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ポーランドの映画監督であるクシシュトフ・キェシロフスキのキャリアは、70年代の短編ドキュメンタリーからはじまり、80年代を中心にポーランドで撮られた長編劇映画で海外映画祭の大きな評価を受けました。そしてポーランドとフランスを跨いで作られる「ふたりのベロニカ」、ヨーロッパ統合とフランスの三色旗をテーマに作られた「トリコロール」三部作へとつながります。今回上映するのは晩年の四作品です。

キェシロフスキ監督は1996年にこの世を去りますが、その後も多くの映画人に影響を与えたポーランドの巨匠です。いまでは普通になった国際的な映画作りもさることながら、一人の映画作家が個人の感情を中心に扱ってここまで大きな規模の映画を撮る機会は珍しかったと言えるでしょう。偶然と運命のわずかな隙間に生まれる人々の感情の揺らぎを繊細にとらえるキェシロフスキの映像。ドキュメンタリーからキャリアを積み上げて作り上げたそのつまびらかなまなざしと、驚くほど綿密に計算されたイメージと隠喩に富んだ表現が人間にとって普遍的で哲学的な問いへと向かう姿はいまもなお多くの人に示唆を与えるでしょう。

『ふたりのベロニカ』では同日同刻に生まれた姿も名前もおなじベロニカであるふたりの女性にまつわる物語が描かれています。誰かの人生を通して、自分の人生を想像する。それは映画や小説にはよくあることかもしれません。しかしただの写し絵に自分を重ねることよりもさらに、そこに密接なつながりを見つけ、関係を築いてしまったとしたら、それは想像にとどまらない運命的な変化へとつながっていってしまいます。キェシロフスキは「『ふたりのベロニカ』は純粋感情の映画だ」と言っています。その感情が出来事を通して伝播し、最果てまでたどり着くこの映画の感情の旅は、数奇な運命としか言いようのない不思議な説得力に支えられているのです。

「トリコロール」三部作の一作目『青の愛』では亡き作曲家が残した「欧州統合のための協奏曲」という楽曲にまつわる物語でもあるのですが、この頃はまだEURO(ユーロ)が通貨として使われていません。この映画の企画は1992年にマーストリヒト条約がヨーロッパ諸国で調印され、EC(欧州諸国共同体)からEU(欧州連合)が発足するときに撮影されました。この「トリコロール」三部作ではフランス革命の「自由」「平等」「博愛」の精神を踏まえ、大きな理想に向かって進みつつも、現代ヨーロッパの民族の抑圧や対立に危ぶまれるヨーロッパの姿と共に描こうとしているのです。

事故に合う直前の車体の下からのカットで始まる『青の愛』、空港のベルトコンベアの上で運ばれる荷物のカットで始まる『白の愛』、電話線をたどるカットから始まる『赤の愛』。それぞれは、交通、物流、通信とグローバリズムと密接に関わったテーマを扱っています。登場人物たちがそのテーマと触れ合うシーンを再見したとき、「トリコロール」のささいな夢が最後にドーバー海峡のフェリー事故の奇跡へと結実する姿を、いま私たちは存続を危ぶまれる現在のEUの姿を通して考えることができます。個人の感情と向き合いながらヨーロッパの夢を紡ぐこのささやかな願いに私たちはいまどう向き合うことができるのでしょうか?

(ぽっけ)

ふたりのベロニカ
La double vie de Veronique
(1991年 フランス/ポーランド/ノルウェー 98分 ブルーレイ ビスタ) pic 上映日 1/20(土)、22(月)、24(水)、26(金)
■監督・脚本 クシシュトフ・キェシロフスキ
■脚本 クシシュトフ・ピェシェヴィチ
■撮影 スワヴォミル・イジャック
■音楽 ズビグニェフ・プレイスネル

■出演 イレーヌ・ジャコブ/フィリップ・ヴォルテール/サンドリーヌ・デュマ/ルイ・デュクルー

■1991年カンヌ国際映画祭主演女優賞、国際批評家連盟賞、全キリスト協会賞受賞

©1991 SIDERAL PRODUCTIONS S.A.

世界のどこかに私と同じあなたがいる・・・

pic 同じ年、同じ日、同じ時刻に生まれた二人のベロニカ。一人はポーランドで、音楽の舞台に合格が決まり、初めての舞台で胸の痛み感じ、突然の死を迎えてしまう。もう一人はパリで子供たちに音楽を教える先生で、ある日、人形劇の人形使いのアレクサンドルに出会い恋をする。もう一人のベロニカをそばに感じる不思議な出来事が起こる中、一本のテープがベロニカの元に送られ、その録音された音を頼りにカフェに行くとそこにはアレクサンドルがいて…。

picポーランドとフランスで同時代を生きる二人のベロニカを巡る、幻想的で不思議な物語。運命、偶然、奇跡、孤独、そして愛――キェシロフスキ的主題に溢れた大ヒット作。「彼女なしではこの映画はつくり得なかった」と監督にいわしめた、イレーヌ・ジャコブの純粋な美しさが最大限に引き出されている。ジャコブは本作でカンヌ映画祭主演女優賞を受賞した。

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トリコロール/青の愛
Trois couleurs: Bleu
(1993年 フランス/ポーランド/スイス 99分 ブルーレイ ビスタ)
pic 上映日 1/20(土)、22(月)、24(水)、26(金)
■監督・製作・脚本 クシシュトフ・キェシロフスキ
■脚本 クシシュトフ・ピェシェヴィチ
■脚本協力 アグニェシュカ・ホランド/エドヴァルト・ジェブロフスキ
■撮影・脚本協力 スワヴォミル・イジャック
■音楽 ズビグニェフ・プレイスネル

■出演 ジュリエット・ビノシュ/ブノワ・レジャン/エレーヌ・ヴァンサン/フロランス・ペルネル

■1993年ヴェネチア国際映画祭金獅子賞、主演女優賞、撮影賞受賞

©1993 MK2 Productions / CED Productions / FR3 Films Productions / CAB Productions / Studio Tor

青の愛――なにものにも縛られない自由な人生

picドライブ中の不慮の事故で、夫と幼い娘を一度に失ったジュリー。自殺を図るが死にきれず、絶望のまま病院から退院した彼女は、著名な作曲家であった夫の協力者オリヴィエに書類の整理をまかせ、広大な屋敷と財産をすべて処分した。からっぽになった家で過ごす最後の夜。ジュリーは突然オリヴィエを呼び出し、二人は激しく愛し合う。オリヴィエにとっては彼女に対する秘めた愛が報われた瞬間だった。しかし翌朝、ジュリーは一人パリへ出発してしまう――。

pic フランス革命の精神「自由、平等、博愛」を込めたフランス国旗、青、白、赤。このトリコロールをモチーフに三つの独立した物語でありながら、それぞれが運命という接点を持ち合わせ、交錯するというコンセプトで構想された三部作の一作目。テーマは“愛の呪縛(記憶)からの自由(再生)”。ジュリエット・ビノシュが愛する夫と子供を突然の事故で亡くした妻の絶望と再生を見事に演じ、彼女の代表作となった。

ブルーを基調にした神秘的な映像と、随所に出てくる青色の小物がさらに物語の深さと広がりを感じさせる。そこに監督の盟友・プレイスネルが見事な音の世界を融合させ、音楽の映像化ともいえる作品である。

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トリコロール/白の愛
Trois couleurs: Blanc
(1994年 スイス/フランス/ポーランド 92分 ブルーレイ ビスタ)
pic 上映日 1/21(日)、23(火)、25(木)
■監督・脚本 クシシュトフ・キェシロフスキ
■脚本 クシシュトフ・ピェシェヴィチ
■脚本協力 アグニェシュカ・ホランド/エドヴァルト・ジェブロフスキ
■撮影・脚本協力 エドヴァルト・クウォシンスキ
■音楽 ズビグニェフ・プレイスネル

