2025.10.30
【スタッフコラム】わが職場の日常 by KANI-ZO
「Team Asia」
暑さも和らぐ日も増えてまいりました。いよいよ映画シーズンの到来です。私は、10月9日~16日に開催された、山形国際ドキュメンタリー映画祭2025(以下、YIDFF 2025※)に映写スタッフとして初めて参加してきました。
この映画祭の始まりは1989年10月。山形市制施行100周年記念事業として、第1回YIDFFが開催されました。当時アジアで初の国際ドキュメンタリー映画祭として、大きな注目を集めたそうです。2年に一度、奇数年に開催され積み重ねること今年で19回目です。初開催から続くメイン・プログラムの<インターナショナル・コンペティション>には、129の国と地域(※応募国・地域数は過去最多)から1318本の応募があり、その中から選ばれた15作品が上映されました。スタッフやゲスト、観客、そして作品は国際色豊かで文字通りグローバルな映画のお祭りです。
私は山形生まれ東京育ちでして、両親の実家が山形ということがあり、年に数回山形へ足を運びます。山形の料理や温泉、そして自然が大好きです。いつもは長閑な市内の景色が、映画祭期間中は賑わって異なる景色が見られます。また、今回の映写チームは国内スタッフだけではなく、新たな試みがありました。映写チームのリーダーは、第2回YIDFFから映写をしている大ベテランで、本業は、京都を拠点に移動映写会社を運営している映写技師界隈の大御所です。リーダーを中心に、アジア各国から映写技師を迎え、さらに日本の若手主体で総勢13名の映写チームで、4会場の映写を回しました。
今回のアジア映写メンバーを簡単にですがご紹介したいと思います。
まずコンペプログラムのメイン会場となる山形市中央公民館ホール(通称:AZ/アズ)と山形市民会館大ホールは、5名の映写技師が担当しました。韓国からは、韓国のフィルムアーカイブ「韓国映像資料院」や、ソウルで一番有名なミニシアター「ソウルアートシネマ」、大学の中にある早稲田松竹規模の1スクリーンの映画館「KUシネマテーク」から映写技師3名が参加しました。皆孤独な映写
室を飛び出し、英語、韓国語、そして日本語でコミュニケーションをとります。日本からは韓国語の通訳兼・映写技師と、大学の先生をしながら移動映写を行う二刀流の2名が加わります。韓国チームだけでも英語の堪能な会場運営スタッフさんと英語で現場を回しているのが印象的でした。
次の会場は1984年から山形市に映画を届ける映画館・フォーラム山形です。こちらの担当は地元山形と下北沢のシモキタエキマエシネマK2から参加の日本人2名と、台湾のフィルムアーカイブTFAI(Taiwan Film & Audiovisual Institute/國家電影及視聽文化中心)から台湾人2名です。TFAIは2021年に新しい母屋とピカピカの設備になった注目の施設です。お土産に「乖乖」(グァイグァ
イ)というお菓子メーカーのティッシュを頂きました。グァイグァイとは、おとなしく・お利口にという意味があり、台湾の文化で機械のそばに置くとトラブルを防ぐおまじないがあるそうです。早速、早稲田松竹の映写室に置きました。ちなみに、中国から大阪へ留学している大学院生が、台湾チームの通訳もしてくれました。
最後の会場は、山形市民会館小ホールです。16mm・35mm・デジタルの3種類の素材を上映します。担当は、ベテランリーダーと私。そして、国立映画アーカイブの若手技師がフィルム映写のメインを担います。彼女は、映画祭の「若手映写技師の話を聞く夜」というイベントにも登壇しました。若い人たちが沢山話を聞きに集まったと、目を輝かせて戻ってきたのが印象的でした。
私自身は、担当した会場でいっぱいいっぱいでしたが、毎日仕事終了後にメンバーで夕食を共にし、お互い支えあいながら日々を過ごしました。言語の壁は多少あるものの、映写という共通項が心の距離を縮めてくれました。そしてアジア映写チームで駆け抜けた10日間で得られた友情と経験、知識は私たちの今後の映写のお仕事の貴重な糧となっていくと思います。
映写メンバーの皆様・温かく迎えてくださった映画祭スタッフの皆様、そして熱意溢れるYIDFF 2025参加の観客の皆様。この場をお借りして、感謝申し上げます。
(KANI-ZO)










