【2022/11/12(土)~11/18(金)】『わたしは最悪。』『アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ 監督〈自己検閲〉版』//特別レイトショー『イメージの本』

ぽっけ

「猥雑さについてどんな考えをお持ちですか?」と問われ『アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ 監督〈自己検閲〉版』を監督したルーマニアの鬼才ラドゥ・ジューデは答える。「もしこういった言葉を性的な意味で使うとしたら、たとえ一人で言っても、二人以上で言い合っても猥雑だとは思わない。ぼくは、そこには猥雑さは感じない。しかし、それ以外の場面はすべて猥雑に感じる。テレビをつけると、政治について言っていたり、“議論”をしているのをよく見かける。世の中には猥雑なものがあふれている。だが、その猥雑さとは性的な観点から見たものではない」

猥雑さとはなんだろうか。『わたしは最悪。』にも似たような議論が描かれている。一時は持てはやされたグラフィックノベル作家であるアクセルが、その描写や台詞に書かれた性差別表現を糾弾される場面だ。(このシーンはアメリカのアンダーグラウンド・コミックス運動の中心人物である作家のロバート・クラムが、60年代にはメインストリームでは描くことのできない過激な性的表現・暴力・ドラッグなどの社会の病んでいる部分をテーマにグロテスクな画調で描き、アンダーグラウンドシーンを牽引してきたにも関わらず、現代ではキャンセル対象として槍玉に挙げられていることに想を得ていると思われる。)一つの表現や選択が社会の害悪を助長すると目されるとき、私たちは一体どこに線を引くことが可能なのだろうか。そこに自由の問題がある。

実生活と自らの理想や社会の正論とのギャップのなかに生み出された『わたしは最悪。』の主人公ユリヤは、その「線」を引くことを躊躇っている。親の期待を裏切って志望学科を転科しても、恋人を次から次へとかえても、大事な人を裏切ってしまっても、作品中で「わたしは最悪」だとつぶやかれることはないにも関わらず、ここでタイトルに挙げられる最悪な「わたし」とは一体どんなわたしなのだろう。自由過ぎるがゆえに、大人になろうとしながらも、どこかで大人になりきることができない、人生における選択困難な数多くの問題のなかで中途半端な宙づり状態に耐えようとする彼女が起こす出来事は過ちと言えるだろうか。

夫婦の“愛の営み”がネット上に流出し、避難を浴びせられながら好奇の目に晒される『アンラッキー・セックス~』の女性教師エミ。下世話な言葉を発する口元を隠すマスクや不快感に歪む眉は現代のコロナ禍の社会を描き出している。マスクをしていてもその猥雑さまで隠すことはなくむしろ助長するばかりの発言の数々は、さながら匿名性に覆われたネット上の書き込みのようだ。コロナ・パンデミック以降、過剰なまでの情報や喧噪(その猥雑さ!)が頭上を通過するのを経験した私たちならば、彼女たちの立場がいつ私たちのものになるかわからない恐怖を感じざるをえないだろう。

はたして誰もが納得する“正解”は、堂々巡りを続ける正論と現実のあいだのどこかに存在するのだろうか。いや、そんなものをみつけることができないのはこの二本の映画を見れば明らかではないか。彼女たちはこの選択の分かれ目の線上にいる当事者であって逃れようがない。猥雑さの極みたる状況の渦中の人になってしまっているのだ。だからと言って口を挟めば、私たちもまた猥雑さがごった返す隘路に加わって問題をこじらせてしまうだけだろう。わたしたちにできることは、ただ下手なことを口に出してしまいそうな気持をぐっとこらえていることだけだろうか。そもそも関係ないことには首を突っ込まない方が身のためだろうか。いや、しかし、だけど・・・。

