■監督 ベルナルド・ベルトルッチ
1941年、北イタリア・パルマ生まれ。父親は著名な詩人で文芸評論家のアッティリオ・ベルトルッチ。その影響もあり、15歳で詩や小説の執筆を始め、いくつかの文学賞を受賞する。
父の友人でもあり、詩壇の先輩でもあるピエル・パオロ・パゾリーニと出会い、61年の『アッカトーネ』で助監督を務める。62年、パゾリーニ原案による『殺し』で監督デビュー。それ以降、『革命前夜』('64)、『暗殺のオペラ』('70)、『暗殺の森』('70)など次々と作品を発表する。
72年の『ラストタンゴ・イン・パリ』は、その大胆な性描写が話題となり本国イタリアでは上映禁止処分を受けるなど物議を醸した。76年には、5時間16分の超大作『1900年』を発表。イタリアの現代史を総括する壮大な叙事詩として高く評価される。87年の『ラストエンペラー』では、米アカデミー賞9部門を受賞し、世界的な成功を収めた。
2003年頃から長らく闘病生活を送っていたが、2012年に『孤独な天使たち』で9年ぶりに復帰した。2011年カンヌ国際映画祭で名誉賞にあたるパルムドール・ドヌール賞を受賞。
・殺し('62)
・革命前夜('64)
・石油の道('65-'66)<未>※テレビ作品
・運河('66)<未>
・ベルトルッチの分身('68)
・愛と怒り('69)<未>※オムニバスの一篇
・暗殺のオペラ('70)
・暗殺の森('70)
・健康は病んでいる('71)<未>
・ラストタンゴ・イン・パリ('72)
・1900年('76)
・ルナ('79)
・ある愚か者の悲劇('81)<未>
・ラストエンペラー('87)
・シェルタリング・スカイ('90)
・リトル・ブッダ('93)
・魅せられて('96)
・シャンドライの恋('98)
・10ミニッツ・オールダー イデアの森('02)※オムニバスの一篇
・ドリーマーズ('03)
・孤独な天使たち('12)
早熟の天才映画監督といえば、いまでは別の監督の名前を先に挙げる人も多いだろうが、映画史において「早熟」の映画を形成し、それを進め続けることができたのは、ベルナルド・ベルトルッチをおいて他にいない。
詩人の父を持ち、自らも詩人としてデビューした後、ピエロ・パオロ・パゾリーニの助監督として『アッカトーネ』を担当、そしてその翌年には21歳で『殺し』を撮る。その2年後に『革命前夜』、30歳になったときにはあの『暗殺の森』を完成させた。
ヌーヴェルヴァーグの影響を強く受けたイタリアの映画監督としてのみならず、ヨーロッパから世界中へとその撮影規模を広げ、国際的な映画監督として活躍したベルトルッチ。多国籍な俳優たちを迎え入れて、『ラストタンゴ・イン・パリ』や『ラストエンペラー』を製作し、国際的な知名度、賞賛、そのすべての名声を手に入れた映画界の大スターになった。
今回上映するパゾリーニの原案から作り上げたデビュー作『殺し』は、一人の殺された娼婦の犯人を巡りながらローマ郊外の人々の暮らしを掘り下げる。同時刻の容疑者たちの行動を追い、一つの雷にフラッシュバックしながらなぞられていく一日を、多くの実験的手法と構成的なアイディアを交錯させ、見事に結実させた傑作だ。
ベルトルッチが他のヌーヴェルヴァーグの作家たちと一線を画すのはその移動撮影(トラヴェリング・ショット)の流麗さだろう。のちに名撮影監督ヴィットリオ・ストラーロとのコンビで、映画史に残る美しいショットを数多く残すことになる移動撮影のセンス(もちろん見事な色彩も忘れてはいけない)。しかし、ベルトルッチ自身はそれをセンスとは呼ばず、「スタイル」「モラル」の問題だといった。
「映画はスタイルだ。スタイルはモラルの問題だ。
移動撮影(トラヴェリング)はモラルの問題だよ」―『革命前夜』より
「パルムの僧院」を元に自伝的な要素を存分に含んだ『革命前夜』は、多くの映画的な記憶とともに、まだ若いベルトルッチ自身の政治的な立場や哲学への逡巡を含んだ、若々しさに貫かれた作品だ。マルクスに傾倒したブルジョアの青年の姿を、才能溢れ、多くの期待を受けながらサラブレッドのように映画界に現れたベルトルッチの姿を重ねながら見ずにはいられない。
ベルトルッチはインタビューでこんなふうに応えている。
映画は現実を映す鏡だと繰り返し言われてきたが、いつも適切さを欠いていた。むしろ様式やアイデンティティを完全に失った現実からは、同じくらい混乱した映画が生まれてくるというのが真実なのだ。ぼくはこう問いかけたい。もし映画が観客を欲しないのだとしたら、どうして観客が映画を欲することができようか?
