「人生って本当にクソみたいだな、っていうか俺(私)がクソだ」

そう思っている人はアキ・カウリスマキの作品を観てみては?
「それに彼女(彼氏)以前に友達も一人もいないしさ」
それなら絶対アキ・カウリスマキの作品を観るべきだ。
「その上貧乏だし…」
いいから、もう何も言わなくていいから、お前はアキ・カウリスマキ観とけ!!!

だって彼の作品に出てくる奴らは基本的に不幸で貧乏で友達がいない。
そして主役のくせに格好良くも美しくもない。それでも泣き喚かないで彼らは生活している。
「そこまで言うなら見てみるけど、それじゃ、どういう作品なの?」
ウ〜ン困った。カウリスマキの映画を人に説明する時はいつも戸惑う。
このおもしろさ、この可笑しさをどう伝えていいものかと。

「無表情な冴えない登場人物達。その人達の冴えない生活。」
えっ、これじゃ全然伝わらない。

「その上淡々としていてさ。台詞も音楽も少ない。」
ああ、まったくダメ。

「台詞は少ないけど、視線が台詞以上に語るんだよ。そして”間”、とにかく間の取りかたが逸品。
この間の絶妙さで笑わせたり、余韻を残したりと、とても楽しませてくれる。」
ちょっとは伝わったかな?

「人生には勝ち負け以外にも大切なことがある。
地位とか、名誉とか、財産とか、そんなモノ達に隠れて見えなくなっている
小さな幸せが案外近くにあることに気づかせてくれるよ。」

もう一押し…。

「それと出てくる人の喫煙率がバカ高いし、アルコール摂取率もバカ高い。
観終わった後のタバコとお酒が最高!!!」

伝わったかな?

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レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ
LENINGRAD COWBOYS GO AMERICA
(1989年 フィンランド/スウェーデン 79分)
2008年2月9日から2月15日まで上映 ■監督 アキ・カウリスマキ
■脚本 ヤッケ・ヤルヴェンバー/マト・ヴァルトネン/アキ・カウリスマキ
■撮影 ティモ・サルミネン
■音楽 マウリ・スメン
■出演 マッティ・ペロンパー/ザ・レニングラード・カウボーイズ/サカリ・クオスマネン

これは、海を越えてカルチャーの復讐に立ち向かう、ワイルドでおかしなファンタジーだ。すばらしく簡潔な、ことばと映像の楽しさが連発される──ベン・トンプソン/NME

すさまじいリーゼント・ヘアーにサングラス、世界で最も尖った靴、そして毛皮のコートというスタイルのレニングラード・カウボーイズは、とある国のツンドラ地帯を拠点に活動するサエないバンド。ある日、夜を徹して屋外でリハーサルをしていたところ、メンバーのベース担当が凍結してしまう。

彼らはバンドとして筆舌につくしがたいほど粗悪であったため、プロモーターは彼らに“アメリカへ行く”ことが唯一の希望だと話す。そして、彼らはマネージャーに連れられてアメリカへと旅立つ。

ニューヨークに着いて彼らは仕事を探したが、やっと見つかった仕事はメキシコでの結婚披露宴での演奏だった。彼らは巨大なキャデラックを購入し、一路メキシコを目指して出発するが…

ちなみにレニングラード・カウボーイズというバンドは実際にヨーロッパを中心に活動しており、映画と同じスタイルで演奏しているという。しかし、音はファンキーな感じで、かっこいいのである。


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コントラクト・キラー
I HIRED A CONTRACT KILLER
(1990年 フィンランド/スウェーデン 80分)
pic 2008年2月9日から2月15日まで上映 ■監督・脚本 アキ・カウリスマキ
■原作 ペーター・フォン・バッグ
■撮影 ティモ・サルミネン

■出演 ジャン=ピエール・レオー/マージ・クラーク/ジョー・ストラマー/セルジュ・レジアニ

「人生はきついが面白い。」──アキ・カウリスマキ

1990年のヴェネチア映画祭の最終日にさりげなく登場して映画祭の人気を一挙にさらった『コントラクト・キラー』は、カウリスマキが初めてフィンランドを離れ、ロンドンで作った英語映画である。

舞台はロンドンのイースト・エンド。自殺を決意した孤独な主人公だが、首吊りにもガス自殺にも失敗してしまう。そこで自分を殺してもらうべく、世界に名だたる殺し屋を雇ったら、花売り娘と恋をしてしまって…というオフビート・メルヘン。映画は日常のリアリズムから、メロドラマへ、そして最後の劇的瞬間に向かって、ドライヤーとメルヴィルを思い起こさせ、しかし決してその域に届くことのない映画的構造で展開する。辛くて甘い、深刻におかしくて陽気に悲しい、夜明けがたそがれているのか、黄昏に夜明けが訪れているのか、判然としない不思議な魅力の世界が展開する。美しい映像に叙情がにじむ快作だ。

カウリスマキは監督・脚本・製作・編集、さらにクレジットに記してはいないが音楽(選曲とミキシング)、特別出演(J=P・レオーにサングラスを売る男)までこなしている。

突然クビになって失業するという設定以外に何の理由もなく、自殺しようとする男を演じるのは、ジャン=ピエール・レオー。トリュフォーの『大人は判ってくれない』からアントワーヌ・ドワネルを演じ続け、ヌーヴェルヴァーグのポエティックな心を体現したレオーが見事な復活を見せ、バスター・キートン的な味わい、という最高級の賛辞を浴びている。90年ストックホルム映画祭で最優秀主演男優賞を受賞。


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街のあかり
LAITAKAUPUNGIN VALOT
(2006年 フィンランド 78分)
2008年2月9日から2月15日まで上映 ■監督・脚本・編集 アキ・カウリスマキ
■撮影 ティモ・サルミネン
■音楽 メルローズ

■出演 ヤンネ・フーティアイネン/マリア・ヤンヴェンヘルミ/マリア・ヘイスカネン/カティ・オウティネン

『浮き雲』『過去のない男』に続く、アキ・カウリスマキ敗者三部作完結編!

フィンランドのヘルシンキに、ひとりの男が静かに生きていた。友人はいなかった。愛する人もいなかった。見守る家族もいなかった。文字どおりひとりぼっちの世界を生きていた。海辺でソーセージ屋を営む女だけが彼を見つめていたのに、その店のあかりは彼の眼には入らなかった。

街の片隅でたったひとり生きる男の、孤独な、しかしつつましやかに夢を見ながら生きる世界に、ダリアのような猛毒が注がれる。その結果たどり着いた場所は、あかりの全く灯らない、冷え冷えとした世界だった。

しかし一度信じ愛したものに対して、彼が裏切ることは決してなかった。やがて訪れ来る無垢なる愛。その愛が街を静かに灯していく様は、人が人間性を回復していくような、奇跡的な美しさだった…。

チャップリンの『街の灯』のごとく、人間の誠実さを丁寧に追いかけた傑作がフィンランドから誕生した。北欧のゆるやかな空気感のなかに宿る、生きていくことの喜びが灯す微かなあかり。そのあかりのもとでは、清らかで美しい涙が流されることだろう。


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