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wim wenders

■監督 ヴィム・ヴェンダース

1945年8月14日デュッセルドルフ生まれ。学生時代には医学と哲学を学んだが、66年にパリに行き、映画学校イデックに行くかわりにラングロワのシネマテークに通いづめ、かつ彫板アトリエに通った。67年から70年、ミュンヘンの映画テレビアカデミーに籍をおき、68年から72年にかけて<フィルムクリティーク>誌や<ツァイト>誌に映画評を書く。71年には監督達が集まっての製作配給集団としての<フィルム・フェルラーク・ダー・アウトーレン>設立の中心メンバーとなり、卒業制作作品もともなった長篇第一作『都市の夏(キンクスに捧げる)』をつくり、ロック音楽の批評家としても健筆をふるう。

国際的に注目を浴びたのは、後に<ロード・ムービー>3部作と呼ばれる『都会のアリス』、『まわり道』、『さすらい』の第1作『都会のアリス』からで、75年に自身のプロダクションを設立し、“ROAD MOVIES”と名付ける。77年に『アメリカの友人』を完成。コッポラに呼ばれて、ヴェンダースのアメリカ時代が始まると同時に、この年、『世界のはてまで』をSF映画として着手するアイデアが出発。『ハメット』、『ニックス・ムービー』、『ことの次第』、『東京画』、そして84年カンヌ映画祭グランプリの『パリ、テキサス』、87年カンヌで連続受賞『ベルリン・天使の詩』に至る。ペーター・ハントケの書き下ろし戯曲<村について>の舞台演出やパリのポンピドゥー・センターでの<WRITTEN IN THE WEST>の写真店、<カイエ・デュ・シネマ>誌400号記念の責任編集(同誌300号記念はジャン=リュック・ゴダールの責任編集)、さらに、オランダ・ロッテルダム映画祭が88年に行った特別アンケート、<未来の20人の監督>では第1位に推されるなど、映画の未知の世界を切り開く作家として、世界の期待をになう大監督となる。

以後、99年『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』、2000年『ミリオンダラー・ホテル 』、04年『ランド・オブ・プレンティ 』、05年『アメリカ,家族のいる風景』など、次々に作品を発表。07年には、カンヌ映画祭で上映された短編集『それぞれのシネマ 〜カンヌ国際映画祭60回記念製作映画〜』に参加した。現在、ドイツのバレエダンサー、バレエとコンテンポラリー・ダンスの振付家であるピナ・バウシュのドキュメンタリー映画『Pina』を製作中。

filmography

・都市の夏('70)<未>監督/脚本
・ゴールキーパーの不安('71)監督/脚本
・緋文字('72)<未>監督/脚本
都会のアリス('73)監督/脚本
まわり道('74)監督
さすらい('75)監督/脚本
・左利きの女('77)<未>製作
アメリカの友人('77)監督/脚本
・RADIO ON(1979)製作
・ニックス・ムービー/水上の稲妻('80)<未>監督
・ことの次第('81)監督/脚本
・666号室('82)<TVM>監督/出演
・ハメット('82)監督
パリ、テキサス('84)監督
・東京画('85)監督/脚本
ベルリン・天使の詩('87)監督/脚本/製作
・鉄の大地、銅の空('87)製作
・都市とモードのビデオノート('89)督/脚本/撮影/出演
・夢の涯てまでも('91)監督/脚本
・小津と語る Talking With OZU('93)出演
・時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース!('93)監督/脚本/製作
・ベルリンのリュミエール('95)<未>監督/出演
・映画を作ることが生きることだ('95)<未>出演
・キング・オブ・フィルム/巨匠たちの60秒('95)<未>監督
・愛のめぐりあい('95)監督/脚本
・リスボン物語('95)監督/脚本
・エンド・オブ・バイオレンス('97)監督/製作
ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ('99)監督
・ミリオンダラー・ホテル('00)監督/製作
・10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス('02)監督/脚本
・Rain レイン('03)<未>提供
・ソウル・オブ・マン('03)監督/脚本
・ミュージック・クバーナ('04)製作総指揮
ランド・オブ・プレンティ('04)監督/脚本/原案
・アメリカ,家族のいる風景('05)監督/原案
・それぞれのシネマ 〜カンヌ国際映画祭60回記念製作映画〜('07)監督
・8 -Eight-('08)監督
・クローンは故郷をめざす('08)エグゼクティブプロデューサー

