天空の草原のナンサ
DIE HOHLE DES GELBEN HUNDES
THE CAVE OF THE YELLOW DOG
(2005年 ドイツ 93分)
2006年5月13日から5月19日まで上映
■監督・脚本 ビャンバスレン・ダヴァー(『らくだの涙』)
■出演 ナンサル・バットチュルーン / ウルジンドルジ・バットチュルーン / バヤンドラム・ダラムダッディ・バットチュルーン / ツェレンプンツァグ・イシ
配給:東芝エンタテインメント
胸ぐらを鷲掴みにされるような衝撃もあれば、生まれたての赤ん坊に指の先をきゅっ、と握られた時のようないたいけな衝撃もある。その信じられないくらい小さな指先は私の中身と同じ濃度の力をたっぷり蓄えている。
6歳のナンサは、モンゴルの遊牧民として生まれた。ナンサのお家は「ゲル」と呼ばれる巨大な肉まんの形をした移動式住居だ。馬や羊などの家畜を放牧し、移り変わる季節と共にゲルを畳んでは旅をし、ふさわしい場所に束の間の居を構える、風のような家族。
ある日一人でお使いに出かけたナンサは、寄り道したほら穴で一匹の子犬を見つける。家へ連れて帰り”ツォーホル”と名付けるが、父親は狼の子供かもしれないから飼ってはいけないと言う。しかしあきらめきれないナンサは、羊を売りに街へ出かけた父親の留守中に、こっそりツォーホルを飼い始める。日に日にツォーホルへの愛情を深めていくナンサだったが、父親が街から帰って来て、ついに草原を移動する時が来た。無情にもツォーホルは置いて行かれてしまう。ツォーホルが心配で仕方の無いナンサは、ゲルを移動させるあいだ、小さな弟から目を離してしまい、弟はいつの間にかどこかにいなくなってしまう。あわてて探しにいく父親。そのころ弟は、もとの草原でハゲワシの大群に遭遇する危険にさらされていた。すