「CURE キュア」「カリスマ」「降霊 KOUREI」「回路」・・・今や、新作を発表する度に海外の映画祭へ招待される黒沢清の名前を、世界へ知らしめた代表作をいくつか挙げてみると、陰鬱でほの暗い世界が浮かび上がる。それらの映画は”ホラー映画”として人々に紹介されることが多い。けれど、レンタルビデオショップのホラー映画のコーナーに並ぶ、血しぶきや生首が飛び交う、”いかにも”なホラーと、黒沢清が描くホラー、つまり恐怖は、圧倒的に何かが違う。

清冽な川の水面のように、澄んだ恐怖。

例えば子供のころ一人でお留守番をしていて、毎日暮らしている我が家なのに、急に違和感を感じたことはなかっただろうか。たんすの隙間が、母親の鏡台が、お気に入りのぬいぐるみが、目に映る何もかもが、わけもわからず怖い。意識の奥底からあふれ出す、かろうじて恐怖と呼ぶことだけしかわからない、あやふやなもの。ありきたりな怪物とか、お決まりのルールだとかゴールといった、はっきりとした色や形のない、あのあやふやで半透明なものが、そのままにスクリーンの中を浮遊する。

ある観客にとって黒沢清の映画は難解で、不親切な映画かもしれない。またある観客にとっては、鑑賞後数日は思考回路をふわふわとくすぐる、哲学的な映画かもしれない。ひとえに、簡単な言葉では括れない、歯がゆい映画である。

しかし『ニンゲン合格』と『アカルイミライ』。この二つの作品は、黒沢清の他の作品と比べてみると、どうしても毛色が違うものに見える。一つは両作とも”父親”という、今までほとんど無視されてきた存在が、物語の中で大きな役割を与えられていることが重要である。

二つめは体温。それまで、まるで爬虫類生物のようにひんやりとしていて、何を考えているのかわからなかった登場人物達に、血の通った生身の肉体が与えられたように思う。三つめは抱擁。1999年に公開された、黒沢清の映画では初のラブストーリー、『大いなる幻影』の中の恋人達でさえ、最後まで抱擁することはなかった。それなのに、『ニンゲン合格』の役所広司が、『アカルイミライ』の藤竜也が見せる抱擁は、男女のそれよりも、戸惑うくらいにまっすぐな愛情だった。

さて、映画を見終わった時、あなたはこの二作の映画をどんな風に言い表すだろう。


アカルイミライ
BRIGHT FUTURE
(2002年 日本 115分) 2008年9月13日から9月19日まで上映 ■監督・脚本 黒沢清
■出演 オダギリジョー/浅野忠信/藤竜也/笹野高史/りょう/加瀬亮/小山田サユリ/はなわ/松山ケンイチ

■オフィシャルサイト http://www.uplink.co.jp/brightfuture/

誰にでも違う未来が待っている。

おしぼり工場で働く仁村雄二(オダギリジョー)と有田守(浅野忠信)。毎日をただなんとなく生きながらも、常にふつふつとこみ上げる怒りや不満を抱え、時に自制できなくなる雄二を、守は心配していた。

こうしたら”待て”で、こうしたら”行け”のサインだからな。

子供にしつけるように、拳のサインを雄二に教える守。しかし常に雄二を見守る存在だった守は、ある事件をきっかけに永遠に雄二の前から姿を消してしまう。ペットとして飼っていたアカクラゲと、”行け”という拳のサインを雄二に残して…。

やりきれない思いを抱えながら、雄二は守の父親である真一郎(藤竜也)と、奇妙な共同生活を始める。雄二とのコミュニケーションの難しさにやきもきしながら、失った息子と同じ年頃の雄二に、つい父親的に接する真一郎。そんな時テレビから、東京の河でアカクラゲが異常発生しているというニュースが流れてくる。

世界が注目する監督黒沢清の最高傑作

役者の肉体を通すと、言葉はなんであんなに輝くのだろう。藤竜也が一番最後に、作業場の中で一人ぼっちでつぶやく言葉が、すごく心に染みた。父性の愛情、というものを久しぶりに見たような気がした。


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ニンゲン合格
(1998年 日本 109分) 2008年9月13日から9月19日まで上映 ■監督・脚本 黒沢清
■出演 西島秀俊/役所広司/菅田俊/りりィ/麻生久美子/哀川翔/大杉漣/洞口依子/鈴木ヒロミツ/豊原功補

ある日、昏睡状態から目覚めたら、家族はバラバラだった…

14歳のときに交通事故で昏睡状態に陥り、10年後の24歳になって目覚めた吉井豊(西島秀俊)を取り巻く世界は、何もかもが変わってしまっていた。家族はとっくの昔に離散して、奇跡的に目を覚ました豊を暖かく迎えてくれる者は誰も居ない。

空っぽになった吉井家の敷地の片隅で、釣堀を営む父の友人、藤森(役所広司)が、そんな豊を世話することになった。10年前の面影すらない豊の家。その昔豊の家はポニー牧場だった。家の中にはテーブルを囲む家族団欒の風景があった。

突然豊は、我に返ったようにがむしゃらに働き出した。失った10年間の歳月と、元に戻るはずのない家族を取り戻そうとするかのように。やがて、今や宗教活動に奔走する父の真一郎(菅田俊)や、アメリカへ行っていた妹の千鶴(麻生久美子)が、ふらりと豊の家に現れる。互いにぎこちなさを感じつつ、それでも確かに家族だった感触を取り戻してくる吉井家。しかし懐かしい日々はそう長くは続かなかった・・・。

黒沢清監督が描く新たなる傑作

「家族とは絶対的なくせに希薄であり、偶然の産物でありながら濃密であるといった厄介な関係であった。逃れようとすればするほど絡みつき、掴みとろうとするとするりと逃げていく、それが個人と家族の関係である。それを運命と呼んでもいいし、まぼろしと呼んでもいい。」…とは、黒沢清が、『ニンゲン合格』が劇場で公開する際に語った家族についての考えである。


9月27日に公開を控える新作の『トウキョウソナタ』。『ニンゲン合格』から10年。
得体の知れない恐怖から、現代の家族が抱える複雑な機微まで、
どんなテーマも繊細に描く、黒沢清は、今度はどんな歯がゆいものを見せてくれるのだろう。

(猪凡)


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