■監督 ケン・ローチ
1936年6月17日、イングランド中部・ウォリックシャー州生まれ。本名はケネス・ローチ。電気工の父と仕立屋の母を両親に持つ。高校卒業後に2年間の兵役についた後、オックスフォード大学に進学し法律を学ぶ。卒業後、劇団の演出補佐を経て、63年にBBCテレビの演出訓練生になり、翌年演出デビュー。67年に『夜空に星のあるように』で長編映画監督デビュー。
2作目『ケス』('69)でカルロヴィヴァリ映画祭グランプリを受賞。その後、ほとんどの作品が世界三大映画祭等で高い評価を受け続けている。カンヌ国際映画祭では、『麦の穂をゆらす風』('06)がパルムドールを獲得し、国際批評家連盟賞を『ブラック・ジャック』('79/未)、『リフ・ラフ』('91)、『大地と自由』('95)が受賞、審査員賞には『ブラック・アジェンダ/隠された真相』('90/未/WOWOWにて放映)、『レイニング・ストーンズ』('93)、『天使の分け前』('12)が輝いている。
・夜空に星のあるように('67)
・ケス('69)
・家庭生活('71)<未>
・ブラック・ジャック('79)<未>
・狩場の管理人('80)<未>
・まなざしと微笑み('81)<未>
・ファザーランド('86)<未>
・ブラック・アジェンダ/隠された真相('90)<未>
・リフ・ラフ('91)
・レイニング・ストーンズ('93)
・レディバード・レディバード('94)
・大地と自由('95)
・カルラの歌('96)
・マイ・ネーム・イズ・ジョー('98)
・ブレッド&ローズ('00)
・ナビゲーター ある鉄道員の物語('01)
・SWEET SIXTEEN('02)
・11'09''01/セプテンバー11('02)※オムニバスの一編
・やさしくキスをして('04)
・明日へのチケット('05)※オムニバスの一編
・麦の穂をゆらす風('06)
・それぞれのシネマ 〜カンヌ国際映画祭60回記念製作映画〜('07)※オムニバスの一編
・この自由な世界で('07)
・エリックを探して('09)
・ルート・アイリッシュ('10)
・天使の分け前('12)
・The Sprit of '45('13)<未>※ドキュメンタリー
・ジミー、野を駆ける伝説('14)
イギリスを代表する映画監督であるケン・ローチの作風はとことんリアリズムだ。2006年のカンヌ映画祭でパルムドールに輝いた『麦の穂をゆらす風』を観ると、戦争とはこんなに地味なものなのかと思う。敵陣から盗んで調達する武器集め、手入れされていない野山での戦闘訓練、家族や地元の友人どうしで結成された部隊。仲間内の裏切り者の遺体を、主人公は幼馴染でもある彼の母親のもとに届ける。銃殺したのはほかでもない自分だというのに。ほかの戦争映画では見たことがない、土臭い、生身の殺し合いに言葉がなくなる。アイルランド内戦によって引き裂かれる兄弟の悲劇の物語は、その厳しいほどのリアリティゆえに歴史を知らない者にも突き刺さる。
内戦後の1930年代のアイルランドに実在した活動家を描いた新作『ジミー、野を駆ける伝説』でもそれは変わらない。ジミー・グラルトンはかつて追われた故郷に10年ぶりに帰り、村の若者たちのためコミュニティ・ホールの再建を決意する。ローチは、ホールの雰囲気を再現することを何よりも大事だと考え、実際の場所に本物の建物を造り、地元のキャストを使い、ホールのダンスシーンで流れる音楽も生演奏を使用している(派手な演出のないこの作品の製作費は、今までのローチ作品の中でもかなり上位になるものだったという)。
ケン・ローチは、1967年のデビュー作『夜空に星のあるように』から一貫して労働者階級や第三世界の人々を描いてきた。彼の映画を観ることを、実は少しだけ億劫に感じてしまう自分がいた。社会派という肩書を正々堂々と背負うこの巨匠の作品を観る時、こちらもなんとなく襟を正さねばという気分になるからだ。しかし、『ジミー、野を駆ける伝説』を観て、ローチの作品には厳しさと同じくらい、優しさがあることに気がついた。
「手を見て下さい、爪には泥が。僕は学者ではない。」と、ジミーは言う。村人が自由を手にするために奔走する英雄ジミーと、彼を慕い、彼のもとに集まり声をあげる人々。ローチは、その私利私欲のない信頼関係や、“普通に”暮らすことの素晴らしさを、決して押しつけがましくなく謳いあげる。優しくて、冷静で、まっとうな映画である。
『麦の穂を揺らす風』がパルムドールを受賞した時、ローチはこうスピーチした。「過去について真実を語れたなら、私たちは現実についても真実を語ることができる。」 2013年に監督したドキュメンタリー映画『The Spirit of '45』(原題)は、1945年のイギリス総選挙で労働党が政権を握った時代を扱っている。この映画をきっかけに、イギリスでは左派の新政党レフト・ユニティーが誕生した。ローチ自身が発起人となったこの政党は、イギリスの左派政治運動に新しい歴史を作っている。