■出演 ジュリー・デルピー/ズビグニエフ・ザマホフスキ/ヤヌシュ・ガイヨス/イェジィ・シュトゥール

■1994年ベルリン国際映画祭 銀熊賞(監督賞)受賞

©1993 MK2 Productions / France 3 Cinema / CAB Productions / Film Studio Tor

白の愛――平等はまやかし。最後に勝つのは愛

pic パリに住むポーランド人の美容師のカロルは、慣れない外国暮らしで一時的に性的不能となってしまう。フランス人の妻ドミニクは、それが愛の終わりだと裁判所に離婚請求を申し立てた。失意のカロルは地下鉄の通路でミコワイという同国人と知り合う。ミコワイの協力でなんとか故郷に帰り着いたカロル。ミコワイと始めた事業が上手くいき大金を手に入れた彼は、愛を取り戻すためドミニクをポーランドに来させる計画を思いつくが…。

pic三部作のなかでもっともユーモラスでペーソスに溢れた物語。舞台がパリからキェシロフスキの故郷ポーランドへ移行したことで、さらに作品の中に暖かい視点を見出すことができる。語られるのは“愛に平等は存在するのか”。妻に捨てられた男と、失って初めて愛に気づく女。一途な愛を捧げることが愛の弱者となるならば、“愛”には“立場”という駆け引きなくして交わすことができなくなってしまう。純粋に妻を愛し続ける夫役には、ポーランド屈指の人気俳優・ズビグニェフ・ザマホフスキ。この物語は彼のために書かれた脚本だったという。厳しいオーディションでヒロイン役を射止めたジュリー・デルピーの小悪魔的魅力も素晴らしい。

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トリコロール/赤の愛
Trois Couleurs: Rouge
(1994年 スイス/フランス/ポーランド 96分 ブルーレイ ビスタ)
pic 上映日 1/21(日)、23(火)、25(木) ■監督・脚本 クシシュトフ・キェシロフスキ
■脚本 クシシュトフ・ピェシェヴィチ
■脚本協力 アグニェシカ・ホランド/エドヴァルド・ジェブロスキ
■撮影・脚本協力 ピョートル・ソボチンスキ
■音楽 ズビグニェフ・プレイスネル

■出演 イレーヌ・ジャコブ/ジャン=ルイ・トランティニャン/フレデリック・フェデール/ジャン=ピエール・ロリ

■1994年アカデミー賞監督賞、脚本賞、撮影賞ノミネート/カンヌ国際映画祭正式出品

©1994 MK2 Productions / France 3 cinema / CAB Productions / Film studio TOR

赤の愛――博愛という名の美しすぎる概念

picモデルの仕事をしている女学生のバランティーヌは、ある日、車で犬をはねてしまう。首輪を頼りに飼い主を訪ねるが、その初老の男の反応は冷たく、バランティーヌは犬を部屋に連れ帰った。しばらく経ったある日、彼女のもとに差出人不明の多額の現金書留が届く。回復した犬が逃げ出し、もう一度飼い主の家に行くことになったバランティーヌは、現金書留の送り主がその男だと知る。男は元判事で、他人の電話を盗聴するのが趣味だという…。

pic 三部作の最後にふさわしいテーマは、博愛<すべてを包み込む、無垢な愛>。心を閉ざす元判事が女学生の優しさに触れ、やがて心を開いていく――。『ふたりのベロニカ』で、キェシロフスキのミューズとして見出されたイレーヌ・ジャコブと、『暗殺の森』の名優、ジャン=ルイ・トランティニャンの競演による愛の物語は、三部作の最終章にして、監督の遺作となってしまった。青、白、赤。三つの物語が見事に絡み合うラストは、キェシロフスキが描き続けてきた“運命”と“偶然”、そして“愛”についての奇跡の集大成である。

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