今まで早稲田松竹では、幾度もヴィム・ヴェンダース監督の作品上映を行ってきました。
1993年から数えると、
『ベルリン・天使の詩』4回、『都会のアリス』4回、『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』4回、『まわり道』3回、『さすらい』2回、『パリ、テキサス』2回。おおっ。早稲田松竹でもかなり上映回数の多い監督だと言えるでしょう。

そして今回のヴィム・ヴェンダース監督特集は『ベルリン・天使の詩』と『パリ、テキサス』の二本立て。監督の重要なテーマがいっぱいにつまった作品。それぞれカンヌ映画祭で多くの賞を受賞しただけでなく、世界中で賞賛され、多くの映画作品に影響を与え続けている2作品です。

ああ、いかにわたしが叫んだとて、いかなる天使が はるか高みからそれを聞こうぞ?
―ライナー・マリア・リルケ「ドゥイノの悲歌」第一歌 冒頭より

断絶。生と死を分けるような。
または国と国が。言語と言語が、そして民族と民族が分かたれているような断絶。私たちはやがてこの境目を、それこそが己の存在を形作っているかのような不安とともに見つめることになる。

境界線は至るところにある。
道路標識に通りの名前が書かれていれば、手をつないで歩いていく男女の間にも、国旗が掲げられていればそこはそういう、どこかとは異なった場所。三秒前が過去ならば、それも今には決して届かないものになってしまうのか?

あらゆる場所に線が引かれ、あらゆる偶像がその場所を支配する真理であるかのような錯覚。そのそれぞれの真理がそれぞれの歴史を作り、他の歴史を否定する。もし境界線がそういうものであるのなら、誰の声ももはや向こう側に届くことはないだろう。


パリ、テキサス

(1984年 西ドイツ・フランス 146分 ビスタ/MONO)
2010年11月20日から11月26日まで上映
■監督 ヴィム・ヴェンダース
■脚本 サム・シェパード/L・M・キット・カーソン
■撮影 ロビー・ミューラー
■音楽 ライ・クーダー
■出演  ハリー・ディーン・スタントン /ナスターシャ・キンスキー/ハンター・カーソン

■カンヌ国際映画祭パルム・ドール・FIPRESCI(国際映画批評家連盟)賞・全キリスト教会審査員賞/英国アカデミー賞監督賞

★本編はカラーです。
★プリントの経年劣化により、本編上映中、お見苦しい箇所・お聞き苦しい箇所がございます。ご了承の上、ご鑑賞いただきますようお願い致します。

例えば、『パリ、テキサス』の背景で、不安感は劇中のハイウェイに向かって演説する男のこんな台詞の中で語られる。

―声が澄んで届く限りの所まで私は言う
呪われたモハベ砂漠にも さらに遥かなバーストウにも
アリゾナに至るすべての谷間にも 
安全な地帯(ゾーン)などどこにもない 

私は保証する 安全地帯は抹殺されている
諸君は帰らざる国に引き渡される
存在せぬ国に向かって出発する 
安楽の地と信じた所には 安楽でないものが待っている 

私は土くれの男だが自分の話していることはちゃんと分かっている
私は狂ってなんかいない 諸君に警告しなかったなどと言わないでくれ

「シックス・フラッグス・オーバー・テキサス」という言葉がある。この言葉はテキサスを支配したことのある6つの国を表した言葉。スペイン、フランス、メキシコ、テキサス共和国、アメリカ連合国、アメリカ合衆国。数々の人種と民族と文化をまるごと受け止めたアメリカ。未開の地へかける多くの国の情熱と支配欲を示しているかのようではないだろうか。その国のテキサス州パリ、その地で愛に育まれて生まれた男、トラヴィス(ハリー・ディーン・スタントン)。

picトラヴィスは女を愛し過ぎた。
働くために女と離れるのにも心を裂かれしまう。トラヴィスは仕事をやめた。しかしそれでも必要に駆られてお金を稼ぎに出かけると、離れている不安からか、いつしか彼は女を空想し始めた。嫉妬は男にとって愛の証だった。女が嫉妬しないことに男は腹を立て、酒に溺れた。子供が生まれ、女は変わった。いつも腹を立てて、取り返しのつかない自分の人生とひとときも離さない男から逃げ出したかった。幸福だと信じていた家庭はいつの間にか荒れ果て、男は女と自分の子供が泣いていても何も感じなくなっている自分に驚いた。

pic世界中に広がったアメリカの持つ幸福な家族のイメージはいつしか通用しなくなって、かつて誰の手にも触れられず、傷のついていない純粋な魂を育んだアメリカの荒野を男は歩いていた。多くの人たちが熱望し、作り出したアメリカという幻想の中で暮らしていくことの行き詰まりを彼らは抱えていたのかもしれない。

