今回は早稲田松竹で恒例の
テオ・アンゲロプロス監督の特集をします。
去年のお正月、『旅芸人の記録』240分まるごと
1本立て上映をしました。
私も勇んでスクリーンに向かいました…
が、途中の記憶がない!
なんと、あまりの心地よさに眠ってしまったのです。
アンゲロプロス監督の作品は、
私の目から見てもものすごくお金がかかっているのが分かります。
それもあのゴダールが皮肉するくらい。
アンゲロプロスの映画で眠るというのは、
ほんと豪華な眠りなんだと思います。
アンゲロプロスの映画に流れている時間は、現実とは異なります。
緩やかに流れてゆく。
それは彼の代名詞”長回し”の効果だけでなく、
歴史の断片として映画を創ろうという意思があるからかもしれません。
アンゲロプロスの映画は現代の作品でありながら、
古典を見ているような感慨を持ちます。
そのすべてが重く、深い。
でも、抑圧しない。
ヨーロッパの知性の気品をこういうところで感じます。
今回上映します『ユリシーズの瞳』と『霧の中の風景』。
両方とも映画の”フィルム”が登場します。
それは曇っているだけ。
あなたの画をそこに幻視すればいい。
そんなアンゲロプロスのメッセージが聴こえてきます。
せっかく自由を与えてくれているから、
一緒に旅をしてしまいましょう。
今回私は思想を追っ払って、旅情に浸ろうと思います。
ヨーロッパ地図を見てください。
幼い兄弟は父に会うため、ギリシャからドイツを目指します。
映画監督Aは幻のフィルムを求めて、バルカン半島を旅します。
島国に住む日本人にはなかなか馴染めない、国境。
アンゲロプロスの映画には、
国境を越えることのつらさがシビアに描かれています。
私たちにとって世界を知るとは、
その事実を受け止めることかもしれません。
『旅芸人の記録』で私が目覚めた時、
旅芸人たちは地を這うように歩き続けていました。
それは空気の重さまでも感じさせる、
今でも脳裏から離れない見事な画です。
そういった、突き刺すような瞬間。
それと出逢うために、私は映画を見ているような気がします。
1935年アテネ生まれ。子ども時代にナチスによる占領を体験、戦後パリのソルボンヌ大学に入学するが、中退してギリシャに戻り、映画評を書きながら過ごす。
68年に短編『放送』を撮り、70年に長編『再現』でジョルジュ・サドゥール賞を受賞して映画監督として認められる。『1936年の日々』に続く「現代史三部作」の二番目の作品で4時間近い大作『旅芸人の記録』が世界的な評価を受け、現代史三部作の締めくくりでもある『狩人』でその評価を確実なものとする。80年の『アレクサンダー大王』でヴェネチア国際映画祭グランプリを受賞。
・放送(1968)*未公開
・再現(1970)*未公開
・1936年の日々(1972)*未公開
・旅芸人の記録(1975)
・狩人(1977)
・アレクサンダー大王(1980)
・アテネ/アクロポリスへの三度の帰還(1982)*未公開
・シテール島への船出(1983)
・蜂の旅人(1986)
・霧の中の風景(1988)
・こうのとり、たちずさんで(1991)
・キング・オブ・フィルム/巨匠たちの60秒(1995)*未公開
・ユリシーズの瞳(1995)
・永遠と一日(1998)
・エレニの旅(2004)
・それぞれのシネマ 〜カンヌ国際映画祭60回記念製作映画〜(2007)
ユリシーズの瞳
TO VLEMMA TOU ODYSSEA
(1995年 フランス・イタリア・ギリシャ 177分 ビスタ/SR)
2010年10月2日から10月8日まで上映
■監督・脚本 テオ・アンゲロプロス
■脚本 トニーノ・グエッラ/ペトロス・マルカリス
■撮影 ジョルゴス・アルヴァニティス
■音楽 エレニ・カラインドロウ
■カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ/FIPRESCI(国際映画批評家連盟)賞
■オフィシャルサイト http://www.bowjapan.com/classics/detail.php?id=132
★本編はカラーです。
20世紀初めに作られた最初のギリシャ映画が3巻、百年近く経った今も、未現像のままどこかに眠っている。その発想から出発した『ユリシーズの瞳』は、テオ・アンゲロプロス監督の長編第10作。
