世の中には、いろいろなタイプの指導者<リーダー/マスター>がいる。
教室には教師が、病院には医者が、競技場にはコーチが、家庭には親が、
政治には政治家が、国家には君主が、迷える人々には教祖が、教会には神父や牧師がいる。
彼らは私たちの生活のどこにでも現れ、土地や身体や心にさえ深く根付き、教え導く。
違うのは、その行き先だ。
第16代アメリカ合衆国大統領、エイブラハム・リンカーン。
インディアンに対しては徹底排除の方針を採った一方、黒人奴隷解放を実現し、
今日まで偉人として讃えられている。
その半生を描く映画『リンカーン』で浮かび上がる政治家としての姿。
迷い、苦悩することもあった。ましてや政治とは、一人で成せるものではない。
目的達成のためにはどんな策も厭わないほど強引かつ頑なであったリーダーシップは、
他人を、自分や家族をも傷つけたかもしれない。
入り乱れる敵と味方、飛び交う怒号、策略。
そして、時代は大きな変革を迎える。
『ザ・マスター』が実在する新興宗教団体(サイエントロジー)にインスパイアされているという噂は、
制作会社が否定するものの瞬く間に広がり、世間を騒然とさせた。
確かにこれは宗教団体の話であり、劇中にはセミナーのようなシーンも登場するが、
注目すべきは人間と人間との関係性である。
教祖“マスター”のランカスター・トッドと、ある日突然彼の生活に侵入した青年フレディ・クエル。
破天荒で激情型のフレディが巻き起こす嵐に、ランカスターは自ら進んで飛び込んでいくかのようだ。
そんなランカスターを影で支配する妻、ペギー。
主従関係が入り乱れ、重心の取り方がわからなくなり、情と欲の渦が激しさを増していく。
権力を握っているのは誰か。一体何が起こっているのか。
“何か”は確かに起こっているのだが――
完全に趣を異にしていながら、同じ「指導者」が鍵となる二本。
後から思い返せば、アンダーソン監督の「誰もがこの世をマスターなしで彷徨えるとは思えない」、
この言葉がやけに真実味を帯びて聞える。
しかし、教えられ導かれた私たちが向かう先は一体どこなのか。
破滅か、それとも救済か?
俳優たちの演技から脚本・撮影・編集、
その他ありとあらゆる細部に至るまで超一流の完成度を誇る二本。
じっくりと腰を据えてお愉しみいただきたい。
リンカーン
LINCOLN
(2012年 アメリカ 150分 シネスコ)
2013年8月3日から8月9日まで上映
■監督・製作 スティーブン・スピルバーグ
■製作 キャスリーン・ケネディ
■原案 ドリス・カーンズ・グッドウィン『リンカーン』(中央公論新社刊)
■脚本 トニー・クシュナー
■撮影 ヤヌス・カミンスキー
■音楽 ジョン・ウィリアムズ
■出演 ダニエル・デイ=ルイス/サリー・フィールド/デヴィッド・ストラザーン/ジョセフ・ゴードン=レヴィット/ジェームズ・スペイダー/ハル・ホルブルック/トミー・リー・ジョーンズ
■2012年アカデミー賞主演男優賞・美術賞受賞、他10部門ノミネート/全米批評家協会賞主演男優賞・脚本賞受賞/NY批評家協会賞男優賞・助演女優賞・脚本賞受賞/ゴールデン・グローブ男優賞(ドラマ)受賞、ほか6部門ノミネート、ほか多数受賞・ノミネート
アメリカ史上“最も偉大な大統領”として知られる、エイブラハム・リンカーン。その大きな栄光と裏腹に、彼の大統領としての職務は苦悩の内に始まる。奴隷制の存続を訴える南部の州が合衆国を脱退し、南北戦争が勃発。「すべての人間は自由であるべき」と信じるリンカーンは、<人間の尊厳>と<戦争の終結>の狭間に立たされる。自分の理想のために失われていく多くの若い命。合衆国大統領として、また一人の父として、人類の歴史を変える決断が下される――
社会を大きく左右する決断を迫られたとき、未来を見据えた選択ができるかどうかでリーダーとしての資質が決定づけられる。これは、巨匠スピルバーグが今こそ伝えたかった、「最も愛された大統領が世界を変えた28日間」の物語。伝説化されたリンカーンの実像に迫る作品の製作を12年に渡って温め続け、遂に魂の震えるような感動をもたらす傑作巨編を誕生させた。
