すみちゃん
コクトーの言葉や絵や映像に触れた時の多幸感をどう説明したらよいだろうか。わたしが最初に出会ったコクトーの作品は絵画だった。シンプルながらも柔らかな曲線には遊び心がある。この素敵な絵は誰が描いたのだろう?と調べてみるとコクトーだったことが何度もあった。彼の詩的イメージを視覚的に実現した映画『詩人の血』の中で描かれる絵の女性の口が動き始めた時、コクトーの絵画の世界が動き出した喜びを感じた! 彼の絵はいつ動いてもおかしくないほど軽やかであるから、絵を描くたびにもしかしたら描き出した人物や動物から話しかけられていたかもしれない。彼のドキュメンタリーでは、「線の生命」について語り、チャーリー・パーカーの即興演奏に似た手法だと自己分析をしている。彼のイマジネーションはとても感覚的で、ユーモアに満ち溢れているのだ。
ディズニー映画などで馴染み深い童話である「美女と野獣」を幼少のころから愛読していたコクトーは、初めて映画として実写化した。映画では彼のユーモアさや美意識が遺憾なく発揮されており、野獣のメイクには顔に3時間、手に2時間、合計5時間もかかっている。野獣役のジャン・マレーは、自分一人で毛を一房ずつ糊で貼り付け、歯と爪を一本一本はめ込み、鏡の前で変わっていく容貌を見ながら精神的にも役に入っていったそうだ。芸術に身を捧げるコクトーと期待に応えるマレー。コクトーは自己の芸術の化身として、マレーに対し大きな希望と深い愛情を託していた。そして、マレーの自伝「美しき野獣」(新潮社)の中で、コクトーについて「…わたしの両親以上に、あなたはわたしに生を与えたのだ。」と書いている。二人は互いに必要とし、共鳴していたのだと思う。
『オルフェ』の主人公は詩人で、コクトーでありマレーでもある。マレー演じる詩人オルフェが狂人的に言葉に没頭していく姿はまるで2人が一心同体になったかのようだ。鏡の中へ登場人物たちが入っていく演出は『詩人の血』でも見られていたが、さらに深く、その先の冥界を描いていく。死の世界では人を愛してはいけないとう掟。コクトーの描く物語には愛することへの切実なまでの悲しさと、いとおしさが同居している。コクトーが台詞監修を担当している『ブローニュの森の貴婦人たち』もそうだ。恋人の愛を試そうと別れ話を切り出したエレーヌが、相手にすんなり別れを受け入れられてしまい、素直にはなれずに復讐心へと変貌していく。愛することは強く人の心を揺り動かしてしまうことを、ロベール・ブレッソンが淡々と演出し、コクトーは台詞ではっとさせる。コクトーの作品を観ているとどうしても愛について向き合わなければならなくなる。
小説の「恐るべき子供たち」を読んだとき、人が人へ恋焦がれる瞬間の言葉選びにわたしは心が震えるようだった。説明しがたい幼少期の衝動、危うさ、延長線上のまま大人になることの曖昧さ。ジャン=ピエール・メルヴィルが映画化では監督を務め、現場ではコクトーと衝突しながらも、大胆な演出により姉弟のひと言では言い表せない倒錯的な関係性が、愛が、より際立っている。なんて危ういのだろう。愛に没頭する人々に、わたしは見入ってしまう。
コクトーの表現した作品に出会うと、わたし自身も人を深く愛し、愛されたいのだと気づいてしまう。いや、人だけではなくて、コクトーは表現すること自体を愛し、けれど愛を言葉にできないことも知っていた。彼は現実や真実、絶対的なものを描こうとはせず、決して明言しない。まるでこの現実世界がフィクションであるかのように軽やかに表現し、生きることそのものでさえ作品としてとらえるような潔さがある。だからこそ彼の作品は心地が良く感じるのだろう。
詩人、小説家、劇作家、画家、役者、映画監督と、あらゆる方面で芸術を体現したジャン・コクトー。特集上映でぜひこの作品の持つ魅力に浸ってもらえたらと思います!
