監督■アキ・カウリスマキ
1957年4月4日フィンランド、オリマティラ生まれ。
ヘルシンキの大学ではコミュニケーション論を学ぶ。在学中は 大学新聞をひとりで編集するなど、すでに単独者としての片鱗を見せる。そのかたわらフィンランドの代表的な映画雑誌にも盛んに寄稿する。雑誌編集にも積極 的に参加し、全ページを別のペンネームで書き分けるなどその偉才ぶりを発揮。その後、映画評論家としてキャリアをスタートさせるが、評論だけにはとどまら ずシナリオ作家、俳優、助監督など数々の仕事に携わり、1980年、兄ミカが監督した中編「Valehtelija」に俳優として出演。
最初の長編監督作品は83年のドストエフスキー原作の『罪と罰』である。この作品がフィンランドのオスカーにあたるユッシ賞の第一回最優秀処女作品賞と最 優秀脚本賞をダブル受賞し一躍注目を浴び、さらに東京国際映画祭のヤング・シネマにも出品された『パラダイスの夕暮れ』(86)がカンヌ映画祭の監督週間 をはじめ各国の映画祭に招待され、世界の映画人の注目を集める。
カウリスマキ兄弟は、1981年にゴダールの『アルファヴィル』から命名した映画会社≪ヴィレアルファ≫を設立、また、<センソ・フィルム>という配給会社も所有し、ヘルシンキ中心部には<アンドラ・カルチャー・コンプレックス>とう映画館も運営していた。
日本では1990年、フィンランド出身で世界的に人気のあるバンド、レニングラード・カウボーイズの映画『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリ カ』で注目され、同じ年『真夜中の虹』『マッチ工場の少女』と立て続けに公開。この年が日本における実質的なカウリスマキ元年となる。
・罪と罰(1983)
・カラマリ・ユニオン(1985)
・パラダイスの夕暮れ(1986)
・ハムレット・ゴーズ・ビジネス(1987)
・真夜中の虹(1988)
・レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ(1989)
・マッチ工場の少女(1990)
・コントラクト・キラー(1990)
・ラヴィ・ド・ボエーム(1992)
・小津と語る Talking With OZU(1993)
・レニングラード・カウボーイズ、モーゼに会う(1994)
・トータル・バラライカ・ショー(1994)
・愛しのタチアナ(1994)
・アイアン・カウボーイズ ミーツ・ゴーストライダー(未)(1994)
・浮き雲(1996)
・白い花びら(1998)
・過去のない男(2002)
・10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス(2002)
・街のあかり(2006)
・それぞれのシネマ 〜カンヌ国際映画祭60回記念製作映画〜(2007)
・ル・アーヴルの靴みがき(2011)
南のほうにある都会をわたしは目指していくのだが、その都会のことを私たちの村ではこんなふうに話している。
「あすこには、いいかい、ねむらない人間たちがいる!」
「なぜ、ねむらないのだ?」
「疲労しないからだ」
「なぜ、疲労しないのだ?」
「ばかだからだ」「ばかは、なぜ、疲労しないのだ?」
「ばかが、疲労してたまるものか!」 ―フランツ・カフカ「国道の子供たち」より
どうも浮世離れしてきた。というより、浮世が離れていった。
様々な価値観を持ち、自由と平等が、当たり前かのように世の中で語られるようになったのは、歴史的にはほとんど最近だ。しかも、それは限られた国の限られた人々だけ。今日ではインターネットと交通の整理で世界は狭くなった。そして、ほとんどの国や文化はてんでバラバラなまま大きな網で捕えられたかのように、まだ不自由を嘆いている。
でもアキ・カウリスマキの映画の世界の住人たちは、そんなことと関係ない。
『ラヴィ・ド・ボエーム』で描かれる古き良きパリの片隅には、いつの時代にもある貧富の差が描かれているというより、ちょいと目配せされているだけで、これが社会問題であるとか、社会悪であるとかそんなふうには現れない。どちらかというと、彼らの生活は彼らが好き好んで招いた芸術家たちの病のようなものだ。時が止まったかのように美しいパリの情景と共に、生活の不安と憂鬱を抱えながら、仲間と一緒に過ごす日々を、私たちが愛していることを、カウリスマキは知っている。その辛さも。