特筆すべきは選りすぐられたキャスティングである。『マイ・レフトフット』と『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』で2度のアカデミー主演男優賞に輝いたダニエル・デイ=ルイスが、見事3度目の主演男優賞を受賞する快挙を成し遂げた渾身の演技は必見! さらに『ノーマ・レイ』と『プレイス・イン・ザ・ハート』で2度のアカデミー主演女優賞を手中に収めたサリー・フィールド、『グッドナイト&グッドラック』のデヴィッド・ストラザーン、『(500)日のサマー』のジョセフ・ゴードン=レヴィット、『セクレタリー』のジェームズ・スペイダー、『イントゥ・ザ・ワイルド』のハル・ホルブルック。そして日本では缶コーヒーのCMでも人気の高い、『メン・イン・ブラック』のトミー・リー・ジョーンズなど、個性と演技力を兼ね備えた俳優たちが、リンカーンの軌跡を彩る人間たちを巧みに演じきっている。
ザ・マスター
THE MASTER
(2012年 アメリカ 138分 ビスタ)
2013年8月3日から8月9日まで上映
■監督・製作・脚本 ポール・トーマス・アンダーソン
■製作 ジョアン・セラー/ダニエル・ルピ/ミーガン・エリソン
■撮影 ミハイ・マライメア・Jr
■編集 レスリー・ジョーンズ/ピーター・マクナルティ
■音楽 ジョニー・グリーンウッド
■出演 ホアキン・フェニックス/フィリップ・シーモア・ホフマン/エイミー・アダムス/ローラ・ダーン/アンビル・チルダーズ/ジェシー・プレモンス/ラミ・マレック/クリストファー・エヴァン・ウェルチ/ケヴィン・J・オコナー/マディセン・ベイティ/レナ・エンドレ
■2012年ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞・男優賞(ホアキン・フェニックス、フィリップ・シーモア・ホフマン)・国際批評家連盟賞受賞/全米批評家協会賞助演女優賞・撮影賞受賞/LA批評家協会賞男優賞・助演女優賞・監督賞・美術賞受賞/アカデミー賞主演男優賞ほか2部門ノミネート/ゴールデングローブ賞主演男優賞ほか3部門ノミネート、ほか多数受賞・ノミネート
1950年代、第二次世界大戦後。帰還兵のフレディ・クエルは、戦地で患ったアルコール依存を断ち切れず、職場で問題を起こしてしまう。日常生活に適応できず、放浪の旅に出た彼は、密航した船で<ザ・コーズ>という新興宗教団体に遭遇し、指導者である“マスター”ことランカスター・トッドに迎えられる。マスターはあるメソッドで悩める人々の心を解放し、カリスマ的な人気を得ていた指導者だった。フレディは次第にその右腕として地位を得ていくが、その陰にはマスターの妻が潜んでいた。そして3人の関係は次第に力の均衡を崩し始め、教団をも壊そうとする――。
第69回ヴェネチア国際映画祭で最大の話題作となった「ザ・マスター」。『マグノリア』『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』などで知られるポール・トーマス・アンダーソン監督の5年ぶりの新作、ホアキン・フェニックスの俳優復帰作(長編オリジナルとして)、そして新興宗教団体(サイエントロジー)にインスパイアされたと取沙汰されるストーリーなど、話題性は段違いだった。
だが、そんな世間を騒がせる刺激的なテーマとは全く違う形で、同映画祭の公式上映後は絶賛の嵐となった。重厚かつ無駄がそぎ落された演出、役者の凄まじい演技力により、監督賞にあたる銀熊賞、そしてホアキン・フェニックスとフィリップ・シーモア・ホフマン両名に最優秀主演男優賞がもたらされた。これまでのPTA監督作品の中でも最強かつ最高のドラマであり、間違いなく本年度を代表する一本!
「人は何かマスターという存在なしに生きられるか? もしその方法があるなら教えて欲しい。我々誰もがこの世をマスターなしで彷徨えるとは思えないから。」――ポール・トーマス・アンダーソン監督