―ベルナルド・ベルトルッチ「ベルトルッチ、クライマックス・シーン」より
ベルトルッチの映画は多くの実験的な手法も含め、表面的だという批判をされることがある。もちろんその表面から何を読み取るかは観客の自由だ。その自由以上に映画が映画であることはありえない。しかし、映画狂でもありながら、映画の初々しさと柔軟さを持ち合わせながらどこまでもスタイリッシュなこの作家が映画と観客の関係を考えることをやめることはない。
(ぽっけ)
革命前夜【デジタルリマスター版】
PRIMA DELLA RIVOLUZIONE
(1964年 イタリア 112分 ビスタ)
2015年7月11日-7月17日上映
■監督・原案・脚本 ベルナルド・ベルトルッチ
■製作・原案・脚本 ジャンニ・アミーコ
■撮影 アルド・スカヴァルダ
■編集 ロベルト・ペルピニャーニ
■音楽 エンニオ・モリコーネ/ジーノ・パオリ
■出演 アドリアーナ・アスティ/フランチェスコ・バリッリ/アレン・ミジェット/モランド・モランディーニ/クリスティーナ・パリセット/ジャンニ・アミーコ
■1964年カンヌ国際映画祭新進批評家賞受賞/1967年ナント国際映画祭マックス・オフュルス賞受賞
1962年4月。イタリア北部ポー川流域の古都パルマ。ブルジョワの青年ファブリツィオは、左翼思想にかぶれた頭でっかちのエリートだ。彼には、クレリアという婚約者がいたが、マルクス主義者を自認しているが故、ブルジョワの婚約者と決別する決心をする。
ファブリツィオには、同じ年頃の工場主の息子、アゴスティーノという友人がいた。だがある日、彼は川で溺死してしまう。親友の死が重くのしかかり、ファブリツィオは悲壮にくれる日々を送る。そんな中、ミラノから若い伯母のジーナがファブリツィオの家に訪れる。彼女はミラノでの生活に疲弊していた。そんな彼女をファブリツィオは慰め、やがて2人は愛し合うようになるが・・・。
ストーリーの骨格や登場人物の名前はフランスの作家、スタンダールの名作「パルムの僧院」を下敷きにしているが、ベルトルッチの自伝的な作品だと言われている。撮影時22歳にして、同世代の若者の心理を見事に分析し、ブルジョワ階級の青年のアイデンティティーの危機を瑞々しく描き、桁外れの才能をみせる。さらには様々な映画手法を駆使し、当時のベルトルッチのヌーヴェル・ヴァーグへの傾倒ぶりが窺われる作品である。
また、『革命前夜』が故郷パルマでロケされたのを初めとして、『暗殺のオペラ』『1900年』、『ルナ』、『ある愚か者の悲劇』など、ベルトルッチ作品の多くが生まれ故郷のエミーリア地方でロケされている。1964年カンヌ国際映画祭新進批評家賞受賞作。
殺し【デジタルリマスター版】
LA COMMARE SECCA
(1962年 イタリア 92分 ビスタ)
2015年7月11日-7月17日上映
■監督・脚本 ベルナルド・ベルトルッチ
■原案 ピエル・パオロ・パゾリーニ
■脚本 セルジオ・チッティ
■撮影 ジャンニ・ナルツィージ
■編集 ニーノ・バラーリ
■衣装 アドリアーナ・スパダーロ
■音楽 カルロ・ルスティケッリ/ピエロ・ピッチョーニ
■出演 フランチェスコ・ルイウ/ジャンカルロ・デ・ローザ/ヴィンチェンツォ・チッコラ/アルフレード・レッジ/アレン・ミジェット
ローマ郊外のテーヴェレ川で女性の死体が発見された。警察の尋問室に次々と容疑者が呼ばれる。ルチアーノは、女性が殺された日は仕事を探していたと証言。しかし、彼は実はコソ泥で、その日は森で綾瀬を重ねるカップルたちのバッグを狙っていたのだった。もう1人の容疑者のブステッリは、殺された女性に生前高利貸しをしていたエスぺリアのヒモだった。
3人目の容疑者コセンティーノは、休暇中の兵士。事件の日は、ローマの街をぶらつきナンパに明け暮れていた。夜になると、疲れきって公園のベンチで眠ってしまった。警察の取り調べを受ける中、コセンティーノの証言から、その夜、異様な目つきをした男が公園にいたことが判明し、新たな容疑者が浮上する・・・。
イタリア映画史上最年少となる21歳でのベルトルッチ監督のデビュー作。原題は「死神」。原案のパゾリーニが監督するはずだったが、別の作品にとりかかっていたためベルトルッチに白羽の矢がたった。ローマ郊外の庶民地区を舞台に、取り調べの中で語られる容疑者の供述を通して、各々の事件当日が描かれていく。華麗なカメラワーク、フラッシュバックの使用法など、ベルトルッチの映画的才能を充分に堪能できる作品である。