にごりえ
(1953年 日本 130分)
2007年6月16日から6月22日まで上映 ■監督 今井正
■原作 樋口一葉
■脚本 水木洋子/井手俊郎
■出演 淡島千景/久我美子/丹阿弥谷律子/山村聰/芥川比呂志/仲谷昇/田村秋子

明治時代。家制度に基づく社会的な男尊女卑の流れの中で女性達は深い苦しみを味わっていた。そんな女性達の生の本質を歯切れよく描き出した樋口一葉の日本近代文学史上の功績は言うまでもなく多大であるが、原作を映像美へと高めた今井正もまた戦後映画史に深く名を刻んだと言って過言ではない。

pic当作品は短編3作品のオムニバスであるが、この中で一番長い「にごりえ」でも文庫本にして40頁ほどの内容である。どうだろう、これほど情緒豊かに行間を埋めることができる監督はそうはいないのではないだろうか。

第一話 十三夜

奏任官の原田のもとに嫁いでいたお関は、長年にわたる無慈悲な夫・勇の扱いに耐えかね、まだ幼い一子太郎を残し実家に帰ってきてしまった。母は同じ女性の立場から同情し、お関を慰める。だが父は、今まで耐えられていたものがこれから耐えられない道理は無いし、なにより子供が不憫だと諭し、追い返してしまう。人力車をひろっての帰路、中秋の名月が照らし出した車夫の姿は、思いもかけず幼馴染の録之助であった…

第二話 大つごもり

体を悪くして働けなくなってしまった伯父の安兵衛には大晦日までに返さねばならない2円の借金があった。気立ての良いお峰は、伯父からの頼みを快く受け入れ、奉公先である山村家の御新造に前借りの約束をとりつける。だが大晦日当日、不人情で気分屋の御新造は2円を貸す約束などしていないと言い出した。困り果てるお峰だったが、どうすることもできない。期限は刻一刻と迫っていった…

第三話 にごりえ

pic小料理屋「菊之井」の酌婦・お力に熱を上げた蒲団屋の源七は、今もお力のことを忘れかね毎日のように店の前に佇む。零落してしまった源七と今さら所帯を持つ気などないお力は、気前の良いい客・結城朝之助に心惹かれていく。何とか今の境遇から逃れようともがき苦しみ、物思いに沈みがちなお力。朝之助は、一向に自らのことを語ろうとしないお力に、全て打ち明けよと促す。はぐらしてばかりのお力だったが、やがて過去を語りはじめる。

出演は『東京物語』の杉村春子、山村聡、『雁』の芥川比呂志、『幸福さん』の田村秋子、丹阿弥谷津子、『あにいもうと』の久我美子、『女の一生』の淡島千景等。時代を代表する名優達の演技は、時を経てなお色あせることはない。

小津安二郎『東京物語』、溝口健二『雨月物語』など並みいる名作を抑え、1953年度毎日映画コンクール(日本映画大賞)受賞、キネマ旬報ベスト・テン第1位に選出された。



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ユメ十夜
(2006年 日本 110分)
pic 2007年6月16日から6月22日まで上映 ■監督 実相寺昭雄/市川崑/清水崇/清水厚/豊島圭介/松尾スズキ/天野喜孝/河原真明/山下敦弘/西川美和/山口雄大
■原作 夏目漱石 『夢十夜』
■脚本 久世光彦/柳谷治/清水崇/猪爪慎一/豊島圭介/松尾スズキ/山下敦弘/長尾謙一郎/西川美和/山口雄大/加藤淳也

■出演 小泉今日子/松尾スズキ/市川美日子/阿部サダヲ/藤岡弘、/緒川たまき/ピエール瀧/本上まなみ/石坂浩二

もうほとんど見かけなくなってしまったけど、「千円札の人」と言えばこの人だった。こんもりとたくわえられた口ひげと、何とも言えない哀愁の漂う甘い目。同じ口ひげでも、新しく代った野口英世や、一万円札の福沢諭吉や、五千円札の新渡戸稲造にはないロマンティシズムが、大量印刷されたインクの点と点の間から漂っていた。

