タル・ベーラはいかにして、唯一無二の映画作家になったのか
伝説の『サタンタンゴ』以前の足跡をたどる、日本初公開3作を4Kデジタル・レストア版で一挙上映
『ニーチェの馬』(2011)を最後に56歳という若さで映画監督から引退した後も、伝説的な7時間18分の『サタンタンゴ』(1994)が日本で初公開されるなど、熱狂的な支持者を生み出し続けているタル・ベーラ監督。ジム・ジャームッシュ、アピチャッポン・ウィーラセタクンといった映画監督たちに大きな影響を与えてきたタル・ベーラがいかにして自らのスタイルを築き上げ、唯一無二の映画作家になったのか。その足跡をたどるべく、『サタンタンゴ』以前、伝説前夜の日本初公開3作を4Kデジタル・レストア版で一挙上映する。
ジョン・カサヴェテスやケン・ローチを想起させると評された初期の作品から、“タル・ベーラ スタイル”を確立させた記念碑的作品『ダムネーション/天罰』(1988)まで、根底に共通しているのは、社会で生きる人々の姿を凝視し、それを映像にとらえる眼差しである。人々のリアルな姿を映し出すために繰り返し登場する酒場、そして酒場での音楽、歌とダンス。タル・ベーラのフィルモグラフィに一貫する共通項の萌芽を既にこれらの作品群に見て取ることができる。
ミ・ナミ
今週の早稲田松竹は、わずか7本の長編作品を残して映画監督を引退したシネアスト、タル・ベーラ監督の足跡をたどる3作品『ファミリー・ネスト』『アウトサイダー』『ダムネーション/天罰』を上映いたします。
丁寧なロングショットでスクリーンにみなぎる重み。情緒的な物語と説明を排し、観客の想像力を試すようなストーリーテリング。“スローシネマ”を代表する一人であるタル・ベーラ監督ですが、しかし同時に、そうしたカテゴリーにのみ帰属しないタル・ベーラだけの圧倒的な迫力があるように思います。初期作品群を目にしたとき、すでに確立されている彼のテクニカルなエッセンスに加えて、人間の醜悪さや人生の清濁を酷なまでに射貫く眼差しを感じるのです。
3つの作品の主要登場人物は、冴えないバイオリン弾きや、不協和音に満ちた一家、この世の不義不貞を煮詰めたような面々など、現実の片隅でどうにもならない生を歩む人々ばかりです。彼らの絶望に連帯しようと思う反面、時に毫も同情できない悪行はたやすく共感させてはくれません。
タル・ベーラ監督は、不法占拠している労働者を警察官が暴力的に排除した様子を撮影し逮捕された経験や、かつてジャファル・パナヒ監督が投獄された際すぐさまメッセージを発するなど、政治に対する敢然としたポリシーを持っています。それでありながら、観客が容易に理解できるようなスタイルで社会批判を描くのではなく、虚無に生きる人々―特に彼らの空白な瞳―を通じ、彼らの暗闇が一体何によるものなのかを我々に考えさせるのではないでしょうか。
静かに流れる荒涼とした時間と空間に魂ごと流されるような映画体験の『サタンタンゴ』や、発狂した悲劇の哲学者ニーチェの逸話からイマジネーションを受け、緊張感とともに力強く映し出した『ニーチェの馬』といった傑作で、早くも伝説となったタル・ベーラ監督。その予兆を、是非当館で目撃してください。
ファミリー・ネスト
Family Nest
■監督・脚本 タル・ベーラ
■撮影 パプ・フェレンツ
■編集 コルニシュ・アンナ
■音楽 スレーニ・サボルチ/トルチュバイ・ラースロー/モーリツ・ミハーイ
■出演 ラーツ・イレン/ホルバート・ラースロー/クン・ガーボル/クン・ガーボルネー
【2022/12/3(土)~12/9(金)】
住宅難のブダペストで夫の両親と同居する若い夫婦の姿を、16ミリカメラを用いてドキュメンタリータッチで5日間で撮影した、22歳の鮮烈なデビュー作。不法占拠している労働者を追い立てる警察官の暴力を8ミリカメラで撮影して逮捕されたタル・ベーラ自身の経験を基にしている。「映画で世界を変えたいと思っていた」とタル・ベーラ自身が語る通り、ハンガリー社会の苛烈さを直視する作品となっている。社会・世界で生きる人々を見つめるまなざしの確かさは、デビュー作である本作から一貫している。
アウトサイダー
The Outsider
■監督・脚本 タル・ベーラ
■撮影 パプ・フェレンツ/ミハーク・バルナ
■編集 フラニツキー・アーグネシュ
■音楽 サボー・アンドラーシュ/ホボ・ブルース・バンド/ニュートン・ファミリー/ミネルヴァ
■出演 サボー・アンドラーシュ/フォドル・ヨラーン/ドンコー・イムレ/バッラ・イシュトバーン
【2022/12/3(土)~12/9(金)】
社会に適合できないミュージシャンの姿を描いた監督第2作にして、珍しいカラー作品。この作品がきっかけで、タル・ベーラは国家当局より目をつけられることになる。本作以降すべての作品で編集を担当するフラニツキー・アーグネシュが初めて参加。酒場での音楽とダンスなど、タル・ベーラ作品のトレードマークと言えるような描写が早くも見てとれる。日本でも80年代にヒットしたニュートン・ファミリーの「サンタ・マリア」が印象的に使われている。
ダムネーション/天罰
Damnation
■監督・脚本 タル・ベーラ
■脚本 クラスナホルカイ・ラースロー
■撮影 メドヴィジ・ガーボル
■編集 フラニツキー・アーグネシュ
■音楽 ヴィーグ・ミハーイ
■出演 セーケイ・B・ミクローシュ/ケレケシュ・バリ/テメシ・ヘーディ/パウエル・ジュラ/チェルハルミ・ジュルジュ
【2022/12/3(土)~12/9(金)】
クラスナホルカイ・ラースローが初めて脚本を手掛け、ラースロー(脚本)、ヴィーグ・ミハーイ(音楽)が揃い、“タル・ベーラ スタイル”を確立させた記念碑的作品。ラースローと出会ったタル・ベーラは『サタンタンゴ』をすぐに取りかかろうとしたが、時間も予算もかかるため、先に本作に着手する。不倫、騙し、裏切りー。荒廃した鉱山の町で罪に絡みとられて破滅していく人々の姿を、『サタンタンゴ』も手掛けた名手メドヴィジ・ガーボルが「映画史上最も素晴らしいモノクロームショット」(Village Voice)で捉えている。