toppic

誰も知らない
NOBODY KNOWS
(2004年 日本 141分)
2006年9月23日から9月29日まで上映 ■監督・脚本・編集 是枝裕和
■撮影 山崎裕
■音楽 ゴンチチ
■出演 柳楽優弥/北浦愛/木村飛陰/清水萌々子/韓英恵/YOU/加瀬亮

■2004年カンヌ国際映画祭男優賞受賞(柳楽優弥)/パルムドールノミネート
■オフィシャル・サイト
http://www.kore-eda.com/daremoshiranai/

福島家のお引越は少し他の家と違っていました。秋の涼やかな風と共に団地にやって来たのは、12歳の明と明のお母さん。…と、大きな旅行用の鞄に入ってやって来た弟の茂と末の妹のゆき。そして団地の人に見つからないようにこっそりと忍び込むように新居にやってきた妹の京子。四人の子供たちのお父さんは皆違うけど、お母さんは1人だけ。そのお母さんがある日居なくなってしまいます。明に、「お母さんはしばらく留守にします。京子、茂、ゆきをよろしくね。」というメモを残して・・・。

子供の頃の日記のようにほのぼのと始まったこの物語は、1988年に東京で起こった「西巣鴨子供置き去り事件」と呼ばれる、約半年間に及ぶ母親の育児放棄が引き起こした、悲惨な事件がモチーフとなっている。世間の非難は当然のように母親に集中したが、しかし母親の無責任さよりも、残酷な結末よりも、四人の子供達は母親を待ち続けるためにどんな生活を送っていたのか?なぜ子供達は母親のいない生活をかたくなに守りつづけていたのか?という疑問がこの映画の焦点になっている。

pic12歳の明に託されたこと。幼い兄弟の世話と、母親から時折送られてくるお金で四人分の生活をやりくりすること。普通の大人でも難しい事を、明は忠犬ハチ公みたいに健気に守る。長女の京子もしっかり者だし、末の弟と妹の屈託の無い明るさは、苛酷な環境に置かれていることをちっとも感じさせない。公園ではしゃぎまわる四人の姿は、完全な幸福に満たされている。それでも四人は世界に見捨てられている。カップラーメン、クレヨンで襖に描いた絵、雑草やらがおさまったにぎやかな植木鉢。つたないけれども懸命に築き上げた四人の世界は、卵の殻のようにもろく、生暖かく、完璧なバランスを保っていた。

誰の庇護も受けず、大人の干渉を拒み、アパートと駅までの距離を走っては日々を繋げる。子供達は母親を待っていたんじゃなくて、母親の帰って来る場所を守っていたんだ。

pic成人式なんてとっくの昔に終えたのに、なんだか自分のほうがよっぽど幼く思えた。余計な知識と経験を詰め込んだだけの、歳をとった子供。それでも、自分にもこんなに無垢に、純粋に世界と繋がっていた時期があったんだということ。誰もが持っている、不完全で完璧だった蜜月の記憶を、手の平をそっと開いて見せてもらったような映画だった。

自分の子供の頃をどのくらい覚えていますか?迷子になって途方にくれた事はありますか?初めて夜中に一人でトイレに行けた日を、初めて出来た友達の名前を覚えていますか?全てに体当たりで毎日を生きていたころ、あなたは今のあなたよりも遥かに強くて柔く、勇敢だったと思います。何かにくじけそうになった時、くたくたに疲れた時、あの頃の自分に話しかけてみて下さい。

(緒凡)



このページのトップへ

花よりもなほ
(2005年 日本 127分)
pic 2006年9月23日から9月29日まで上映 ■監督・原案・脚本・編集 是枝裕和
■撮影 山崎裕
■音楽 タブラトゥーラ
■出演 岡田准一/宮沢りえ/古田新太/浅野忠信/香川照之/國村隼/原田義雄/加瀬亮

■オフィシャル・サイト
http://kore-eda.com/hana/

『ワンダフル・ライフ』、『ディスタンス』、『誰も知らない』の前三作は、一貫してドキュメンタリーに近い淡々とした視点と即興性の演技を合わせて、リアリティーと自然体を重視するスタイルの演出が目を引いた是枝裕和監督。今作ではそのスタイルが大きく変化したように感じる人も多いだろう。初のコメディ、そのうえ時代劇とだけ聞くと、今までの是枝色がほとんど感じられない雰囲気である。

しかし見てもらえば分かると思うが、スタイルを変えたというよりも、大きく一歩前進したと言ったほうがたぶん正しいだろう。今までドキュメンタリーのような視点で良く見てきた人間というモノを噛み砕き、咀嚼して、自分の中に取り込み、そこから人情豊かな長屋の住民達を生み出しているようだ。根底にある人間賛歌の精神こそが是枝作品の特色だと言えるだろう。

pic元禄十五年、今を遡ること300年。仇討ちに藩が賞金を出していた時代。青木宗左衛門は父親の仇討ちのために信州松本から江戸に出てきた青年武士。広い江戸で父親の仇を探すこの男、剣術道場の息子のくせにとても弱い、その上お金もない。貧しいながらも人情溢れる長屋で暮らすうちに、宗左衛門は「仇討ちしない人生」もあるのではと知ってしまう。果たして宗左衛門は、仇を討つのか?それとも討たないのか?

江戸時代、仇討ちは復讐というよりもその家の意地・面目を守るため、言わばプライドを守るためのものだった。馬鹿らしい話だが、プライドを守るための人殺しは法により正当であると認められていたのだ。しかし、仇討ち制度がなくなっているはずの現代でも、仇討ちは続いているのが現状だ。一番分かりやすい例を出すと、テロにより起こった某大国の報復戦がそれにあたる。これらは復讐心もあるだろうが、大国としてのプライドのために起こる戦争だろう。その上、仇討ち制度のように重仇討ち禁止(仇討ちを仇討ちで返すこと)などの法令がないため、負の連鎖は止まることなく今日もどこかで続いている。報復は報復を生み出すということを誰もが歴史から学んでいるはずなのに、それは終わることがない。

pic名誉やプライドが人間の尊厳として大事なことはたしかに理解できる。しかし、そんなものがなくても本当は人間は生きていくことができる。人生には名誉やプライド以上に大事なものが溢れている。『花よりもなほ』はそんな当たり前のことに、改めて気付かせてくれる温かい作品だ。

(パンプキン)



このページのトップへ