2022.03.10

【スタッフコラム】へんてこコレクション byすみちゃん

東南アジアの映画を見始めてから実際に行くようになり、ベトナムへは2019年の年末から年始にかけて行きました。首都ハノイから寝台列車に乗り、古都フエへ。その後は長距離バスを使いビーチの美しいダナン、南中部のコントゥム、プレイクを訪れました。どの町に行っても印象深い出来事ばかりでしたが、今回はコントゥム郊外の村でジャライ族に会ったお話を書きたいと思います。

ベトナムでは54の民族が生活しています。人口の約86%はキン族(越人)で、残りの約14%が少数民族です。ジャライ族はジャライ省、一部がコントゥム省西部、ダクラク省北部に居住しています。ジャライ族は死者の魂は死後も墓地にとどまっていると信じており、お墓が特徴的です。簡易的な家の形をしたお墓の中には死者が生前使用したものがたくさん置かれ、水や食料も供えられます。死後数年、場合によっては数十年後に墓放棄祭「プティ」が行われ、死者の魂が現世から解放されると、墓は放棄されます。放棄ってどういうこと? と思われるかもしれませんが、誰も手入れをせず、お参りもせず、何もしないということです。

柳沢英輔さんが監督された映画『プティー ジャライ族の墓放棄祭』には、プティというお祭りの様子が分かりやすく記録されています。夜通しお墓のまわりでゴング演奏とダンスが行われ、「ブラム」という化け物のような恰好をした若者が練り歩き、みんなで死者の魂が現世を離れる手伝いをします。夜明け前には水牛と牛が供犠され、次の日には死者の魂に鶏を捧げます。とにかく延々とゴングの音楽とダンスが繰り返され、そのゴングの音が心地よく、死者も安心して旅立てそうだなと思えるような音色です。

わたしはお祭りには参加していないのですが、ジャライ族のお墓を実際に見させてもらいました。お墓のまわりには木で作られた人間が少し悲しそうな顔や、神妙な面持ちをしていて、ひとつひとつ違った表情を見るのが癖になります。屋根は崩れ落ち、朽ち果てているお墓がいたるところにあり、お墓だったかどうかも分からないようなところもありました。案内していただいた時も、縦横無尽に歩いたため、お墓を踏んでしまった可能性もあるくらい、自然に還っている様子です。日本の多数存在するお墓の場合だと、手入れをする縁者がいなくなると無縁仏となり、何だか寂しい印象がありますが、死後どのように魂が存在しているかの考え方が違うことにより、お墓への考え方も変わっていきます。

お墓を案内してくれた地元の女子学生は、お墓と私の記念撮影を何度かしてくれて、Facebookにあげていました。お墓の前で写真を撮るなんて、もしかしたら何かが写ってしまうんじゃないか!? と思ってしまいますが、死者が旅立っていると考えているならば魂が写ったりはしないですよね。

墓放棄祭「プティ」はすべての準備を前年からしなければならないらしく、なかなか出くわすことはできないかもしれませんが、心地の良いゴングの鳴り響く夜明けを、いつか共に迎えてみたいなと思います!

(すみちゃん)