トランシーバーやカセットテープ、マジックミラー越しの“通話”、トラヴィスは姿を隠しながらも、たどたどしく彼女らと交信を始める。それは行き詰まりからから抜け出し、母と子を再会させようとする父からの委託だった。消えていく父の姿。再会したとき、彼らの子ハンター(ハンター・カーソン)が「パパはどこかで話したり、歩いたりしてると感じてたよ」というように、今私たちはその気配を感じられているだろうか?


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ベルリン・天使の詩

(1987年 西ドイツ・フランス 128分 ビスタ/ドルビーA)
2010年11月20日から11月26日まで上映
■監督・製作・脚本 ヴィム・ヴェンダース
■脚本 ペーター・ハントケ
■撮影 アンリ・アルカン
■音楽 ユルゲン・クニーパー
■出演 ブルーノ・ガンツ/ソルヴェーグ・ドマルタン/オットー・ザンダー/クルト・ボウワ/ピーター・フォーク

■カンヌ国際映画祭監督賞/全米批評家協会賞撮影賞/NY批評家協会賞撮影賞/LA批評家協会賞外国映画賞・撮影賞/ヨーロッパ映画賞監督賞・助演男優賞/インディペンデント・スピリット賞外国映画賞/ブルーリボン賞外国作品賞

★本編はカラー+モノクロです。

子供は子供だった頃
腕をブラブラさせ
小川は川になれ 川は河になれ
水たまりは海になれ と思った
子供は子供だった頃
自分が子供とは知らず
すべてに魂があり 魂はひとつと思った 

子供は子供だった頃
なにも考えず 癖もなにもなく
あぐらをかいたり とびはねたり
小さな頭に 大きなつむじ
カメラを向けても 知らぬ顔 ―『ベルリン・天使の詩』冒頭「Song of Childhood」より

そう、子供は子供だった頃。どこにいて、何をしてても平気だった。ヴィム・ヴェンダースが作りだした“新たなまなざし”『ベルリン・天使の詩』は、天と地に分かたれた天使と人間、そしてかつて東西に分かたれたドイツ、縦と横の境界線を自由に行き来する視点から作られる。「私は、ベルリンは世界全体をあらわす存在である筈だと思いました。《真実の歴史の場》なのですから。」とヴィム・ヴェンダース監督は言う。「他のいかなる都市もこれほどまでに象徴的でなく、これほどまでにサバイバルの場である所はありません。それにベルリンは、現在の世界と同様、あるいは男と女、若者と老人、富める者と貧しい者、我々の体験ひとつひとつと同じくらいに分割されています。」《真実が分かちがたいこの街に生き、未来と過去の見えざる顔を訪れる》その街ベルリンを天使ダミエル(ブルーノ・ガンツ)はカイザー・ヴィルヘルム記念教会の塔の上から見下ろしている。

pic天使とは生と死の狭間に存在しながら人々の内なる声を聞き歴史を記録する証人。みつめて、深く聴き入る人々だ。かつてのすべての知を手に入れ、永遠の命を手にしている彼らだったが、ダミエルは人間になりたいと思った。「歩くごと、風の吹きつけるごとに“今だ”と、“今だ、今だ”と言いたくなる。  “永遠の昔から”とか“永久に”ではなく」

彼らは永遠を知っていた。永遠の美しさを。しかし夢を失ったり、自分の余命の短さを悟って人生を追憶したりする人間、希望に満ちて溢れ出す新鮮な色彩を受け止める人間の目の豊かさをいつしかダミエルは愛すようになった。そして、自分もそれを感じることを想像した。

pic「恋人、いいねぇ!」とピーター・フォークは人間に恋をしてついに人間になったダミエルに言う。続けて「待って!もっと話を!知りたいんだ、何もかも!」と、ダミエル。「自分で発見しろ。面白いよ」彼もかつて天使だったのだ!!

以前見聞きし理解したつもりだった全てが、そこにはあらたかな色彩をもって溢れている。愛の悦びが目にするものすべてを驚きに変える。それはかつて子供だった我々の、“答え”なんて何も知らない目。今、愛に衝かれた心の声が、反響する天使の詩に。天使の詩がダイアローグへと。ここに新しい物語が始まったのだ。

(ぽっけ)



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