パズー
今週の早稲田松竹は、ヴィム・ヴェンダース監督特集。<ロード・ムービー三部作>と言われる3本『都会のアリス』『まわり道』『さすらい』と『アメリカの友人』の、初期の4作品を上映します。
「誰もがオン・ザ・ロードなんだ」とヴェンダースは言います。オン・ザ・ロード――旅の途中。
ヴェンダースの映画に出てくるのは、孤独に慣れている(慣れてしまっている)人ばかりです。一か所にとどまらず、ひとつの関係に縛られない人たち。誰かと繋がったり離れたり、そこに明確な理由もなく、時の流れのままに生きている人たちです(『さすらい』のドイツ語原題「Im Lauf der Zeit」の意味は“時の流れのままに”だそう)。
『都会のアリス』『まわり道』『さすらい』すべてに主演しているリュディガー・フォーグラー。人懐っこい面持ちながら一匹狼の役柄が良く似合います。旅の途中で、たくさんの出会いや別れを通過する彼の姿は、気楽だけれど哀愁を帯びています。
『アメリカの友人』ではデニス・ホッパーとブルーノ・ガンツの寂しげな眼差しが印象的です。彼らが奇妙で危うい友情で繋がれば繋がるほど、人はどうしたって孤独な存在であることを突きつけられます。
でも、孤独であることは決して悲しいことではありません。ヴェンダースのロード・ムービーを観れば、旅に出たいと思うだけではなく、独りになって人生について考えてみたくなるでしょう。慣れ親しんだ日常から切り離される旅の途中では、すべてが自由で、自分だけが行く先を決められるのです。あるいは決めなくても良い、ただ成り行きに身を任せれば良いのかもしれません。
旅と人生は似ている。ありふれた言葉ですが、今週の上映作品を表すぴったりの言葉です。『パリ、テキサス』『ベルリン・天使の詩』というマスターピースの前に撮られた作品たち。盟友ロビー・ミューラーによる詩的な映像、移動し続ける登場人物、アメリカへの特別な感情――ヴェンダース作品の定型がすでに確立されていたのだとわかる、珠玉の4本をお楽しみください。
都会のアリス 2Kレストア版
Alice in the Cities
■監督 ヴィム・ヴェンダース
■脚本 ヴィム・ヴェンダース/ファイト・フォン・フェルステンベルク
■撮影 ロビー・ミューラー
■編集 ペーター・プルツィゴッダ/バルバラ・フォン・ヴァイテルスハオゼン
■音楽 CAN
■出演 リュディガー・フォーグラー/イェラ・ロットレンダー/リザ・クロイツァー/エッダ・ケッへル
©︎ Wim Wenders Stiftung 2014
【2022年8月27日から9月2日まで上映】
不思議な少女アリスと出会いさすらいの旅に詩情とやさしさがきらめく
アメリカでの仕事がうまくいかずドイツに帰国しようとした青年フィリップは、空港で足止めをくらい、そこで同じくドイツへ帰国しようとしていた母娘と出会う。母親リザは、一方的に娘アリスを彼に託して姿を消してしまい、途方にくれた二人は、アリスの記憶を頼りに彼女の祖母を訪ねる旅へと出発する。
道中の二人の何気ない仕草やユーモラスな会話も本作の魅力となっている。
アリスに出会うときのフィリップは、自分を、写真も撮るルポ・ライターで旅人だと思っています。出会って間もなく彼は、アリスが自分よりも旅をかさねた旅人だと気づく。ジュークボックスで<オン・ザ・ロード・アゲイン>が流れるシーンはもちろん大事なシーンです。この映画では誰もがオン・ザ・ロードなのです。アリスには特にそうでしょう。
「都会のアリス」が、私のロードムービーの第1作であり、私なりのメソッドと言語を発見させてくれ、映画がよろこびであること、そして自己を表す方法であることを教えてくれた作品でありえたとして言うなら、今私が準備している『夢の涯てまでも』は、「都会のアリス」にめばえていたすべての萌芽の集大成として、究極のロード・ムービーになる映画です。 ――ヴィム・ヴェンダース(88年日本公開当時のフライヤーより抜粋)
まわり道 4Kレストア版
Wrong Move
■監督 ヴィム・ヴェンダース
■脚本 ペーター・ハントケ
■撮影 ロビー・ミューラー
■編集 ペーター・プルツィゴッダ
■音楽 ユルゲン・クニーパー
■出演 リュディガ-・フォグラ-/ハンナ・シグラ/ナスターシャ・キンスキー/ペータ ー・ケルン
©︎ Wim Wenders Stiftung 2015
【2022年8月27日から9月2日まで上映】
北のエルベ川から南の高峰ツークシュビッツェ山へ 青年が縦断するロマンとドイツ現代史の旅
母親と二人で暮している作家志望の青年ヴィルヘルム。何も書くことができないでいた彼は、母親の勧めで作家としての才能を見出すため旅に出る。道中、芸人ラエルテスと少女のミニョン、女優のテレーゼ、放浪詩人ベルンハルトたちと出会いゆきずりの旅をともにする。何ら共通点のない彼らが様々な事を語り合い旅を続けるなかで、意外な過去が明らかになり、思いもよらない事態へと展開していく…。
『まわり道』は1975年発表のヴィム・ヴェンダースの長篇第5作で、74年の『都会のアリス』、76年の『さすらい』とともにW.W.(ヴィム・ヴェンダース)の<ロード・ムービー3部作>として知られている。ゲーテの≪ヴィルヘルム・マイスターの修業時代≫を土台にして19世紀ロマン主義の風土を現代にとらえなおし、旅のなかでドイツ現代史を浮かび上がらせていく野心的なテーマで、3部作のなかで重要な中核をなしている。