生まれて間もなく古道具屋に里子に出されるという、波乱に満ちたスタートを切ったその人は、三十八歳で処女小説「我輩は猫である」を発表した。以降、生涯慢性胃炎と神経衰弱に悩まされながらも、「坊ちゃん」「こころ」等、文学の世界に不動の名作を数々残した。

pic文豪、夏目漱石。人間の時に不可解で理不尽な心の機微を、端正で読みやすい文体で綴り、多くの人々に親しまれた漱石文学だが、その中でこの映画の原作となる「夢十夜」は、他のどの作品とも違う摩訶不思議な異色の短編小説として、ファンに読み継がれて来た。映画「ユメ十夜」は、漱石が仕掛けた謎を、十人の監督がそれぞれの形で切りとり、彩った、原作に劣らない奇妙奇天烈な映画である。

第一夜

今まで平穏に暮らしてきた作家と、作家の妻・ツグミ。ある日ツグミは「百年可愛がってくれたんだから、もう百年、待っててくれますか?」と言い残し、死んでしまう。その言葉の意味は?時空を越えた、男女の超現実的な愛情。

pic第二夜

薄暗い部屋の中で悟りを得ようとする侍。いつの間にか背後には和尚が居て、「侍なら悟れぬはずはない」と挑発する。ただならぬ空気の中で、侍は次第に和尚に対して殺気をつのらせていく。

第三夜

ある夏の日。なかなか筆の進まない漱石は、いいようのない苛立ちを感じていた。身重である妻・鏡子は、その夜奇妙な夢の話をする。…漱石の深層心理を不気味に描く。

第四夜

「神隠し」が起きるという不思議な町を訪れた漱石。風変わりな老人と子供達に連れられ、漱石はある見覚えのある町に迷い込む。そこは記憶の底に眠る、少年の頃の想い出の町だった。

第五夜

馬にまたがり、荒野を疾走する真砂子。彼女は見知った声に誘われて、夫・庄太郎に何かが起こったに違いないと感じていた。時代と空間が錯誤する異世界の中、夫を助けようとする妻の確かな意思だけが加速する。

第六夜

pic見物人の人だかりに見守られながら、仏師運慶は仁王像の頭をこれから彫ろうと突然奇妙なアニメーションダンスを踊り出す。実はその踊りは、木の中から形を掘り起こす、斬新な方法だった。それを真似ようとした男が、一人で挑戦してみようとするが…

第七夜

孤独を抱えた旅人は、船の上でピアノ弾きの少女と出会う。旅人は無言のまま少女に同じ空気を感じ取ったのも束の間、少女を見失う。再び賑ったサロンで少女を見つけた旅人は言い知れない違和感を感じ…

第八夜

「チューブ状の謎の生き物を拾ってきたミツ。幻影のようなものを見るミツの祖父・正造」……筆が止まった漱石の頭の中で様々なイメージが浮かんでは消える. 。脱力コメディー。

第九夜

幼子と妻を残して戦地に出征した男。突然居なくなった夫の無事を祈って、妻は神社でお百度参りをする。すると坊やは、神社の拝殿の扉の向こうに、父の姿を見つけた。夢か、幻か。必死にすがろうとする坊や。

第十夜

pic色男だがブスにはとことん冷たい庄太郎が、滅茶苦茶に顔を腫らして帰ってくる。その数日前、庄太郎は恐ろしく美しい女を見かけ、後をつけると豚丼しかない食堂にたどり着き、そして!

真面目にホラー、ゆるいコメディー、不条理ギャグ、ノスタルジー、ドラマチック、3Dアニメ、ナンセンスがてんこもり。ほとんどの物体がそうであるように、人間も多面体でできている。お札には現れない漱石のあんな顔、こんな顔、漱石文学の意外とお茶目だったり、ホラーだったり、毒々しかったりする面と面が見えてくる。こんな文豪も、たまにはいかがですか?(緒凡)




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