【モーニングショー】詩人の血 4Kデジタルリマスター版
【Morning show】The Blood of a Poet
■監督・脚本 ジャン・コクトー
■撮影 ジョルジュ・ペリナール
■衣装 ココ・シャネル
■音楽 ジョルジュ・オーリック
■出演 エンリケ・リベロ/エリザベス・リー・ミラー
©︎1930 STUDIOCANAL
【2023/6/24(土)~2023/6/30(金)上映】
永遠に鮮烈なアバンギャルド・カルト・クラシック
コクトーが映画というメディアで初めてイマジネーションをあますことなく解き放った記念すべき作品にして、サルバドール・ダリ×ルイス・ブニュエルの『アンダルシアの犬』(1928)と並ぶアバンギャルド・カルト・クラシック! 四つのエピソードからなる本作にはギリシャ神話の要素や鏡、雪合戦といった後の『オルフェ』や中編小説「恐るべき子供たち」と共通する描写が散りばめられ、挑戦的な特殊効果によって事物が神秘的に息吹くさまを表現している。直線の物語から解放され、場所や時を自由自在に選び出し、舞台を作り出し、夢を記録し、死まで飛び越えて浮遊する。
「ぼくは目に見えるぼくの血と、目には見えぬ血、肉体の血と魂の血でこの映画を作りました」
——ジャン・コクトー(アンナ・ド・ノアーユに宛てた手紙より)
オルフェ デジタルリマスター版
Orpheus
■監督・脚本 ジャン・コクトー
■撮影 ニコラス・エイエ
■出演 ジャン・マレー/フランソワ・ペリエ/マリア・カザレス/マリー・ディア
■1950年ベネチア国際映画祭国際批評家賞受賞
© 1950 SND (Groupe M6)
【2023/6/24(土)~2023/6/30(金)上映】
死の世界へも舞い降りる現代の神話
死んだ妻に会うために冥界へ向かう男の悲恋を描いたギリシャ神話のオルフェウス神話もコクトーの手にかかれば、1950年代のパリにて、死の王女に思いを寄せる詩人の物語と変身する。『詩人の血』にも登場した鏡というアイテムが今度は冥界へと続く扉となり、恐ろしくも優雅な旅路へと誘う。また、カーラジオから流れる詩などミステリアスかつ耽美な要素が散りばめられつつも、死神の付き人を思わせる黒装束のバイカーや街中での追走劇などが当時のパリの風景の中で描かれ、通俗性を兼ね備えた活劇としての魅力も充分。
主人公オルフェを演じるのはジャン・マレー。死の王女役には『ブローニュの森の貴婦人たち』、ジェラール・フィリップと共演した『パルムの僧院』(1948)で知られるマリア・カザレス。異界の美しい住人を圧倒的な存在感で演じ切り、説得力を与えている。
美女と野獣 4Kデジタルリマスター版
Beauty and the Beast
■監督・脚本 ジャン・コクトー
■原作 ジャンヌ=マリー・ルプランス・ド・ボーモン
■撮影 アンリ・アルカン
■出演 ジャン・マレー/ジョゼット・デイ/ミラ・パレリ
©︎ 1946 SNC (GROUPE M6)/Comité Cocteau
【2023/6/24(土)~2023/6/30(金)上映】
息をのむほどに艶やかな幻想譚
時代を超えて何度も映像化され、愛され続ける御伽噺<美女と野獣>を初めて実写映画化したのはコクトーだった。当時の恋人で長年の公私におけるパートナー、ジャン・マレーを野獣/王子に抜擢し、息をのむほど艶やかで仄かな官能が香りたつ幻想譚を生み出した。
豪奢なコスチュームや耽美で独創的なインテリアといった、魅力的な美術デザインを担当したのはディオールやシャネルとも仕事を重ねたクリスチャン・ベラール。コクトーが表現しようとしていた、ギュスターヴ・ドレの挿絵の世界と映画を結びつけることに成功した。撮影は『ローマの休日』(1953)、『ベルリン・天使の詩』(1987)の名匠アンリ・アルカン。試写では、マレーネ・ディートリッヒがコクトーの手を握りながら鑑賞したという。