わたしは最悪。
The Worst Person in the World

ヨアキム・トリアー監督作品/2021年/ノルウェー・フランス・スウェーデン・デンマーク/128分/DCP/R15+/ビスタ

■監督 ヨアキム・トリアー
■脚本 エスキル・フォクト/ヨアキム・トリアー
■撮影 カスパー・トゥクセン
■編集 オリヴィエ・ブッゲ・クエット
■音楽 オラ・フロットゥム

■出演 レナーテ・レインスヴェ/アンデルシュ・ダニエルセン・リー/ハーバート・ノードラム/ハンス・オラフ・ブレンネル/マリア・グラツィア・ディ・メオ/マリアンヌ・クローグ

■2022年アカデミー賞脚本賞・国際長編映画賞ノミネート/2021年カンヌ国際映画祭女優賞受賞/全米批評家協会賞助演男優賞受賞/NY批評家協会賞外国映画賞受賞

© 2021 OSLO PICTURES – MK PRODUCTIONS – FILM I VÄST – SNOWGLOBE – B-Reel – ARTE FRANCE CINEMA

【2022年11月12日から11月18日まで上映】

人生は選択、時々、運命――。

学生時代は成績優秀で、アート系の才能や文才もあるのに、「これしかない!」という決定的な道が見つからず、いまだ人生の脇役のような気分のユリヤ。そんな彼女にグラフィックノベル作家として成功した年上の恋人アクセルは、妻や母といったポジションをすすめてくる。ある夜、招待されていないパーティに紛れ込んだユリヤは、若くて魅力的なアイヴィンに出会う。新たな恋の勢いに乗って、ユリヤは今度こそ自分の人生の主役の座をつかもうとするのだが──。

“最悪”な本音が“最高”の共感を呼び、世界が絶賛! 新時代を生きるすべての人に贈る、恋と成長の物語。

『わたしは最悪。』は、ひとりの女性の日常を描いた映画なのに、「痛烈」「破壊的」「素晴らしく新鮮」「センセーショナル」「スリリング」と何ともミスマッチな熱いレビューが殺到し、本年度の賞レースで一大ムーヴメントを巻き起こしたノルウェーの<異色作>。ユリヤを演じるのが、これが映画初主演となるレナーテ・レインスヴェ。「かつてないスターの到来」と絶賛され、カンヌ国際映画祭をはじめ世界で数々の賞を席巻。監督は『母の残像』『テルマ』のヨアキム・トリアー。

芸術の都オスロを舞台に、スタイリッシュで遊び心溢れる独創的な映像と、60~70年代に活躍したハリー・ニルソンなど、今この時代にこそフィットするキャッチーな音楽で、恋愛、キャリア、家族、結婚など人生のターニングポイントを追いかける。ロマンティックな夢とヒリヒリする現実、喜びと悲しみの両面を痛烈なほどリアルに描き、「あの日、あの時、私もそうだった」と観る者を一瞬で過去の自分へと連れ去り、「あれで良かった」と肯定してくれる、圧倒的共感映画が誕生した。

アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ 監督〈自己検閲〉版
Bad Luck Banging or Loony Porn

ラドゥ・ジューデ監督作品/2021年/ルーマニア・ルクセンブルク・チェコ・クロアチア /106分/DCP/R15+/シネスコ

■監督・脚本 ラドゥ・ジューデ
■製作 アダ・ソロモン
■撮影 マリウス・パンドゥル
■編集 カタリン・クリストゥティウ
■音楽 フラ・フェリナ/パヴァオ・ミホリェヴィッチ 

■出演 カティア・パスカリウ/クラウディア・イェレミア/オリンピア・マライ/ニコディム・ウングレアーヌ/ アレクサンドル・ポトチェアン

■2021年ベルリン国際映画祭金熊賞受賞

© 2021 MICROFILM (RO) | PTD (LU) | ENDORFILM (CZ) | K INORAMA (HR)

