「完璧な映画とは、どこを切っても写真になる」
昔、北野武がそうテレビで言っていた。その後に出会った『パリ、テキサス』で私はその言葉を思い出した。
ヴィム・ヴェンダースのイメージと言えば?それは人によって様々かも知れないが、「ロードムービー」「ロングショット」「ドイツ」「アメリカ」「天使」たぶん誰もがこの中のどれか一つは思い浮かべるはずだ。そんなヴェンダースの映画を語る上で重要なキーワード達が『パリ、テキサス』、『ベルリン天使の詩』。この2本の映画には凝縮されている。
敗戦後のドイツで育ったヴェンダースは、12,3歳の時にロックンロールを通じアメリカ文化の洗礼を受けた。いつしかアメリカは彼の中で理想郷ヘと変化していった。だが実際のアメリカに渡った彼は深く絶望した。街を彩る煌びやかなネオンも、TVから絶え間なく垂れ流される情報も、何もかもが資本主義的で表面ばかり取り繕った安っぽいものだったからだ。極めつけはフランシス・F・コッポラのもとでの雇われ監督時代。ヴェンダースは自分の撮りたいように撮れないハリウッド映画産業システムと衝突し、苦しむことになる。
そして彼は決意する。理想郷アメリカとの決別を。「最期のアメリカ映画を撮る」そう宣言して撮られた映画、それが『パリ、テキサス』。アメリカを中と外から見つめたドイツ人が撮った映画は、アメリカ人の撮ったどんな映画よりも当時のアメリカを表現していた。
そして『パリ、テキサス』から3年。久しぶりにドイツで撮影された『ベルリン・天使の詩』は、再び自らの基点に立ち返り、母国を、映画を見つめ直そうとした作品である。ベルリンの壁崩壊前後のドイツを、天使の視点からみるという美しい映像で見事に表現している。
アメリカにしかないもの。ドイツにしかないもの。東京にしかないもの。キューバにしかないもの。その土地の風景だけでなく、時間、空間までもヴェンダースはプリントに焼き付ける。彼の映画のほとんどが写真的であるのは、カメラで物語るよりも、カメラで見つめる表現を得意とする映画監督だからであろう。
ベルリン・天使の詩
DER HIMMEL UBER BERLIN
(1987年 西ドイツ/フランス 128分)
2007年5月5日から5月11日まで上映
■監督 ヴィム・ヴェンダース
■脚本 ヴィム・ヴェンダース/ペーター・ハントケ
■出演 ブルーノ・ガンツ/ソルヴェーグ・ドマルタン/オットー・ザンダー/ピーター・フォーク
■1987年カンヌ国際映画祭監督賞受賞/パルム・ドールノミネートほか
上空からベルリンの街を眺める天使ダミエル。天使は風貌は人間と変わらないが、子供にしかその姿は見えない。彼らは人々の行動を観察し、内面の心情を観察する。ダミエルはそんな天使の仕事に何か物足りなさを感じている。永遠を生きるよりも、生きている実感が欲しい。そんなある日ダミエルはサーカスで空中ブランコを練習する女性マリオンに恋をする…。
パリ、テキサス
PARIS, TEXAS
(1984年 西ドイツ/フランス 146分)
2007年5月5日から5月11日まで上映
■監督 ヴィム・ヴェンダース
■脚本 サム・シェパード/L・M・キット・カーソン
■音楽 ライ・クーダー
■出演 ハリー・ディーン・スタントン/ナスターシャ・キンスキー/ハンター・カーソン
■1984年カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞ほか
一人の男がテキサスの荒野を彷徨っている。くたびれた背広に赤いキャップ、水はとっくに底を尽きている。男はとある酒場をみつける。酒場で氷をかじるとそのまま倒れこんでしまう。弟がロサロサンゼルスから迎えに来た。男は四年前に失踪していたのだ。
男は喋ることを拒否する。食事することを拒否する。飛行機に乗ることを拒否する。逃げ出そうとする男を弟は無理やり車で連れ帰る。車の中、初めて男は呟く「パリ、テキサス」と。
text by 縞馬
写真提供フランス映画社