一方、『ル・アーヴルの靴みがき』なんてどうしても笑ってしまう。見たことある!? 靴みがき。冒頭の駅の風景を見れば、歩く人はほとんどスニーカーだし、ギャングや神父しか革靴なんて履いてない。皮肉が利いてる。この2作品を通じての主人公マルセル・マルクスは、まるでおとぎ話からおとぎ話へ裸一貫で抜け出してきた…そう例えてみたら、西部劇なんかのお決まりの人物のようだ。多分神父とかギャングと同じだ。(人は皆過去を抱えている。それは、マルセル同様、この映画に出てくる八百屋でも、パン屋でも、警部でも、バーのママでも同じだ。彼らの過去はきっと触れてはいけないもの、名付けてはいけないものに違いない。マルセルに、もしそんなおとぎ話のような過去があるとしたら、それは『ラヴィ・ド・ボエーム』のように、大切な思い出だ。)
ジャン=ピエール・レオーが画面に映ればどうしても思い出してしまう。『大人は判ってくれない』のアントワーヌ少年。『コントラクト・キラー』で自殺しようとしてスゴ腕の殺し屋を雇ったけど、やっぱり生きたくなって追いかけられるアンリ。相変わらず神経質で落ち着きがない、彼の近視眼的なところが好きだ。キュートだ。
カウリスマキ映画常連のカティ・オウティネンだって、年をとったなぁ。『マッチ工場の少女』が不条理に耐えるように取りだした煙草の一本を、今、病の不安に耐えて、最愛の夫のポケットから抜き出さなくてはならなくなった彼女の人生に。もうマッティ・ペロンパーが出てこないカウリスマキの映画に。あぁ、ライカが付いていく。
すでにカウリスマキの映画を見たことがある人にはお決まりの風景、大胆に省略された展開や、シンプルさの極限で超高速度に交わされるコミュニケーション(眉一つ、佇まい一つ)に、あぁ、映画。あぁ、映画とひっぱられる。そうだ。この世界には秩序がある。映画館に行けば秩序のある美しい映画が観られる。
しかし、ふと我に返る。「映画」「映画」と頭の中で鳴り始める。画面はちょうど、母に会うためにイギリスへ向かうアフリカ難民の少年が、警察に見つかって、コンテナから走り出してくるところだ。
現実が映画の中に侵入してきた!!
今、古き良き世界の住人たちは、一人の少年を救うために、何ができるのか。カウリスマキはありとあらゆるプロレタリアートの生活との格闘の姿を描いてきた。記憶を失った『過去のない男』ならば、前に進めばいい。『浮き雲』はどこにだって流れていく。『街のあかり』はここにもある! その全てに温かなまなざしをおくり続けてきた、このカウリスマキの世界の秩序は一つの現実を目の前にして、如何に保たれるのか。
アキ・カウリスマキ(現在55歳)。
フィンランドの巨匠の新たな戦いはまだ始まったばかりだ。
(ぽっけ)
ラヴィ・ド・ボエーム
LA VIE DE BOHEME
(1992年 フランス/イタリア/スウェーデン/フィンランド 100分 ビスタ/MONO)
2012年11月10日から11月16日まで上映
■監督・製作・脚本 アキ・カウリスマキ
■原作 アンリ・ミュルジェール「ボヘミアン生活の情景」より
■撮影 ティモ・サルミネン
■音楽 ダミア/セルジュ・レジアニ
■出演 マッティ・ペロンパー/アンドレ・ウィルム/カリ・ヴァーナネン/イヴリーヌ・ディディ/ジャン=ピエール・レオー/サミュエル・フラー/ルイ・マル
■ベルリン国際映画祭国際評論家連盟賞/ヨーロッパ映画賞主演男優賞・助演男優賞/フィンランド・アカデミー賞最優秀監督賞受賞
★製作から長い年月が経っているため、本編上映中、お見苦しい箇所・お聞き苦しい箇所がございます。ご了承の上、ご鑑賞いただきますようお願いいたします。
舞台はパリ、芸術家の町。ロドルフォは、アルバニアからやってきた画家。作家のマルセルが、家賃不払いのためアパルトマンを追い出され、途方に暮れて入った料理店で二人は出会い、すぐさま意気投合。芸術談義に花が咲き、わが家へどうぞとマルセルがロドルフォを案内してみれば、そこには既に次の住人、音楽家のシュナールが座っていた。貧しい芸術家の三人は早速ワインで乾杯を。かくして、ボヘミアンな生活が始まった。
