ミ・ナミ
あまりに多作で、あまりにジャンル横断的な映画作家である黒沢清の作風をひとつで語ることはなかなか難しいものがあります。たとえば『CURE』は、“目には見えない力”を物語の駆動力にしながらも1990年代末という日本社会の狂気性を拡大して描写した新味の強いホラー映画でしたし、今年リメイクされた『蛇の道』は、娘を殺された男の憎悪があらぬ方向へ転じていく無骨な復讐譚でした。これら相次いで撮られたダークな作品から一転した『大いなる幻影』は虚無と不安が立ち込める近未来を舞台にした恋人の物語で、『ニンゲン合格』は10年の昏睡状態から目覚めた青年がたどる家族再生までの道のりが語られています。さらに異色作である『カリスマ』は、“カリスマ”と呼ばれ畏怖され、あるいは忌むべき存在とされる一本の木をめぐる人々の血なまぐさい応酬を描いています。
公開当時の資料を紐解くと、こうした黒沢清の創作姿勢は“20世紀の黙示録”や“世紀末”という言葉で言い表されています。黒沢清の作品が毫も朽ちず、その眼差しが予言的だったことは今世紀に至っても疑いようがないでしょう。そしてまた近年の作品と引き合わせてみるならば、何かと交わり、かかわり合うことで生まれる苦痛、そして喜びというものがずっと彼の作品をつらぬいてきたようにも感じられます。夫婦にしろ家族にしろ恋人にしろ(もちろんそれが木であっても)、私たちは何がしかと向き合うときに、対象から照らされるように自己を顧みざるを得ないと思うのです。『CURE』で最も恐ろしい瞬間は殺害のシーンではなく、「あなたは一体誰なのか?」と他者から問いかけ続けられることだったように、そこには自己が破滅していくような怖さがつきまといます。しかし同時に、10年という虚無の時間から覚醒した空っぽの青年が、みっともなくも愛おしい“ニンゲン”を回復していく『ニンゲン合格』のように、珍奇な周囲とかかわって生きることが与えてくれる特別な時間もまた、信じられるものなのではないでしょうか。
今週の早稲田松竹は、世界が黒沢清を発見した5作品、『CURE』『蛇の道』『大いなる幻影』『ニンゲン合格』『カリスマ』を上映いたします。ポン・ジュノや濱口竜介ら世界の映画作家に影響を与えた選りすぐりの傑作群に、ぜひ瞠目してください。
蛇の道
Serpent's Path
■監督・脚本 黒沢清
■製作 池田哲也
■脚本 高橋洋
■撮影 田村正毅
■編集 鈴木歓
■音楽 吉田光
■出演 哀川翔/香川照之/柳ユーレイ/下元史朗/翁華栄
© KADOKAWA 1998
【2024/5/18(土)~5/24(金)上映】
悪意の軽さ、善意の重さ
娘を誘拐されて殺された宮下は、謎の男・新島の協力を得ることによって復讐を実現しようとしていた。ある組織の幹部、大槻、檜山、有賀を次々に拉致し、、拷問まがいのやり方で、事の真相を問いただしていく。3人は自分の保身のために罪を擦り付けあい、醜い争いを繰り広げる。娘を殺したのは誰なのか。そして、新島の本当の狙いは?
人間の本質を鋭く浮き彫りにする、極道たちの激しい生きざま! 珠玉のバイオレンスアクション!