過去に起きた実際の出来事を扱いながら、自身の信念を描き、現代の私たちへの警告を鳴らすケン・ローチ。今週の二本立ては、1920〜30年代のアイルランドを舞台にした二本、『麦の穂をゆらす風』と『ジミー、野を駆ける伝説』です。
(パズー)
麦の穂をゆらす風
THE WIND THAT SHAKES THE BARLEY
(2006年 アイルランド/イギリス/ドイツ/イタリア/スペイン 126分 ビスタ/SRD)
2015年5月23日-5月29日上映
■監督 ケン・ローチ
■製作 レベッカ・オブライエン
■脚本 ポール・ラヴァティ
■撮影 バリー・エイクロイド
■編集 ジョナサン・モリス
■音楽 ジョージ・フェントン
■出演 キリアン・マーフィー/ポードリック・ディレーニー/リーアム・カニンガム/オーラ・フィッツジェラルド/メアリー・リオドン/メアリー・マーフィー/ローレンス・バリー
1920年のアイルランド。長きにわたるイギリスの支配のもとで、アイルランドの人々の暮しは苦しいものだった。富と繁栄は、イギリス人の支配階級や、イギリスに協力的な一部のアイルランドの富裕層に限られていた。飢饉、立ち退き、貧困が市井の人々の宿命だった。
そんな時代に、医師になる将来を捨て、兄とともにイギリス支配からの独立を求める戦いに身を投じる青年デミアン。やがて戦いは終わり、ついにイギリスはアイルランドの独立を認める。しかし今度は、アイルランド人同志が敵味方になる内戦が始まり、デミアンと兄、そして恋人シネードとの絆をも引き裂いていく…。
アルモドバル、カウリスマキ、イニャリトゥら有名監督たちが勢揃いした2006年のカンヌ国際映画祭で、見事最高賞に輝いた『麦の穂をゆらす風』。カンヌの観客たちは上映が終わるや、過去の傷跡を勇気をもって描いたケン・ローチ監督への尊敬と熱い感動で、10分以上もの喝采を贈った。映画祭での上映前から、その内容を巡って「反英国映画」などとも批判されたこの作品を、審査員たちは全員一致でパルムドールに選んだのだ。
イギリスによる弾圧に耐えかね、独立を求めて戦いはじめるアイルランドの若者たち。ついに英国軍はアイルランドから去るが、今度は講和条約の内容をめぐってアイルランド人同志が対立、やがて内戦へと向かう…。本作のタイトルは、レジスタンス活動に身を投じる青年の悲劇を歌ったアイリッシュ・トラッドの名曲から取られている。この歌で歌われた悲しみ、映画に描かれた悲劇は、今も世界のどこかで繰り返されている。「過去について真実を語れたなら、私たちは現実についても真実を語ることができる。」と語ったローチ監督。自由のために戦った名もなき人々の涙が深い感動を呼ぶ。
ジミー、野を駆ける伝説
JIMMY'S HALL
(2014年 イギリス/アイルランド/フランス 109分 ビスタ)
2015年5月23日-5月29日上映
■監督 ケン・ローチ
■製作 レベッカ・オブライエン
■脚本 ポール・ラヴァティ
■撮影 ロビー・ライアン
■編集 ジョナサン・モリス
■音楽 ジョージ・フェントン
■出演 バリー・ウォード/シモーヌ・カービー/ジム・ノートン/フランシス・マギー/アイリーン・ヘンリー/アシュリン・フランシオーシ/アンドリュー・スコット
悲劇的な内戦後のアイルランド。ジミー・グラルトンがアメリカから10年ぶりに故郷の地を踏んだ。仲間たちに歓待されたジミーは年老いた母親との平穏な生活を望んでいたが、村の若者たちから閉鎖された<ホール(集会所)>の再開を訴えられる。
かつてジミー自身が建設したそのホールは、人々が芸術やスポーツを学びながら人生を語らい、歌とダンスに熱中したかけがえのない場所だった。教会の監視が厳しい中、行き場を失った若者の熱意に衝き動かされ、内にくすぶる情熱を再燃させたジミーはホールの再生を決意する。しかし図らずもそれを快く思わない勢力との諍いを招いてしまい…。
1960年代末に劇映画デビューして以来、労働者や移民などにまつわる骨太な映画を撮り続けてきたケン・ローチ監督。この世界に誇る名匠が、アイルランドにおいて唯一、裁判も開かれずに国外追放となった人物の生きざまに感銘を受け、『麦の穂をゆらす風』と同じく、激動のアイルランド近代史を背景にしたヒューマンドラマを完成させた。
ジミー・グラルトンは混迷の時代にリベラルな思想を唱え、庶民の絶大な支持を得た活動家だったが、名の通った歴史上の偉人ではなく、むしろそのプロフィールの細かな部分はほとんど知られていない。弱者救済の政治闘争に身を投じる傍ら、アートや娯楽をこよなく愛したジミー。自由で喜びにあふれる人生の素晴らしさを説いた、この私利なき高潔な男の精神は、時代を越えてなお眩い輝きを放ち、混迷する今を生きる私たちの心を揺さぶってやまない。