Helpless
(1996年 日本 80分)
2007年11月24日から11月30日まで上映 ■監督・脚本・音楽 青山真治
■出演 浅野忠信/光石研/辻香緒里/斉藤陽一郎/伊佐山ひろ子/永沢俊矢

どこまでも続く山の緑。その下に広がる工業地帯。人のいない道路。余裕で手を広げられる広さ。なのにどうして、こんなに窮屈なんだろう。見ているほうまで息苦しくなってくる。

乾いていて湿った空気。突き放すようで後ろから見られているような居心地の悪さ。こんな感覚を、私はすごく知っている気がする。晴れているのに曇っているような街、自分が生まれた街を、その時ふと思い出した。

説明的な会話はほとんど無く、会話の断片から拾って推測するしかない。なんとなく、聞いてはいけないことを聞いてしまった気になってくる。後ろから肩をぽんと叩かれて、「おいちょっと来い」などと言われてしまいそうな気分である。

高校生の健次(浅野忠信)は、ある日偶然に幼なじみだった安男(光石研)と再会する。安男はヤクザであり、仮出所してきたばかりだった。安男を迎えに来た男達が、安男が刑務所に入っているうちに、組長が死んで組は解散したことを説明するのだが、安男は全く信じようとしない。挙句の果てに安男はその男達を拳銃で殺してしまう。

安男は、健次に預かって欲しいと言って、ショルダーバッグと妹のユリ(辻香緒里)を預け、もういない組長を探し彷徨う。健次は、このことがきっかけとなり、次第に日常からはみだして行く…。

青山真治の劇場映画デビュー作。この後『EUREKA』と続き、今年待ちに待った『helpless』の続編である『サッドヴァケイション』が公開された。これは『EUREKA』ともリンクしている。

pic自身の出身である北九州を舞台にして描くのは、地方独特のなんとも言いがたい空気に取り囲まれたものだった。重く淡々と過ぎて行く時間の中で、唐突に空気を切り裂く衝動。暴力。誰も彼も、隠し切れないほどに限界だったかのように、いちど溢れてしまえば、あとは加速するだけ。

窓ガラスに三輪車を投げ込み、ガラスが砕けるシーンがある。日常が狂気に変わる瞬間。本当にぞくっとする。健次の暴力、安男の暴力。わなわな震えながらとびかかるような激しさと、ま逆のそれは画面いっぱいの血しぶきなんかよりも、余程残酷で痛々しい。

表情を殆ど変えずに狂気に堕ちて行く様を、浅野忠信は自然にやってのけた。ごく自然に、狂った。言葉でも動作でもなく、存在でそれを示す俳優はそうはいない。彼の無表情から本当に目が離せなかった。(リンナ)



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EUREKA ユリイカ
(2000年 日本 217分)
pic 2007年11月24日から11月30日まで上映 ■監督・脚本・編集・音楽 青山真治
■出演 役所広司/宮崎あおい/宮崎将/斉藤陽一郎/国生さゆり/光石研/利重剛/松重豊/塩見三省

pic九州の地方都市。バスの運転手である沢井(役所広司)は、ある朝、自分の運転するバスをハイジャックされる。次々と殺されてゆく乗客の中、生き残ったのは、沢井の他、中学生の直樹(宮崎将)と、その妹の梢(宮崎あおい)のみであった。事件後、仕事と妻を捨て消息を絶っていた沢井。2年ぶりに戻った街で、ちょうど時期を同じくして連続女性殺人事件が起こる。周囲から犯人と疑われた沢井は、居候していた兄家族の家を出て、ある場所へ向かう。それは、事件で生き残った、あの兄妹の住む屋敷だった。事件の影響で、失語症となってしまった兄妹。さらに、父親は事故死、母親は男を作り家出しており、屋敷に残された二人の生活ぶりは、荒廃したものだった。沢井は、訪れた屋敷で兄妹とともに日々を過ごす。そんな中、彼らの元にまたある人物が訪れる。兄妹の様子を見に来たという大学生の従兄弟・秋彦(斉藤陽一郎)だった。

こうして始まった奇妙な4人での生活。一方、連続殺人事件の犯人は依然つかまらず、沢井の同僚の女性が事件の犠牲者となり発見される。周囲から更なる疑いの目をかけられた沢井は、事件以来運転することのなかったバスを手に入れ、兄妹、秋彦と共にあてのない旅に出る。

事件は、彼らにとって、これまで続いてきたの人生の終わりだった。と同時に新たな生き方模索する始まりでもあった。そうして、終わりと始まりはいつも同時に起こり、その循環が世界をかたち作ってゆく。それは、終わりの見えない、永遠に続くのではないかと思われるほどの倦怠をもときに伴う。かつて沢井の運転していた、街を循環するバスのように。

「人はみな誰でも死ぬ」と吐き、ただ殺戮行為に及ぶバスジャック犯は、その倦怠に埋もれていたのかもしれない。あるいは、世界から取り残された自分への、自分を置いてけぼりにした世界への怒りに満ちていたのかもしれない。一方で、旅のバスの中に最後まで残った沢井と梢の、再び街へ戻ろうという決意は、心の傷を克服した人間の人生の再出発などではなく、今自分はこれまでの人生の続きにおり、これからもこの地続きのような人生を最後まで生き抜くのだという強い意志、覚悟から生まれたもののように思えた。そしてそれこそが犯人がし得なかった「世界の“発見(EUREKA)”」ではないだろうか。

映画に限らず、芸術のさまざまなジャンルにおいて、「トラウマ」や「心の傷」をその主軸とし、最終的には「癒し」へと向かおうする流れをもつ物語が多く存在するようになった気がする。本作も例外ではなく、その筋を追うと、事件によって負った心の傷、その傷からの回復への模索という流れではあるが、この作品が前述のそれらと一線を画しているのは、画面の中に、目には見えない“実感”が存在するからではないだろうか。不可視の実感というものは、なんとも言葉では説明し難いものである。それを感じ発見できるのは、3時間37分間、劇場でこの長編映画と向き合う我々に他ならないのだ。(はま)




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