200年前に書かれたゲーテの≪ヴィルヘルム・マイスターの修業時代≫を現代ドイツに設定して映画化する構想は、W.W.がペーター・ハントケ(脚本)とふたりで思いついたもので、FALSCHE BEWEGUNG(まわり道、というよりは、まちがった動き)という題名はシナリオですでに決定していたという。重いテーマでありながら、のほほんとした明るさが全篇に一貫しているのは、ゲーテだけでなく、アイヒェンドルフや画家のフリードリッヒの影響や、W.W.自身の気質だろう。 (1989年日本公開当時のプレスより抜粋)
さすらい 4Kレストア版
Kings of the Road
■監督・脚本 ヴィム・ヴェンダース
■撮影 ロビー・ミューラー/マルティン・シェーファー
■編集 ペーター・プルジゴッダ
■音楽 インプルーヴド・サウンド・リミテッド
■作曲 アクセル・リンシュテット
■出演 リュディガー・フォグラー/ハンス・ツィッシュラー/リザ・クロイツァー/マルクアルト・ボーム/ルドルフ・シュントラ―/ペーター・カイザー
■第29回カンヌ国際映画祭国際映画批評家連盟賞受賞
©︎ Wim Wenders Stiftung 2014
【2022年8月27日から9月2日まで上映】
東西ドイツの辺境をさすらう男ふたりの出会いと友情と別れの旅
大型ワゴンに乗り、フィルム運びや映写技師の仕事をしているブルーノは、ある朝、“カミカゼ”のように猛スピードの車で河に突っ込んだ男ローベルトと出会う。意気投合した二人は旅をともにし、男の友情と出会いの物語が紡がれる。
ロードムービー三部作の完結編となる本作は、スタッフが実際に旅をしながら撮影する即興演出を採用し、ヴェンダースが国際的に注目を浴びるきっかけとなった。
脚本のかわりに撮影クルーが受け取ったのは、旅程を書き込んだ15ページほどのシノプシスだったという。脚本を用意するかわりに、ヴェンダースは撮影の舞台となる町や道や風景を、シナリオ・ハンティングやロケーション・ハンティングを上まわる綿密さで3回にわたって旅している。物語が、撮影に入ってからの現場で自ら動きだし自ら展開していくのにゆだねるために、脚本以上のイメージだけを準備したのだと言えるだろう。
≪旅は人が潜在的に変わろうとしていたものを明らかにする。人と人との関係だけでなく、人それぞれの内容での変化。旅によって人物たちはルーティーンの外に出る。もちろん、どこに向かってどう変わっていこうとするのかは分からないにしても、元いた所に戻るのではないことは確かだ。自分の状況を新たな目で見つめることがきで、変わることが可能だと感じる。だから旅のテーマに魅かれる≫とヴェンダースは言う。(1989年日本公開当時のプレスより抜粋)
アメリカの友人 4Kレストア版
The American Friend
■監督・脚本 ヴィム・ヴェンダース
■原作 パトリシア・ハイスミス
■撮影 ロビー・ミューラー
■編集 ペーター・プルジゴッダ
■音楽 ユルゲン・クニーパー
■出演 デニス・ホッパー/ブルーノ・ガンツ/リザ・クロイツァー/ジェラール・ブラン/ニコラス・レイ/サミュエル・フラー/ペーター・リリエンタール/ダニエル・シュミット/サンディー・ホワイトロー/ジャン・ユスターシュ/ルー・カステル
©︎ Wim Wenders Stiftung 2014
【2022年8月27日から9月2日まで上映】
ハンブルグの額縁職人と「アメリカの友人」の危険な友情――完全犯罪のサスペンスロマン
贋作をさばくアメリカ人画商のリプリーは、オークション会場で額縁職人ヨナタンと出会う。彼が病で余命いくばくもないことを知ったリプリーは殺人の仕事を紹介し、妻子のために金を残したいヨナタンは依頼を引き受ける。
ヴィム・ヴェンダース監督31歳の長編第7作で、推理作家パトリシア・ハイスミスの原作によるサスペンス・ロマンの傑作。ヴェンダースは、原作の設定を微妙に緻密に逆転させたシナリオと、鮮烈で豪快なカメラワークとを拮抗させて現代の狂気と不安とを大きく描き出した。
贋作画家を演じるニコラス・レイをはじめ、サミュエル・フラー、ジャン・ユスターシュ、ダニエル・シュミットなど、ヴェンダースが敬愛する映画監督陣が脇を固める。
私は、パトリシア・ハイスミスの小説を10年程前に初めて読んだときから、いつか映画化したいとずっと思っていました。ハイスミスの小説には、小説よりむしろ映画にしかないような魅力があると私には思えます。登場人物がアクションや筋の展開に追われ、むしろストーリーを語り始める機能しかない普通の犯罪小説とは逆で、ハイスミスの場合は人物がストーリーを動かしていくのです。(中略)そこではすべてがディテールなのであり、それぞれがユニークである。ひとつの先例も類型もない。これこそ、私の仕事のメソードと共通なところです。私は自分の仕事を、ストーリーを操作するというより、ドキュメントすることだと考えているからです。『アメリカの友人』は、こうした私の望みを可能にしてくれました。――ヴィム・ヴェンダース「アメリカの友人」を語る(1987年日本公開当時のプレスより抜粋)