ルー
「私が分かるのは、人生が続いていくように、映画も長くはそこに存在しないということだ。大洋の岸辺ののどかな小さな町も、やがてはなくなるだろう。朝の船もなくなるだろう。もしかしたら木も花も。全てなくならないとしても、今ほど多くはないかもしれない。これが『ウォールデン』。あなたが見ているもの」
――ジョナス・メカス『ウォールデン』ナレーションより
現在進行形で進む演劇やパフォーマンスと違い、映画は常に過ぎ去った過去を見せるしかないメディアです。何十年も前の作品は言うに及ばず、比較的新しい作品であっても、そこに写された人間の中に現実では既に亡くなっている人がいることは少なくありません。それは人間ばかりではありません。生き物や草花や建物といった事物、あるいはそれらによって構成された風景は、映像を通して私たちに届く頃には実際にはいくつか変容し、失われているのです。
逆に言えば、映像に残すということは、いつかは失われていくものたちをフィルムに焼きつけ、(メカスの言うようにそのメディア自体も永久的なものではないため、その試みはあらかじめ失敗を運命づけられていたとしても)完全な消失からなんとか救い出そうとする行為だともいえます。それはとりもなおさず、その光景を目撃していた人間の記憶をもこの世界に何とか残そうとする試みでもあると思います。
愛する事物の消滅、あるいは忘却にギリギリで抗うこと。今回上映するガレル、メカス、ゴダールの三人のシネアストに共通するのは、映画を撮ることがそんな極私的な試みに直結していることです。
過去に体験した歌姫・ニコとの痛ましい愛情と撮影した時点で抱えていた感情を赤裸々にフィルムに焼きつけるガレル。ニコも中心にいた60年代NYアンダーグラウンドシーンの熱狂的な空気を写し込む一方、故郷リトアニアの失われつつある光景を静謐に記録するメカス。そして映画をはじめとした膨大な芸術、文学の記憶の洪水を(今回は彼自身の老いと共に歪められ、欠落・喪失を被っていくその様相をも含めて凶暴な筆致で)描くゴダール。
映画産業に背を向け、長い歳月の中で困難に直面しながらも映画の力を信じて作品を撮り続ける(続けた)彼らの姿は、映画作家であると同時にどこか求道者を思わせます。彼らの作品ひとつひとつが世界に捧げられた祈りの結晶であり、それを観ることは彼らと祈りの時間を共有する体験なのです。
救いの接吻
Emergency Kisses
■監督・脚本 フィリップ・ガレル
■台詞 マルク・ショロデンコ
■撮影 ジャック・ロワズルー
■編集 ソフィー・クサン
■音楽 バルネ・ウィラン
■出演 ブリジット・シィ/フィリップ・ガレル /ルイ・ガレル/アネモーヌ /モーリス・ガレル/イヴェット・エチエヴァン
【2019年11月2日から11月8日まで上映】
愛とは何か、どう愛を持続すべきか、愛と物語の関係は……
新作の準備を進めていた映画監督のマチューは、主役を別の女優に決めたことで、妻で女優のジャンヌから激しい糾弾を受ける。自分をモデルにした役を別の女優が演じることを自分への裏切りと受け止め、夫に別れを突きつけるジャンヌ。突然の別離に苦悩しながら、妻と息子とどう向き合うべきかを逡巡するマチュー。果たしてふたりの愛は途絶えてしまったのか?
