ぽっけ
今週の早稲田松竹では『関心領域』と『アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家』を二本立て上映、そして今年5月に急逝したトーマス・ハイゼ監督を追悼して『ハイゼ家 百年 / Heimat is a Space in Time』を、モーニングショーとレイトショーに分けて上映します。
アウシュビッツ強制収容所の脇の邸宅で暮らすルドルフ・ヘスとその妻ヘートヴィヒ・ヘスの家族。庭先にある壁一枚で隔てられた空間の先には誰もが知っているあの収容所が広がっている。タイトルの『関心領域』はナチスの親衛隊がポーランドのオシフィエンチム郊外にあるアウシュビッツ強制収容所群を取り囲む40平方キロメートルの地域を表現するために使った言葉だ。監視カメラのような固定された画面は、部屋と部屋の空間的な隔たりを強調しつつ、ヘス一家の生活の隅々まで切り取って、裕福な暮らしと壁の向こう側への無関心を描き出す。画面の外にある“死”は、見えないからこそフレームに囚われずに私たちの目前までその不穏さを運んでくる。
夜明けの黒いミルクぼくらはそれを晩にのむ
ぼくらはそれを昼にのむ朝にのむぼくらはそれを夜にのむ
ぼくらはのむそしてのむ
ぼくらは宙に墓をほるそこは寝るのにせまくない
ひとりの男が家にすむその男は蛇どもとたわむれるその男は書く
その男は書く暗くなるとドイツにあてておまえの金色の髪マルガレーテ
かれはそう書くそして家のまえに出るすると星がきらめいているかれは
口笛を吹き犬どもをよびよせる
かれは口笛を吹きユダヤ人たちをそとへよびだす地面に墓をほらせる
かれはぼくらに命じる奏でろさあダンスの曲だ
―パウル・ツェラン/飯吉光夫訳「死のフーガ」
アンゼルム・キーファーが大きな影響を受けた詩人パウル・ツェラン。その代表作にして戦後最重要と言われる「死のフーガ」は、両親を収容所で亡くし自身も強制労働をさせられながら生き延びたパウル・ツェランが編んだものだ。絶滅収容所の現実を深い暗喩とともに描き出し、抑留されているユダヤ人たちの姿とともにそこで働くドイツ人が、本国ドイツの(恋人であろうか)マルガレーテに宛てた手紙を書いているここにも「関心領域」は広がっている。この“収容所の壁の中”の詩は簡単に解体したり再構築したりして、語りなおすことのできない唯一のトポスから発せられている。アンゼルムの代表作の一つである『マルガレーテ』もこの詩から取られているが、多くの作家が手出しすることをためらうこの題材にアンゼルムは一体どう手を伸ばしていったのだろうか。アンゼルムの作品はドイツの歴史やナチス、大戦の記憶、神話、聖書、カバラなどを題材にした作品を下地に砂や藁(わら)、鉛などを混ぜた巨大な画面に描き出すのが特色だ。
「絵画はつねに幻想を提示するという危険性をもっています。だから私はできるだけ絵の具を少なくし、素材=物質を多くする。そうすることで実体を提示できるのではないかと思っているのです」
「私は絵の背後になにがあるのかを示すために絵のなかで語る」
―アンゼルム・キーファー
『アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家』を監督したヴィム・ヴェンダースは、アンゼルム・キーファーと同じ1945年のドイツ終戦の年に生まれた。彼らは哲学者テオドール・アドルノのあの有名な「アウシュビッツ以降、詩を書くことは野蛮である」という言葉の後の時代に、ドイツという国のアイデンティティに積極的に切り込んだ作品を作り上げてきた。決して直接的にテーマを声高に叫んだりすることのない彼らの選んだ方法には多くの示唆が含まれている。それらはフェイクに満ちて、正しいことが分からなくなる現在にこそ有効な、20世紀が生み出した芸術表現の結晶だと言えるだろう。
彼らと同じく戦後の1955年に生まれ、今年の2024年5月に急逝したトーマス・ハイゼ監督の『ハイゼ家 百年 / Heimat is a Space in Time』ではハイゼ家に関わる人々の手紙や手記、書かれたものが淡々と読み上げられる。状況や背景を説明するようなナレーションは挿入されない。恋人たちの往復する書簡があるかと思いきや、トーマスの祖母エディトの親戚たちとの手紙のやり取りでは、親戚たちからの手紙が読まれてもエディトから送られた手紙が読まれることはない。画面には強制移送されたオーストリア系ユダヤ人の名前が網羅されたリストがスクロールされていく。そのときわたしたちは彼らの送った手紙は手元に残されていないと気づかされるのだ。
「そして今からいつまでも、この世に勝者などもはやおらぬ、いるのはただ敗者だけ」
―「ファッツァー」ベルトルト・ブレヒト
トーマス・ハイゼ監督が私たちを静かなイメージの列車に乗せて運ぶように、消え去ってしまった“敗者の国”東ドイツへと連れていくとき、タイトルの「Heimat(ハイマート)」という言葉について考えずにはいられない。一般的には「故郷」や「家」と訳すが、地理的な場所を超えて、個人のアイデンティティ、文化的背景、感情的なつながりを包括する複雑だがドイツ文化にとって重要な(それゆえナチス統治時代にはプロダガンダに利用されてもいた)概念。消えてなくなってしまった「Heimat(ハイマート)」をわたしたちはこの映画とともに探しにきたのだ。ガザ地区でユダヤ人国家イスラエルによる爆撃が多くの人々の命を奪っているまさにそのときに、「反ユダヤ」を廃絶する強烈な強迫観念とともに難民であふれかえるドイツはどこへ向かい、どこへ帰ろうとしているのだろうか。一つの国のなかにも、異なる理由で行き場をなくしてしまった人々が集まっているのだ。
