早稲田松竹クラシックスvol.144/ジャン=リュック・ゴダール監督特集

ルー

最初期の短編から近年に至るまで、ゴダール映画はいつも大変におしゃべりでした。多くの登場人物たちが饒舌なのにとどまらず、画面いっぱいに文字が大量にあふれたり、ナレーションが頻繁に挿入されたりすることも珍しくありません(しかもかなりの頻度でゴダール自身が担当したりします)。さらに映画音楽の範疇にとどまらない音の際立ち方(=自己主張)や特異なイメージの洪水も観客へのメッセージと解釈するなら、ゴダールの作品を観ることは、マシンガンのように放たれる「言葉」に飲み込まれる体験だとすら言えると思います(しかもそれが時に難解だったりするので、好き嫌いが極端に分かれます)。

しかしそれほど長期に渡って饒舌でありつづけるということは、逆にいえば自分と他者(世界)との距離がどれほど言葉を重ねても埋まらない、ということではないでしょうか。特に通常の劇映画の約束事が通用しない彼の作品を観るとき、物語よりその背後にいる(作品によっては出演してもいる)ゴダールのことを意識せざるを得ません。そしてそこに見えるゴダールは、不器用にも不断に自分の言語で世界と対話を試み続けているように見えます。

「たしかに俺は話し過ぎだ。孤独な男はしゃべりすぎる」
『気狂いピエロ』のパーティのシークエンスでベルモンドが口にするこのセリフは、ゴダールという映画作家の本質を端的に語った言葉だと思えてなりません。時に映画の神様とまで称されるゴダールですが、人間界にはいられない神様であることは、やはり孤独なことだと思います。それでも、いやだからこそ90歳近くなっても彼は映画を作り、私たちに問いつづけずにはいられないのだと思います。そしてそんな姿に心打たれるからこそ、私は彼の映画を見続けてきたのだと思います(作品によってはついていけず、ぐったりしてしまうこともありますが)。

今回上映する『勝手にしやがれ』と『気狂いピエロ』がどれほど世界に衝撃を与え、時を経ても世界中で愛されてきたかは言うまでもありません。この二本が特別に愛される要因の一つには、他の作品以上にゴダールの実直な気持ちがナイーヴなまでに画面から溢れ出て、私たちの心を震わせるからだと思います(前者は極貧の中で生まれた作品であり、後者はミューズであるアンナ・カリーナとの蜜月の終焉が色濃く反映されています)。
ゴダール初心者も上級者も、時代を超えてスクリーンから響くゴダールの魂の叫びにぜひ耳を傾けて下さい。

気狂いピエロ
Pierrot le Fou

ジャン=リュック・ゴダール監督作品/1965年/フランス・イタリア/105分/DCP/シネスコ

■監督・脚本・台詞 ジャン=リュック・ゴダール
■原作 ライオネル・ホワイト
■製作 ジョルジュ・ドゥ・ボールガール/ディノ・デ・ラウレンティス
■撮影 ラウール・クタール
■美術 ピエール・ギュフロワ
■音楽 アントワーヌ・デュアメル

■出演 ジャン=ポール・ベルモンド/アンナ・カリーナ/グラツィエラ・ガルヴァーニ/ダーク・サンダース/サミュエル・フラー/ジミー・カルービ/レイモン・ドボス/ジャン=ピエール・レオー

©StudioCanal

【2019年3月16日から3月22日まで上映】

また見つかった! 何が? 永遠が 太陽と共に去った 海が

フェルディナンは、金持ちの妻との生活に退屈し、逃げ出したい衝動に駆られていた。そんなある夜、夫婦がパーティに出かけるため、幼い娘のベビーシッターがやって来る。彼女はなんと、かつての恋人マリアンヌだった。パーティを抜け出し、1人で帰宅したフェルディナンは、彼女を車で送り、そのまま一夜を共にする。翌朝目覚めると、彼女の部屋に、首にハサミを突き立てられた男の死体が。驚く彼とは裏腹に、平然と朝食を作り歌うマリアンヌ。フェルディナンは、わけは後で話すという彼女と一緒に、着の身着のままでパリを後にし、マリアンヌの兄がいる南仏へ向かうが…。

35歳のゴダールが、長編10作目で到達したヌーヴェル・ヴァーグ波高の頂点! 目くるめく引用と色彩の氾濫。 饒舌なポエジーと息苦しいほどのロマンチスム。
『勝手にしやがれ』以来の盟友である撮影のクタール、ゴダールのミューズでありながらゴダールと離婚したばかりのカリーナ、『勝手にしやがれ』で大スターになりこの映画でゴダールと決別することになるベルモンド。各自がキャリアの臨界点で燃焼しつくした奇跡的傑作! デジタル・リマスター、寺尾次郎新訳版。

勝手にしやがれ
Breathless

ジャン=リュック・ゴダール監督作品/1960年/フランス/90分/DCP/スタンダード

■監督・脚本・台詞 ジャン=リュック・ゴダール
■原案 フランソワ・トリュフォー
■監修 クロード・シャブロル
■製作 ジョルジュ・ドゥ・ボールガール
■撮影 ラウール・クタール
■音楽 マルシャル・ソラル

■出演 ジャン=ポール・ベルモンド/ジーン・セバーグ /ダニエル・ブーランジェ/ジャン=ピエール・メルヴィル/アンリ=ジャック・ユエ

■1960年ジャン・ヴィゴ賞/1960年ベルリン映画祭最優秀監督賞

©StudioCanal

【2019年3月16日から3月22日まで上映】

あなたに愛されたい でも同時に――もう愛してほしくない

自動車泥棒の常習犯ミシェルは、マルセイユで盗んだ車を走らせパリに向かう。その道中、白バイに追いかけられ、咄嗟に車中にあった拳銃で警官を射殺してしまうミシェル。パリに着いた彼は、アメリカ人の留学生パトリシアに会いに行く。2人は南仏の海岸で出会いベッドを共にした仲。けれど、記者志望の彼女はミシェルの誘いを蹴り、新聞社の男に会いに行ってしまう。仕方なく彼女の部屋に無断で入り込み、一夜を明かすミシェル。翌朝、彼と他愛無いひと時を過ごしたパトリシアは、有名作家の記者会見に参加するためにオルリー空港へ。一方、新聞に「警官殺し逃走犯」として大きく顔写真が載ったミシェルは、パトリシアのところにまで刑事が事情聴取にやって来て、次第に追い詰められていく…。

1959年初冬のパリの試写室は興奮に包まれた。新人ゴダールの長編第一作目「勝手にしやがれ」の誕生である。編集も、撮影も、演技も、脚本も、演出も、ことごとくタブーに挑戦し、タブーを打ち破っていた。常識からいえば失敗作のはずのこの映画には、青春のアナーキーなロマンチスムが、みずみずしく、輝いて脈打っていた。28歳のゴダール、26歳のベルモンド、20歳のセバーグが、映画に革命を起こした、ヌーヴェルヴァーグの金字塔。デジタル・リマスター、寺尾次郎新訳版。