黒沢清監督が、哀川翔と香川照之の競演で描いた異色のハードボイルドアクション。元来は、『復讐 THE REVENGE 運命の訪問者』『~消えない傷痕』に続く「復讐」シリーズの第3弾として企画構想されたVシネマ。紆余曲折を経て題名や製作会社が変わり、『CURE』を間に挟んで、先の2作と同様、『蜘蛛の瞳』とほぼ同時に2本撮りする形で、製作が進められることとなった。脚本は、同年『リング』の脚本も手掛けてJホラー・ブームの立役者となった高橋洋。
2024年、黒沢監督自らセルフリメイクした『蛇の道』を発表。フランスに舞台を移して、柴崎コウ、ダミアン・ボナール、マチュー・アマルリック、西島秀俊らが出演する。
CURE 4Kデジタル修復版
Cure
■監督・脚本 黒沢清
■製作 加藤博之
■撮影 喜久村徳章
■編集 鈴木歓
■音楽 ゲイリー芦屋
■出演 役所広司/萩原聖人/うじきつよし/中川安奈/螢雪次朗/洞口依子/でんでん/大杉漣
■第21回日本アカデミー賞助演男優賞ノミネート
© KADOKAWA 1997
【2024/5/18(土)~5/24(金)上映】
憎悪は催眠で覚醒する
あるとき奇妙な連続殺人事件が発生する。それぞれの事件の加害者はその場ですぐつかまるが、被害者の胸元を刃物でXの字に切り刻むという犯行の手口がすべて共通していた。事件に疑問を抱いた刑事・高部賢一は、心理学者・佐久間真の助けを借りながら、それぞれの殺人を関連づけて捜査を始める。
そんな折、記憶喪失の放浪者が一連の事件の線上に浮かび上がる。操作の結果、名前を特定された放浪者、間宮邦彦は医学部で精神科を専攻していた学生だったことが分かる。間宮には不可思議な話術があり、取り調べを行ううちに、高部も佐久間も知らず間宮のペースに引き込まれる。そして事態は思わぬ方向に進展し始める。
黒沢清の名を一躍世界に知らしめたサイコ・サスペンスの傑作! 猟奇殺人事件を追う刑事と、事件に関わる謎の男の姿を描く。
人の心の暗部をテーマにした映画や小説、ドラマが人々の注目を集めていた世紀末。『CURE』は、そんな時代における普通の人々の心の闇を描くサイコサスペンス映画。監督・脚本は、『散歩する侵略者』『スパイの妻<劇場版>』の黒沢清。じわじわと恐怖を高めていく演出は、前人未到のホラー映画を数々撮り上げてきた恐怖映画の巨匠の原点とも言える。
主演は今や日本映画界に欠かせない存在となった役所広司。そして共演には実力派俳優の萩原聖人。本作で、役所広司は第10回東京国際映画祭最優秀男優賞、萩原聖人は第21回日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞。第27回ロッテルダム映画祭正式出品、第16回ブリュッセル国際ファンタスティック映画祭正式出品等、海外でも高い評価を得た。
“本当の恐怖はそれを経験した人間、遭遇した人間の人生を変えるだろう。後戻りできないだろう。克服してに戻ることはない。我が身にふりかかった人はそれまでは考えもしなかった別の人生を歩むしかない、そういうものが恐怖だろう。だから勿論怖いわけですが、同時にそれは快楽かもしれない、それが恐怖だろう。” ——黒沢清
(パンフレットより一部抜粋)
大いなる幻影
Barren Illusions
■監督・脚本 黒沢清
■脚本協力 根本伸一
■撮影 柴主高秀
■編集 大永昌弘
■音楽 相馬大
■出演 武田真治/唯野未歩子/安井豊/松本正道/稲見一茂/億田明子/青山真治
【2024/5/18(土)~5/24(金)上映】
「世界」にとりかこまれた運命の恋人
世紀末の喧騒も、新世紀を迎えた高揚も過ぎ去った2005年。国内には様々な国籍を持つ人々が暮らし、空には外出もままならないほどの花粉が舞っている。ハルは音楽関係の仕事についてはいるが、すべてを持て余している。ミチは郵便局の受付をしながら、ときどき海外小包を失敬している。ハルとミチという恋人たち。次第にすれ違っていくふたりの日常を描写しながら、黒沢清監督は次第に観るものの視線をスクリーンの外へと誘っていく。ひとつひとつの楽器が奏でるメロディは極めてシンプルなのに、それが次第に重なり合うことで壮大なイメージを抱かせる音楽のように。
21世紀初頭の世界を背景に、次第にすれ違っていく恋人たちの日常の様子を描く近未来SF映画。
「二人が愛し合うという物語は、結局いつもセクシャルな欲求の成就か、あるいは家庭という制度への順応といった結末しかもたらさない。愛の果てには本当にそれしかないのだろうか? そうでもないだろう」という監督自身の実感が発想の原点という『大いなる幻影』。『ニンゲン合格』(ベルリン国際映画祭招待)、『カリスマ』(カンヌ国際映画祭監督集会招待)に続きヴェネチア国際映画祭正式参加を果たしたことにより、1年の間に世界三大映画祭制覇という快挙を達成した。ハルを演じるのは、これまでジャン=ピエール・リモザン監督『TOKYO EYES』や大島渚監督『御法度』への出演など、映画からドラマまでマルチな才能を発揮してきた武田真治。ミチに扮するのは、演技のみならず映画監督、『渇き。』や『ミスミソウ』の脚本家、小説家としても活躍する唯野未歩子。
