い女性になっていくっていう重さにかかっているシーンだったんですけど。編集で実はあの結婚式の二次会のシーンが入る位置が変わったんですよね。元々は冒頭のタイトルが出る前の、家を追い出されて夜道を歩くところの前に入れてました。玄関から追い出されたところで扉の前で佇んでたら、二次会のシーンになって、その二次会の帰りのおんぶされて幸せな夜道から、地獄の夜道にっていう夜道繋ぎだったんですよ。だけど、編集さんと色々考えていた時に、やっぱ1日目を終わりまでリアルタイムで見せたくなって。でもそうすると映画の中の時間がもう流れ出しているので、回想としての出会いの場面を長く入れると映画が止まってしまうなと。なるべく短い時間で出会いを処理しようとして切り落としていったのが真相です。DVD・ブルーレイ版の特典にはその幸せな夜道の二人が未公開シーンとして収録されてますので、もし、おんぶしているシーンが観たい方がいれば、ぜひ。でも、まあ、不安はそこまでなかったですね。ただ、そういう意見はもちろん出るだろうなとは思っていました。

原作にはないシーンが結構あったなと思うんですが、特に印象に残ったシーンがテルコの子供時代です。原作には、テルコが子供の頃、幼稚園の先生になりたかったと書いてあった気がしますが、それ以外にテルコの子供時代が具体的には出てきていません。あの子供のシーンを入れた意図を教えてください。

あれはいろいろあって。本当に小説がめちゃくちゃ魅力的なんですよね。最初はあまり自分の映画で説明的なこととかテルコの心情を語るナレーションとかやりたくなかったんで、ナレーション入れない方向で脚本を作っていたんですが、角田さんの言葉を映像表現ですべてやろうとすると、どうやってもただ延びてしまって。部分的にナレーションを使おうと決めたんですが、全部をナレーションで説明したくなかったので、その一つの要素を子供テルコに託したんです。特に終盤の「好きとか嫌いとかっていうよりただそばにいたい」っていうのをただの言葉ではやりたくなかったので、子供との対峙でそれでいいのかどうかというのを表現したり、幼少期は違う夢があったけど、今はマモちゃんのそばにいられる仕事を選んだりっていうことを、子供を使って表現できたらなと思って、3か所だけ出ています。

『カメラを止めるな!』の上田監督には一発で気づかれたんですけど、その1つ目の小学校のシーンは、ウディ・アレン監督の『アニー・ホール』をもろパクリしていまして。カット割りまでパクっています(笑)。パクるっていうと言い方が悪いですね。オマージュです (笑)。僕はパクり方が下手だからバレないんで大丈夫なんですけど(笑)。そういうのでいうと、テルコがラップするシーンもある意味オマージュですね。ヴィンセント・ギャロ監督の『バッファロー’66』の影響があります。ボーリング場で突然スポットライトが当たって、クリスティーナ・リッチが躍るというシーンがあるんです。そのシーンのイメージで、照明が変わって。全くカットの空気も違うし画も違うからバレないですけど、意識としてはそういう感じでスタッフと共有してました。ワンカットで撮るぞっていう。

ナカハラ君にすごく惹かれました。劇中「幸せになりたいっすね」と何度も言っていて、監督がオリジナルで書いた線香花火のシーンも「一番最後まで残った人が幸せになる」みたいなセリフがあったり。ナカハラ君に「幸せになりたい」と言わせたことに何かこだわりがあるのでしょうか?

あれも原作にはないセリフでオリジナルなんですよね。これもある映画の引用というか影響で。僕が一番尊敬しているし近しい関係でもある山下敦弘監督の長編デビュー作で『どんてん生活』というのがありまして。そのなかで、大晦日から新年になるシーンがあるんですけど、うだつの上がらない主人公が、先輩みたいな人と公園のベンチに座っていて、「じゃあ、今年の目標を一人ずつ言うよ」っていじられたときに「幸せになりたいっす」ってぼそっと言うんです。で「え、なんだって?」って言われてまた「幸せになりたいっす」って 。本当にちっちゃいシーンなんですけど、すごく印象に残っていて、それをパクりました。なので、ぜひ『どんてん生活』と『愛がなんだ』の二本立てをいつか早稲田松竹でできたらいいなと思っております(笑)。そのくらい、『どんてん生活』は邦画の中で一番回数観ている映画かもしれないです。すごく大好きな映画で。ナカハラのセリフはその映画からのパクリです。いやオマージュです(笑)。自分の中では、オフビートというか、ダラダラしている時間があって生活があるっていう映画の原点的な作品ですね。