それまで労働者階級の絶望的ともいえる生活環境を奇妙にズレたタッチで描いてきたアキ・カウリスマキが、思いきりセンチメンタルに、ロマンチックシーンを盛り込んで、新境地を開いた作品が『ラヴィ・ド・ボエーム』である。92年にベルリン国際映画祭で公開されるや国際批評家賞を受賞、その後も世界各国で観客の大喝采を浴びた。
原作となった「ボヘミアン生活の情景」は、あのプッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」と同じものだが、カウリスマキは“原作を台無しにしたプッチーニへの復讐を込めてこの映画を作った”とも言う。キャストには常連のマッティ・ペロンパーほか、前作『コントラクト・キラー』で主演したジャン=ピエール・レオー、そしてなんとサミュエル・フラーとルイ・マルが友情出演を果たしている。
哀愁漂うモノクロームの映像で再現されたパリの情景。まるで時の流れが止まったかのようなパリの芸術家たちの暮らしぶりを影絵のごとく映し出し、カウリスマキは浮世の塵として困窮生活の中で自由を謳歌する人々への暖かいほほ笑みを送っている。
ル・アーヴルの靴みがき
LE HAVRE
(2011年 フィンランド/フランス/ドイツ 93分 ビスタ/SRD)
2012年11月10日から11月16日まで上映
■監督・製作・脚本 アキ・カウリスマキ
■撮影 ティモ・サルミネン
■美術 ヴァウター・ズーン
■衣装 フレッド・カンビエ
■編集 ティモ・リンナサロ
■出演 アンドレ・ウィルム/カティ・オウティネン/ジャン=ピエール・ダルッサン/ブロンダン・ミゲル/エリナ・サロ/イヴリーヌ・ディディ/ゴック・ユン・グエン/ フランソワ・モニエ/ロベルト・ピアッツァ/ピエール・エテックス/ジャン=ピエール・レオー/ライカ
■シカゴ国際映画祭金のヒューゴー賞受賞/フィンランド・アカデミー賞最優秀撮影賞・最優秀監督賞・最優秀編集賞・最優秀作品賞・最優秀脚本賞・最優秀助演女優賞受賞、ほか3部門ノミネート/カンヌ国際映画祭パルム・ドールノミネート/ヨーロッパ映画賞作品賞・監督賞・男優賞・脚本賞ノミネート、ほか受賞・ノミネート多数
北フランスの港町ル・アーヴル。パリでボヘミアン生活を送っていたマルセル・マルクスは、いまはル・アーヴルの駅前で靴をみがくことを生業としている。家には献身的な妻・アルレッティと愛犬ライカが彼の帰りを待っている。その小さな街で暮らす隣近所の人々の温かな支えも、彼にとってはなくてはならない大切な宝物だ。
そんなある日、港にアフリカからの不法移民が乗ったコンテナが漂着する。警察の検挙をすり抜けた一人の少年イドリッサとの偶然の出会いが、マルセルの人生にさざ波をおこす。しかし同じ頃、妻のアルレッティは医師より、余命宣告を受けるのだった…。
世知辛い世の中にあって「“カウリスマキ界隈”では、奇跡は本当におきてしまう」とカンヌ国際映画祭で絶賛を浴びたアキ・カウリスマキ監督最新作。100分以内に収まるミニマルな様式で庶民の慎ましい生活を描く“いつもながら”のカウリスマキ節と、“いつにも増して”愛おしい温もりに満ちた物語が、あらゆる観客を至福のひとときに誘う、ヒューマン・ドラマの傑作が誕生した。
貧困や病に見舞われて生きる主人公のマルセルとアルレッティは、吹けば飛ぶようなちっぽけな存在。カウリスマキはそんなふたりのかけがえのない夫婦愛、気のいい隣人たちとの友情、そして難民の少年への無償の善意を、説教臭さもうさん臭さもまったく感じさせない素朴なタッチで映し出す。暗い世相に覆われた現代に、あえて庶民の優しさや誠実さをみずみずしくもペーソス豊かに謳い上げたその人間讃歌は、ル・アーヴルの路地に希望のあかりを灯らせ、カウリスマキ的な哀愁と侘びしさをまとった世界をきらきらと輝かせていく。やがて訪れる奇跡のように晴れやかな旅立ちと再生のラスト・シーンは、しばし忘れえぬ最高のエンディングとして観る者の胸に染み入るに違いない。