わたしたちが学校で教えられるような歴史や現在見えるものだけが、まるでこれまで生きてきたものすべてであるかのように錯覚することがあるかもしれない。しかし「無は存在の一部だ。同時に存在は無の一部である」と語るアンゼルムの言葉を鑑みるならば、見えるものには同時に見えないものが含まれている。背後がなければ表もない。わたしたちが忘却を恐れるのはそのためだ。彼らの作品は忘却に抗いながら、安易なイメージによって雁字搦めにされてしまったものたちを解放するのだ。払い落とした埃でさえ戦禍の「灰」を彷彿とさせるような大きな時間のうねりとともに「忘却の埃を払い落として」と名付けたこの特集をぜひご覧いただければとおもいます。
アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家
Anselm
■監督 ヴィム・ヴェンダース
■撮影 フランツ・ルスティグ
■編集 マクシーン・ゲディケ
■作曲 レオナルド・キュスナー
■出演 アンゼルム・キーファー/ダニエル・キーファー/アントン・ヴェンダース
© 2023, Road Movies, All rights reserved.
【2024/11/30(土)~12/6(金)上映】
ナチス、戦争、神話……戦後ドイツ最大の芸術家、アンゼルム・キーファーのすべてをヴィム・ヴェンダース監督が描く
戦後ドイツを代表する芸術家であり、ドイツの暗黒の歴史を主題とした作品群で知られるアンゼルム・キーファーの生涯と、その現在を追ったドキュメンタリー。監督は、『PERFECT DAYS』で第76回カンヌ国際映画祭 主演俳優賞(役所広司)を受賞し、第96回アカデミー賞🄬国際長編映画賞にノミネートされたことも記憶に新しい、ドイツの名匠ヴィム・ヴェンダース。『パリ、テキサス』、『ベルリン・天使の詩』、『ミリオンダラー・ホテル』などの劇映画だけでなく、『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』、『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』、『セバスチャン・サルガド/地球へのラブレター』などドキュメンタリーも手掛け、世界各国から高い評価を受けてる。
仏・バルジャックのアトリエを中心に、アンゼルムが創作した膨大な作品群を彼が歩んだ人生と共に辿る。3D&6Kで撮影された壮麗な映像叙事詩。
アンゼルム・キーファーは、ナチスや戦争、神話などのテーマを、絵画、彫刻、建築など多彩な表現で壮大な世界を創造する、戦後ドイツを代表する芸術家。1991年、高松宮殿下記念世界文化賞・絵画部門を受賞。ヴェンダース監督と同じ、1945年生まれであり、初期の作品の中には、戦後ナチスの暗い歴史に目を背けようとする世論に反し、ナチス式の敬礼を揶揄する作品を作るなど“タブー”に挑戦する作家として美術界の反発を生みながらも注目を浴びる存在となった。1993年からは、フランスに拠点を移し、わらや生地を用いて、歴史、哲学、詩、聖書の世界を創作している。彼の作品に一貫しているのは戦後ドイツ、そして死に向き合ってきたことであり、“傷ついたもの”への鎮魂を捧げ続けている。
制作期間には2年の歳月を費やし、3D&6Kで撮影。従来の3D映画のような飛び出すような仕掛けではなく、絵画や建築を、立体的で目の前に存在するかのような奥行きのある映像を再現し、ドキュメンタリー作品において新しい可能性を追求した。「先入観を捨てて、この衝撃的なビジュアルをただ楽しんでもらいたい」とヴェンダース監督は語る。キャストには、アンゼルム・キーファー本人の他、自身の青年期を息子のダニエル・キーファーが演じ、幼少期をヴェンダース監督の孫甥、アントン・ヴェンダースが務めている。
関心領域
The Zone of Interest
■監督・脚本 ジョナサン・グレイザー
■原作 マーティン・エイミス「関心領域」(早川書房刊)
■撮影 ウカシュ・ジャル
■編集 ポール・ワッツ
■音響 ジョニー・バーン/ターン・ウィラーズ
■音楽 ミカ・レヴィ
■出演 クリスティアン・フリーデル/ザンドラ・ヒュラー
■第96回アカデミー賞 国際長編映画賞・音響賞受賞/第76回カンヌ国際映画祭グランプリ/英国アカデミー賞英国作品賞・非英語作品賞・音響賞受賞/全米批評家協会賞監督賞・主演女優賞受賞/トロント映画批評家協会賞作品賞・監督賞受賞 ほか多数受賞
©Two Wolves Films Limited, Extreme Emotions BIS Limited,
Soft Money LLC and Channel Four Television Corporation 2023. All Rights Reserved.