“私にはどうしても、二人の愛は永遠であるように見える。だが、世界はその永遠性を保証するのに生殖や結婚といったシステムしか用意しない。このシステムを拒絶した二人にとっては、おそらく愛はひとつの不幸だ。(中略)それでも二人は永遠の愛の中で生きていこうとする。たとえそれが大いなる幻影であったとしても。”――黒沢清『大いなる幻影』によせて
(公開当時のチラシより一部抜粋)
ニンゲン合格
License to Live
■監督・脚本 黒沢清
■製作 加藤博之
■撮影 林淳一郎
■編集 大永昌弘
■音楽 ゲイリー芦屋
■出演 西島秀俊/役所広司/菅田俊/りりィ/麻生久美子/哀川翔/洞口依子/大杉漣/鈴木ヒロミツ/豊原功補
■第11回東京国際映画祭コンペティション正式出品/第49回ベルリン国際映画祭正式出品
© KADOKAWA 1999
【2024/5/18(土)~5/24(金)上映】
僕はここに存在した。
交通事故により昏睡状態のまま10年間眠り続け、24歳のある日、突然目覚めた主人公・吉井豊。眠っている間にバラバラになっていた家族との再会。しかし10年という歳月は、様々な状況を変えていた。宗教活動をしている父・真一郎、離婚して自立している母・幸子、そして恋人の加崎とその日暮らしの妹・千鶴。家族は誰も家に住んではいなかった。中学生時代の友達に会ってもどこかぎこちない。吉井家の敷地で釣り堀を営む風変わりな真一郎の友人・藤森が、退院後の豊の面倒をみることになる。そんな状況に戸惑いながらも豊は、かつて家にあったポニー牧場を再建しようとする。それが家族の再生につながり、自分の存在理由でもあるかのように…。
第49回ベルリン国際映画祭正式出品作品。10年眠り続けた一人の青年と家族の関係を描く、心温まる現代の寓話。
ある日、目が覚めたら自分だけそのままで、まわりの世界が10年過ぎていた。『ニンゲン合格』は、そんな一人の青年と家族の日常を描きながら、家族の関係と人間の“生”を独自の視点で見つめている。本作で黒沢清監督は、これまでの作品路線とは一転して“家族”を題材とし、また吉井豊という一人の青年のどこか寓話的な“生と死”に、普遍的なテーマを込めることに成功している。
主演は、本作が映画初主演となった西島秀俊。第9回日本映画プロフェッショナル大賞・主演男優賞を受賞するなど快挙を果たし、2002年には北野武監督『Dolls』で主演に抜擢されるなど着実に若手俳優から実力派へキャリアを積み、現在日本映画界に欠かせない俳優の一人だ。藤森役には、黒沢清監督の一時代をともに築いた名優・役所広司。母・幸子役にシンガーソングライターにして数多くの映画に出演したりりィ、妹・千鶴を同年『カンゾー先生』に出演し話題を集めた麻生久美子が演じた。その他共演に黒沢作品に多数登場してきた菅田俊、哀川翔、大杉連など個性派が脇を固める。
【レイトショー】カリスマ
【Late Show】Charisma
■監督・脚本 黒沢清
■製作 中村雅哉/池口頌夫
■撮影 林淳一郎
■編集 菊池純一
■音楽 ゲイリー芦屋
■出演 役所広司/池内博之/大杉漣/洞口依子/風吹ジュン
■1999年カンヌ国際映画祭正式出品/第53回エジンバラ国際映画祭正式出品/第29回ロッテルダム映画祭正式出品ほか多数ノミネート
© 1999 日活・キングレコード・東京テアトル
【2024/5/18(土)~5/24(金)上映】
世界の法則を回復せよ
“世界の法則を回復せよ”という謎のメッセージを受け取った主人公の刑事・薮池五郎が、ふらりと訪れた森の中で出会った1本の木、この森は、この木の根から分泌される毒素により壊滅の一途を辿っているという。生かすか殺すか、いや、共存はあり得ないのか。あるがままにいつしかカリスマと同化した薮池が導く世界の法則とは…?
独特の語り口と終末を予感させる衝撃のラストが観るものを引き込んで離さない未体験“NEOホラー”!
神秘的なとある森の‘カリスマ’と呼ばれる1本の木を巡って対立する人々をサスペンスフルに表現し、共生・共存という人間の倫理問題、人間が意識下で求める本物の自由の形をテーマに描いた人間ドラマ『カリスマ』。1999年、カンヌ国際映画祭出品を皮切りに、日本に先駆けフランスで先行上映されるなど世界を魅了。認識するまもなく陥れられる不安が全編に渦巻く未体験“NEOホラー”として旋風を巻き起こした。
“『カリスマ』は人間の生き方、倫理を描いた人間のドラマです。主人公の藪池は本当の意味での自由を手に入れることになります。しかし自由というのは、反面、責任を伴う非常に厳しいものです。そういうことを真にわかってはじめて、自然の中で、社会の中で、人は生きていけるのだと思います。ただこれはあくまで一つの解釈で、私の作品は観る人によっていろいろな解釈ができるので、とにかく自由に観てほしいです。”――黒沢清
(パンフレット、公開当時チラシより一部抜粋)