ブローニュの森の貴婦人たち デジタルリマスター版
Les dames du Bois de Boulogne
■監督・脚本・脚色 ロベール・ブレッソン
■原作 ドゥニ・ディドロ
■台詞監修 ジャン・コクトー
■撮影 フィリップ・アゴスティーニ
■出演 ポール・ベルナール/マリア・カザレス/エリナ・ラブルデット
© 1945 TF1 Droits Audiovisuels
【2023/6/24(土)~2023/6/30(金)上映】
愛、嫉妬、復讐――。
誇り高い貴婦人エレーヌは恋人ジャンの愛を試そうと別れ話を持ちかけるが、ジャンはあっさりと同意し、エレーヌは自分に対する愛情はもう冷めていることを知る。復讐を企む彼女は残酷な計略をめぐらすが…。
孤高の映像作家ロベール・ブレッソンがドゥニ・ディドロによる小説「運命論者ジャックとその主人」を原作に脚色、トリュフォーやゴダールたちに多大な影響を与えた。当時無名だったブレッソンの為にコクトーは台詞監修のクレジットを引き受けたという。ブレッソンはコクトーとの友情について「二人とも自分の魂の全てを作品にこめているという点で確かだった」と述べている。彼らの交流は長く続き、コクトーは自らの死の1週間前にもブレッソンに手紙を送っていた。
恐るべき子供たち 4Kリストア版
Les Enfants Terribles
■監督・脚本・製作 ジャン=ピエール・メルヴィル
■原作・脚色・台詞・ナレーション ジャン・コクトー
■撮影 アンリ・ドカエ
■編集 モニク・ボノ
■音楽 ポール・ボノ
■衣装デザイン クリスチャン・ディオール
■出演 ニコール・ステファーヌ/エドワード・デルミット/ルネ・コジマ/ジャック・ベルナール/ロジェ・ガイヤール
©️1950 Carole Weisweiller (all rights reserved) Restration in 4K in 2020 / ReallyLikeFilms
【2023/6/24(土)~2023/6/30(金)上映】
それは同性愛か、近親愛か――美しき姉弟によって繰り広げられる、危険な戯れ。
ある雪の日の夕方、子供達の雪合戦が熱を帯びる中、ポールは密かに想いを寄せていた級友ダルジュロスの放った雪玉を胸に受け倒れてしまう。怪我を負ったポールは自宅で療養することになるが、そこは姉エリザベートとの秘密の子供部屋、他者の介入を決して許さない、死を孕んだ戯れと愛の世界だった。
1940年ー50年代のカルチャー華やかなりし頃のパリで、一躍時代の寵児となっていたジャン・コクトー。絵画に文学、詩、演劇、そして映画にと、その才能は止まることがなかった。そのコクトーが自他ともに認める最高傑作と明言し、拒み続けてきた『恐るべき子供たち』の映画化を唯一許したのが、当時、監督デビュー作『海の沈黙』が注目を浴びていた新人ジャン=ピエール・メルヴィルだった。独自の美学を構築していたコクトーと、のちにフィルムノワールのスタイルを確立していくメルヴィル。二人の天賦の才能による奇跡のコラボレーションが成立した。
また、メルヴィル同様『海の沈黙』で撮影監督デビューを果たしたアンリ・ドカエも、この作品を皮切りにのちの名作と言われる作品を次々と手がけていく。スタジオ方式の撮影を嫌い、演劇的なアプローチと即興演出に拘った本作の登場は、直後の映画史に大きなうねりと痕跡を残すこととなる、まさにヌーヴェルヴァーグ誕生の布石となった。