【スタッフコラム】シネマと生き物たち byミ・ナミ | 早稲田松竹 official web site | 高田馬場の名画座

2026.02.12

【スタッフコラム】シネマと生き物たち byミ・ナミ

生き物偏愛家にとって、子供のときには身の回りにたくさんいた生き物たちと、しばしの別れを経て嬉しい邂逅を果たす瞬間は何をおいても幸福なものです。先日、自宅の近所の電柱に鮮やかな黄緑色の大きな鳥が留まり、きゃあきゃあ騒いでいるのを見つけました。「あれはもしかして…子供の頃、家の近くの森にいた野良インコなのでは?!」。彼らはワカケホンセイインコ、あるいはオオホンセイインコといいます。1960年代にインドやスリランカからペットとして輸入され始めた外来種ですが、ペットとして飼われていたものが捨てられたりして徐々に野生化。環境適応能力も非常に高く、日本の都心にインコたちを捕食する猛禽類がいなかったことも手伝い繁殖に大成功し、2022年の調べでは東京都を中心に生息する約1000羽にのぼるグループが確認されているのだそうです。

そしてふと、これもまた子供の頃に観たことがある“インコ映画”の記憶がよみがえってきました。今回ご紹介するのは、市川崑監督の『ビルマの竪琴』です。

物語の舞台は、1945年7月のビルマ(現在のミャンマー)。従軍中の日本軍小隊長・井上は、音楽学校出身を生かし部隊で合唱や楽器を教えていて、その中でもとりわけ上等兵の水島は、竪琴の演奏に長けていました。あるとき小隊は思いもよらぬきっかけで日本の敗戦を知り投降を余儀なくされ、水島は付近で抵抗を続ける他の日本軍に降伏を勧めようと、一人で隊を離れ必死に説得を試みます。しかし彼らは最後まで戦うことを選び、全員玉砕。無残な仲間の遺骸を前に悲痛な思いに駆られた水島は、帰国することなく慰霊のために出家を決意するのでした。

本作で最も目を引くのは、やはり水島が肩に乗せていたインコです。市川監督は『ビルマの竪琴』を1956年と1985年、2回映画化しており、コラムを書くにあたり再見しようとしたところ、現在視聴可能なのは1956年のモノクロ版(総集編)のみ。そのため、私の記憶に残っている1985年のセルフリメイク版についてはYouTubeの予告編でしか見ることができませんでしたが、肩に乗るインコは姿かたちからアオボウシインコだと思われます。ちなみに1956年版は、モノクロのため特徴的な色味が分からず、個体差なのかもしれませんが、頭部が少しがっしりしていることなどからアオボウシインコとは違うようにも見えます。

本作のインコは、名優たちに引けを取らない芸達者ぶりを見せます。僧侶となった水島に対し、井上はあらゆる手段で帰国を促すも聞き入れようとしません。井上はインコに「オーイ、ミズシマ、イッショニ、ニッポンニカエロウ」と日本語を覚えこませ、物売りを介して彼に渡します。しかし、帰国の船に乗る井上に届けられたインコは「アア、ヤッパリ、ジブンハ、カエルワケニハ、イカナイ」と、水島の心情を伝え井上を落胆させるのでした。インコの声は話す鳥独特の滑稽な調子にもかかわらず、この場面ではどこか声色が物悲しく、子供心にも忘れられなかった記憶があります。ある文献(※1)によると、市川崑監督はセルフリメイクの理由について、白黒の前作で黄色い僧衣や青いインコ、ビルマの土の赤さを出せなかったことが心残りだったからと話していたそうです。調べてみると、アオボウシインコの生息域は南米でミャンマーにはいないということなので、推測の域を出ませんが、市川監督はアオボウシインコのチャームポイントであるトルコブルーに強く魅了されたのかもしれません。市川監督といえば、アニメーター出身というルーツに由来する洗練された映像美や色彩設計が特徴です。そんな巨匠に見出されて出演となったアオボウシインコ。いつか1985年版の『ビルマの竪琴』で、その動いておしゃべりする姿をしっかり観られることを願っています。

(※1)田村紀之「植民地主義と映画―日韓のポストコロニアル問題―」(国際政経論集(二松學舎大学)第22号,2016年3月)

(ミ・ナミ)