夫と妻、父と子、映画とともに生きることしかできない者たち――フィリップ・ガレルによる至高の家族映画
愛の終わりとその持続について苦悩し語り合う男と女。映画監督と女優であり、夫と妻であり、また息子の父と母でもあるふたりの対話は永遠に続いていく。フランスの名匠フィリップ・ガレルが傑作『ギターはもう聞こえない』の前に製作した、あるひとつの愛の物語。つねに私小説的な映画をつくりだしてきたガレルならではの、私生活と創作をめぐる果てなき問いがくりひろげられる。
出演は、フィリップ・ガレル本人と当時のパートナーであるブリジット・シィ、今やフランスを代表する俳優となった息子ルイ・ガレル、名優の父モーリス・ガレル。崩壊の危機にある家族の物語を、監督を含め実際の家族たちが演じた、至高の家族映画。
モノクロームで質朴な映像とともにくりひろげられる、愛をめぐる美しく崇高な対話。本作を機にガレルと数々の名作をつくりだすことになる詩人で小説家のマルク・ショロデンコによるダイアローグは、愛の可能性と、物語の誕生の瞬間を描き出す。
ギターはもう聞こえない
I Can No Longer Hear the Guitar
■監督 フィリップ・ガレル
■脚本 フィリップ・ガレル/ジャン=フランソワ・ゴイエ
■台詞 マルク・ショロデンコ
■撮影 カロリーヌ・シャンプティエ
■編集 ソフィー・クサン/ヤン・ドゥデ
■音楽 ファトン・カーン
■出演 ブノワ・レジャン/ヨハンナ・テア・ステーゲ/ミレーユ・ペリエ/ヤン・コレット/ブリジット・シィ
■1991年ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞受賞
【2019年11月2日から11月8日まで上映】
「僕のそばで死ぬより、離れて生きてくれ」 陰惨で、貧しく、切実な、けれど美しい愛の記憶たち
海辺の町で共同生活を送るジェラールとマリアンヌ、マルタンとローラの二組のカップル。彼らはやがて破局を迎えるが、マリアンヌはジェラールの元へ戻ってくる。だがパリで暮らす二人は次第にドラッグに溺れ、生活は困窮を極めていく。最終的に別れを選んだジェラールは、アリーヌと出会い息子を授かる。そんなジェラールの元に、ある日、マリアンヌの訃報が届く…。
かつて愛した人、ニコに捧げた愛の物語——私映画の極北にして、ガレル映画のひとつの頂点を成す傑作
つねに自分の物語を映画のなかに刻み込んできたフィリップ・ガレルが、前妻ニコの急逝直後に製作した、極めて私的なラブストーリー。ニコとの生活と破局、息子の誕生、そして突然訪れた彼女の死。かつて愛した人との記憶と死の衝撃が、美しくも残酷にスクリーンへ映し出される。自伝的な物語でありながら、俳優たちの演技と洗練された台詞によって誕生した、普遍的な愛の物語。1991年のヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞受を賞作し、ガレルの膨大なフィルモグラフィのなかでもあるひとつの頂点を成すといえる傑作。
ニコの分身ともいえるマリアンヌ役を演じるのは、『愛の誕生』にも出演したオランダ出身の女優ヨハンナ・テア・ステーゲ。その恋人であるジェラール役を94年に急逝した『トリコロール/青の時代』のブノワ・レジャンが演じている。その他に、ヤン・コレット、ミレーユ・ペリエら名優たちも出演。撮影は、今やフランス映画には欠かせない名撮影監督カロリーヌ・シャンプティエ。前作に引き続き、マルク・ショロデンコによる印象的な台詞の数々が、陰惨で残酷な物語を美しく彩る。
ウォールデン
Walden
■監督 ジョナス・メカス
■出演 ジョナス・メカス/アンディ・ウォーホル/アレン・ギンズバーグ/スタン・ブラッケージ/バーベット・シュローダー/ジョン・レノン/オノ・ヨーコ
配給:ダゲレオ出版
【2019年11月2日から11月8日まで上映】
1960年代のニューヨーク前衛アートシーンを描いた壮大な叙事詩
映画はやがて塵となって消える。海辺の小さなのどかな町も、やがては消えて無くなる。海に浮かぶ船も、木も花も。だから、ただ画面を見つめればいい。
『ウォールデン』は、メカスが1964年から69年に撮影した映像が、時系列に並列されている。個人的な日記映画でありながら、メカスが身を置いたニューヨークのアートシーンのポートレートでもある。アンディ・ウォーホルと彼の“ファクトリー”のメンバーたちによるパーティー、ギンズバーグらビートニクの詩人たちのリーディングの様子、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド結成時のライブ映像、ジョン・レノンとオノ・ヨーコによる“ベッド・イン”の模様など、文化の歴史的な瞬間の貴重な記録にもなっている。
刺激的な60年代のニューヨークで詩人、映画作家、映画批評家、アンダーグラウンド映画上映のオルガナイザーとして多方面にわたり活躍するようになったメカスは、1969年に毎日撮りためていた映像を初めて日記映画『ウォールデン』としてまとめ、発表する。自在のカメラワークと情感豊かな詩情に満ちたこの作品は、たちまち人々の心をとらえ、アメリカのインディペンデント映画史の名作として語り継がれるようになった。日記映画というジャンルを創設し、メカスの映像作家としての名を一躍高めた不朽の名作。
