2017.01.09

【スタッフコラム】ごくごく私的偏愛女優たち by甘利類

その10 シルビア・クリステルと『アリス または最後の家出』

シルビア・クリステル、と言えば当然代表作は『エマニエル夫人』(74)であり、フィルモグラフィにはそれに類するソフトコア・ポルノや艶笑コメディが並ぶのだが、その中で圧倒的に異彩を放つ不思議な主演作がある。77年のクロード・シャブロル監督『アリス または最後の家出』である。

退屈な亭主に愛想を尽かしたアリス(シルビア)が家を飛び出し、豪雨の夜道に車を走らせるところから映画は始まる。突然の事故で田舎道に立ち往生してしまったアリスは、そこに聳えた古い洋館に救けを求める。老主人の手厚いもてなしに感激して一晩泊めてもらうアリスだったが、次の朝目覚めると館には誰もいない。不審に思いつつ、いつの間にかすっかり綺麗に直った車で出発するのだが、何度脱出を試みても彼女は何故か館に戻ってしまう…。

延々と目的地のお城に辿り着けないカフカの「城」の逆ヴァージョンにも見える物語だが、その後のアリスに降りかかる不条理な怪現象の発想の原点はやはりルイス・キャロル「不思議の国のアリス」だろう。とはいえシャブロル版「アリス」には、喋る白うさぎもハートの女王も現れない。突如蜘蛛の巣を張ったようにひび割れるフロントガラスや不気味に波打つ鏡、小鳥の死骸が散乱する道路やトイレに入ったアリスを執拗に覗こうとする少女など、奇妙に心にひっかかるイメージが静謐に積み重なり、私たちを不穏な白昼夢の世界へ誘っていく。

本作のシルビア・クリステルはひと際光り輝くように美しいのだが、怪異に翻弄され、怯えて涙する子どもに戻ってしまったような表情も魅力的だ。シャブロルはルイス・キャロルとはまた違った独特のアプローチで、子供の目から見た世界の理不尽なあり方をヴィヴィッドに表現したのだろう。セクシャルなイメージを封じることで、逆にどの作品の彼女よりも表情豊かでアンビバレントな魅力が引き出す演出の妙には唸ってしまう。心理スリラーを得意としたシャブロルにとって異色作中の異色作だが、シルビアにとっては女優としての真価を発揮した隠れた代表作だと思う。

とはいえ、本作でのシルビアの演技が同時代に高く評価されていたかといえば、そんなこともなかったらしく、その後も『さよならエマニエル夫人』(77)や『エアポート’80』(79)など着実にどうでもいい映画に出演し続けてしまったのは、かえすがえすも残念である。

(甘利類)