【2022年11月12日から11月18日まで上映】

人間の本性は”卑猥”である

ルーマニア、ブカレスト。名門校の教師であるエミは、コロナ禍の街をさまよい歩いていた。夫とのプライベートセックスビデオが、意図せずパソコンよりネットに流失。生徒や親の目に触れることとなり、保護者会のための事情説明に校長宅に向かっているのだ。しかしそこにはブカレストの街を漂流するかのように、エミの歩く姿が映し出されるだけだ。彼女の抱える不安や苛立ちは、街ゆく人々も共有する怒りと絶望であり、さらにはその街、引いては世界の感情そのもののようであった。猥雑で、汚れ、怒りを孕んだ空気が徐々に膨れ上がっていく…。

パンデミックは人間の性をあぶり出す――ルーマニアの鬼才ラドゥ・ジューデが放つ、類をみない傑作。

2021年ベルリン国際映画祭は、冒頭のあけすけな本番セックスシーン(日本公開版は監督による検閲版)に始まる、この挑戦的なルーマニア映画に金熊賞を授与した。その後世界で大きな反響を呼び、米アカデミー賞ルーマニア代表作品選出、ニューヨーク・タイムズが選ぶ2021年ベスト2位作品にも選出されるなど、その快進撃は止まることを知らない。決して口当たりのいい映画ではないのに、世界が同時に経験したパンデミックとその後の社会の閉塞感を、“卑猥”とは何か?と改めて問いかけることで読み解こうとしたこの映画への、人々の共感が絶賛という形になった。

ルーマニアの鬼才ともいうべきラドゥ・ジューデ監督は、そうした社会の胎動をエミに託し、いきなりのハードなセックスシーンをプロローグとして、続けて物語を三つのパートに分けていく。さらに三つの結末を用意する“マルチエンディング”で、監督はポルノグラフィという問題をブラックコメディとして見せ、映画を終息させる。コロナ禍で浮き彫りにされた社会の偽善や偏見を露見させ、類をみない傑作の誕生となった。

【特別レイトショー】イメージの本
【Late Show】The Image Book

ジャン=リュック・ゴダール監督作品/2018年/スイス・フランス/84分/DCP/ビスタ

■監督・脚本・編集・ナレーション  ジャン=リュック・ゴダール 
■製作・撮影・編集 ファブリス・アラーニョ 

© Casa Azul Films – Ecran Noir Productions – 2018

【2022年11月12日から11月18日まで上映】

私たちに未来を語るのは“アーカイヴ”である——静寂にすぎない。革命の歌にすぎない。5本指のごとく、5章からなる物語。

『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』をはじめ数々の名作を世に送り出してきたヌーヴェルヴァーグの巨匠、ジャン=リュック・ゴダール。1930年フランス・パリに生まれ、長年世界の最先端でエネルギッシュに創作し、世界中の観客を常に驚嘆させ続けた。2022年9月13日、ゴダールの訃報が報道され、不意に訪れた彼の死に、多くの映画ファンは大きな喪失感に包まれた。惜しくも『イメージの本』は、彼の遺した最後の映画となり、芸術の断片の集積とも言える膨大なアーカイブの波を残して、彼はこの世を去ってしまった。

『イメージの本』は、様々な<絵画>、<映画>、<文章>、<音楽>と、ゴダールが撮影した映像を巧みにコラージュし、現代の暴力、戦争、不和などに満ちた世界に対する“怒り”をのせて、この世界が向かおうとする未来を指し示す 5 章からなる物語である。象徴的に現れる5本指のごとく、彼は手を動かし、モンタージュすることで、過ぎ去ったあらゆるものへ目を向ける。
本作では、ゴダール本人がナレーションも担当している。多チャンネルのサウンドトラックとともに、映像と音を分離することによって、彼は何か別の語るべきものを見出そうとした。
あくなき彼の探究心の終着点、いや、まだ通過地点であったかもしれない『イメージの本』。枯渇することのないイメージと音を多用し、観客の想像力を縦横無尽に刺激する 84 分間の奇跡的な体験を約束する。