2017.08.17

【スタッフコラム】シネマと生き物たち byミ・ナミ

Vol.1 「待つ」という時間と犬

初めまして。早稲田松竹新人スタッフ、ミ・ナミと申します。どうぞよろしくお願いいたします。映画館から帰り、また映画館へ入る。趣味=仕事な私が、映画以外で強く惹かれるもの――それは生き物たちです。このコラムでは、スクリーンの中に現れた生き物を、ミ・ナミ視点で綴っていきます。第一回目は「犬」にスポットを当ててみます。

私が生まれてはじめて見た犬映画は、名作『ハチ公物語』(1987)です。主人の急死後も、変わらず渋谷駅で待ち続けた忠犬ハチ公については、後年諸説紛々の美談だとも言われました。それでも、雪が降り積もる中、ハチが亡き主人を待ちながら息絶えていくラストシーンの清らかさは本物です。「待つ」という時間が、生きとし生けるものが過ごす時間の中でどれほど悲しく純粋なのか、幼心に染み込んだのもこの秋田犬の姿だったのです。

私の家で一頭の老犬を引き取ったことがあります。チャウ・チャウ、柴犬、コリーのミックス犬。明るい茶の毛色のこの犬には複雑な事情があり、人間不信に満ちていました。初めのうちは、ほとんど吠えられて過ごしたほどです。何とか散歩をさせられる程度に懐いてくれた頃、しばらく親戚の家に犬を預けたことがありました。その後迎えに行った私に、待ちわびていたかのようにして飛びついてきたのです。いつも飼い主たちの腹の底をじっと見るように視線を向けていたあの犬が。映画のハチのような忠義心を持っているとは思っていなかったので、驚いたと同時に、忘れがたい喜びをおぼえたのでした。

映画の中で生き物という存在は、得てして「献身」として表現されがちです。とりわけ、崇高なほどの健気さを持つ犬という生き物は、自分の身を惜しげもなく捧げる姿を見せてくれます。犬たちはなぜ、来ないかもしれない主人をひたむきに待つことができるのでしょうか。今もって彼らの気持ちが理解できない私にとっても、あの日喜び勇んで駆け寄ってきたおじいさん犬には、人間の心を浄化するほどの力がありました。彼もまた、悲しく純粋な時間を過ごしていたのでしょう。

(ミ・ナミ)