【2024/11/30(土)~12/6(金)上映】
そこには、いつもと変わらない幸福な日常があった。
空は青く、誰もが笑顔で、子どもたちの楽しげな声が聞こえてくる。そして、窓から見える壁の向こうでは大きな建物から煙があがっている。時は1945 年、アウシュビッツ収容所の隣で幸せに暮らす家族がいた。
壁を隔てたふたつの世界にどんな違いがあるのか?平和に暮らす家族と彼らにはどんな違いがあるのか?そして、あなたと彼らの違いは?
マーティン・エイミスの同名小説を、英国の鬼才ジョナサン・グレイザー監督が映画化。世界の映画祭を席巻した衝撃作。
第76回カンヌ国際映画祭でグランプリに輝き、英国アカデミー賞、ロサンゼルス映画批評家協会賞、トロント映画批評家協会賞など世界の映画祭を席巻。そして第96回アカデミー賞で国際長編映画賞・音響賞の2部門を受賞した衝撃作。原作は「ニ十歳への時間割」でサマセット・モーム賞を受賞し、全米批評家協会賞にも輝いた英国人作家マーティン・エイミスの同名小説。『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』で映画ファンを唸らせた英国の鬼才ジョナサン・グレイザー監督が脚本と監督を務めた。
ミヒャエル・ハネケ監督作『白いリボン』や、オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督の『ヒトラー暗殺、13分の誤算』で知られるクリスティアン・フリーデルがルドルフ・ヘスを、『ありがとう、トニ・エルドマン』の演技でヨーロッパ映画賞女優賞を受賞し、『落下の解剖学』の演技で再び同賞に輝いたサンドラ・ヒュラーが妻ヘートヴィヒを演じる。
本作が描くのは、どこにでもある穏やかな日常。しかし、壁ひとつ隔てたアウシュビッツ収容所の存在が、音、建物からあがる煙、家族の交わすなにげない会話や視線、そして気配から着実に伝わってくる。その時に観客が感じるのは恐怖か、不安か、それとも無関心か?
【モーニング&レイトショー】ハイゼ家 百年 / Heimat is a Space in Time
【Morning & Late Show】Heimat is a Space in Time
■監督・脚本 トーマス・ハイゼ
■第69回ベルリン国際映画祭フォーラム部門カリガリ賞受賞/2020年ドイツ映画批評家賞最優秀ドキュメンタリー賞受賞/ドイツ映画賞最優秀ドキュメンタリー映画賞ノミネート
©︎ma.ja.de filmproduktions / Thomas Heise
★11/30開催『ハイゼ家 百年』渋谷哲也さんトークショーレポはこちら!
【2024/11/30(土)~12/6(金)上映】
全ての歴史は、個人に宿る 在りし日の家族と故郷――
本作品は旧東ドイツ出身の映画監督トーマス・ハイゼの家族が19世紀後半から保管してきた遺品(日記、手紙、写真など)を使い、ハイゼ家が歩んだ激動の百年を監督自らのモノローグで3時間38分語る驚異的な作品である。家族の遺品が伝える歴史は第一次世界大戦に始まり、ホロコーストによって引き裂かれた家族の過去、熾烈を極めた空襲、戦後のシュタージ(秘密警察)による支配、そして、ベルリンの壁崩壊後も終わらない戦争と分断に失望する東ドイツの人々の感情について語る。引用に次ぐ引用—— 作中に積み重ねられた言葉は戦争証言にとどまらず、分断や差別、言論の自由、ジェンダー論、そしてアイデンティティの問題など現代的なテーマに及ぶ。ベルリンの壁崩壊から30年目に完成した21世紀映画史に名を刻む大作ドキュメンタリー。
遠い未来から家族の遺品を見つめるドイツ百年、全5章218分の家族史(ファミリーヒストリー)
トーマス・ハイゼ監督は1955年東ベルリン生まれ。国営映画会社デーファ(DEFA)で監督助手として務めた後、70年代後半からドキュメンタリーを制作し始める。'80年から'85年にかけて制作した全5作のドキュメンタリーは体制にとって相応しくないとされベルリンの壁が崩壊するまで上映が禁止された。劇作家のハイナー・ミュラーの後押しもありベルリナー・アンサンブルに舞台監督として所属し、その後ベルリン芸術アカデミーの教授を務めた。40年以上のキャリアで20作のドキュメンタリーを完成させている。2024年5月29日、逝去。