アメリカから、現代のユリシーズさながら、35年ぶりに北ギリシャに帰郷する映画監督A(ハーヴェイ・カイテル)。ギリシャで最初の映画を撮ったマナキス兄弟の失われた3巻を探し、彼を待っているはずの“女”(マヤ・モルゲンステルン)と再会する過程で、旅の目的が明らかにされていく…。
93年に脚本を完成して製作に入り、94年からバルカン半島7ヵ国でのオール・ロケーション撮影を敢行。途中何度か撮影中断の危機にも見舞われ、製作費も規模もこれまでの作品の3倍を優に超えたが、95年に全撮影を完了。ギリシャからサラエボまでバルカン半島を横断し20世紀を縦断する、現代のユリシーズの旅を堂々3時間で描く、巨大な叙事詩が完成した。
そして、カンヌ国際映画祭にて完成上映。アンゲロプロスの新たな頂点を極めたこの大傑作の誕生に、会場は限りない賞賛で湧きかえり、カンヌ映画祭グランプリが贈られた。
ギリシャで初めて映画を作ったと言われるマナキス兄弟は実在した人物。彼らはギリシャ人の両親のもとに生まれ、1905年モナスティル(現在のマケドニア国のビトラ)に移住。写真館を開き、次いで映画フィルム現像所を、そして映画館を開いた。その後マナキス兄弟はバルカン半島の激動に翻弄され、流転の生涯を送り、そのあちこちに作品を残している。
『ユリシーズの瞳』は幻のフィルムを探すのと同時に、マナキス兄弟の足跡を辿る旅でもある。映画愛がこの危険を省みない旅へAを誘う。そして、Aの愛の記憶につながる4人の女たち。
この映画は、映画監督Aの愛を求める彷徨でありながら、バルカン半島の激動の歴史を見せる壮大な映画だ。アンゲロプロスの映画が高価だと感じるのは、芸術として歴史を伝えようとする、彼の使命感の大きさにあると思う。
霧の中の風景
TOPIO STIN OMICHLI
(1988年 ギリシャ・フランス 125分 SD/MONO)
2010年10月2日から10月8日まで上映
■監督・原案・脚本 テオ・アンゲロプロス
■脚本 トニーノ・グエッラ/タナシス・ヴァルニティノス
■撮影 ヨルゴス・アルヴァニティス
■音楽 エレニ・カラインドロウ
■出演 ミカリス・ゼーナ/タニア・パライオログウ/ストラトス・ジョルジョグロウ/エヴァ・コタマニドゥ/ヴァシリス・コロヴォス
■ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞/ヨーロッパ映画賞作品賞
■オフィシャルサイト http://www.bowjapan.com/classics/detail.php?id=98
★本編はカラーです。
★製作から長い年月が経っているため、本編上映中お見苦しい箇所がございます。ご了承のうえご鑑賞いただきますようお願いいたします。
ふたりの幼い姉弟、ヴーラとアレクサンドロスは父を知らず見たこともなく、母はドイツに父がいると言った。ある夜、ふたりは家を捨てて、汽車でドイツにいる父を捜しに出発してしまう。お金はない、国境なんか知らない。その汽車がギリシャからユーゴスラヴィア、オーストリアを経て、ようやくドイツに至る大旅行だということも知らない。
ふたりが突き進む霧の中の風景の旅で、心優しい青年オレステスに出会う。彼は『旅芸人の記録』の延長戦上の青年で、『霧の中の風景』には旅芸人の一座の人々が、配役そのままにギリシャを旅し続ける姿で登場する。
『霧の中の風景』はアンゲロプロスの作品の中でも、ひときわ叙情的な作品だと思う。何も知らない子供たちを世界に解き放つ。そこには残酷さと共に、ある美しさが立ち現れる。子供たちが傷つきながら、成長してゆく姿。私たちの生きているという実感は、傷つきそれでも立ち向かうという中でしか得られないのではないか。
少女ヴーラが見せる成長。それは溝口健二の映画の女性たちが魅せるきらめきに似ている。生きていく覚悟。その意志に秘められた女性特有の美しさが眩しい。
そして、幼い弟アレクサンドロス。オレステスは拾ったフィルムのかけらを彼にプレゼントする。フィルムを透かして世界を見つめる、アレクサンドロス。彼は霧の中の風景に、何を見ているのだろうか?
アンゲロプロスは言う。「世界は映画によって救われると私は信じたいし、 私にとっては映画とは世界であり、私の旅です」
少年がフィルムのかけらから幻視するもの…それは希望だ。
(mako)