監督ジョナス・メカスの言葉
“さて、親愛なる観客の皆さん。(略)皆さんにはこの映像をただ見つめてほしい。特に何も起きない。映像は流れ、そこには悲劇もドラマもサスペンスもない。単なるイメージ。私自身と、その他の少人数のためのもの。見る必要の無い人もいる。見なくたっていい。しかし見るべきだと思ったら、座って映像を見つめればいい。私が分かるのは、人生が続いていくように、映画も長くはそこに存在しないということだ。大洋の岸辺ののどかな小さな町も、やがてはなくなるだろう。朝の船もなくなるだろう。もしかしたら木も花も。全てなくならないとしても、今ほど多くはないかもしれない。これが『ウォールデン』。あなたが見ているもの。”
—『ウォールデン』ナレーションより
リトアニアへの旅の追憶
Reminiscences of a Journey to Lithuania
■監督・撮影・ナレーション・出演 ジョナス・メカス
■2006年アメリカ国立フィルム登録簿新規登録作品
配給:ダゲレオ出版
【2019年11月2日から11月8日まで上映】
感動的な映像叙事詩。アメリカ・インディペンデント映画の不朽の名作
1949年、故郷リトアニアをナチスによって追われ、アメリカに亡命したジョナス・メカスは、言葉も通じないブルックリンで一台の16ミリ・カメラを手にし、日々の生活を日記のように撮り始める。27年ぶりに訪れた故郷リトアニアでの母、友人たちとの再会、そして風景。メカスは自在なカメラワークとたおやかな感受性でそれらの全てをみずみずしい映像と言葉で一つの作品にまとめ上げた。
ジョナス・メカス自身による解説
この映画は3つの部分から構成されている。まず第一の部分は、私がアメリカにやって来てからの数年、1950~53年の間に、私の最初のボレックスによって撮られたフィルム群から成っている。そこでは、私の弟アドルファスや、そのころ私達がどんな様子であったかを見ることができる。ブルックリンの様々な移民の混ざりあいや、ピクニック、ダンス、歌、ウィリアムズバーグのストリートなどを。
第二の部分は、1971年に、リトアニアで撮られた。ほとんどのフィルム群は、私が生まれた町であるセミニシュケイを映しだしている。そこでは、古い家や、1887年生まれの私の母や、私たちの訪問を祝う私の兄弟たちや、なじみの場所、畑仕事や、他のさして重要ではないこまごまとしたことや、思い出などを、見ることになる。ここでは、リトアニアの現状などというものは見ることはできない。つまり、27年の空白の後、自分の国に戻って来た「亡命した人間」の思い出が見られるだけなのである。
第三の部分はハンブルクの郊外、エルンストホルンへの訪問から始まる。私たちは、戦争の間l年間、そこの強制労働収容所で過ごしたのだった。その挿入部分の後、われわれは私たちの最良の友人たちの一部、ペーター・クーベルカ、ヘルマン・ニッチ、アネット・マイケルソン、ケン・ジェイコブスと共に、ウィーンにいる。そこでは、クレムスミュンスターの修道院やスタンドルフのニッチの城や、ヴィトゲンシュタインの家などをも見ることができる。そしてこのフィルムは、1971年8月のウィーンの野菜市場の火事で終わることになる。 ──ジョナス・メカス
【特別レイトショー】イメージの本
【Late Show】The Image Book
■監督・脚本・編集・ナレーション ジャン=リュック・ゴダール
■製作・撮影・編集 ファブリス・アラーニョ
© Casa Azul Films – Ecran Noir Productions – 2018
【2019年11月2日から11月8日まで上映】
映画とは、「X+3=1」である。88歳、世界の巨匠ジャン=リュック・ゴダール渾身の最新作!
『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』をはじめ数々の名作を世に送り出してきたヌーヴェルヴァーグの巨匠、ジャン=リュック・ゴダール。1930年フランス・パリに生まれ、88歳を迎えてなお、世界の最先端でエネルギッシュに創作活動に取り組む監督の最新作『イメージの本』は、新たに撮影した映像に、様々な<絵画>、<映画>、<文章>、<音楽>を巧みにコラージュし、現代の暴力、戦争、不和などに満ちた世界に対する“怒り”をのせて、この世界が向かおうとする未来を指し示す 5 章からなる物語。本作で、ゴダール本人がナレーションも担当している。
2018年5月に開催されたカンヌ国際映画祭では、映画祭史上初めて、最高賞【パルムドール】を超越する賞として特別に設けられた【スペシャル・パルムドール】を受賞し、世界中の映画ファンを湧かせた。前作『さらば、愛の言葉よ』で、彼にしか創造し得ない新感覚の3D技法で観客を驚かせたゴダール監督が今作では、枯渇することのないイメージと音を多用し、観客の想像力を縦横無尽に刺激する 84 分間のアート体験を約束する。
私たちに未来を語るのは“アーカイヴ”である
——ジャン=リュック・ゴダール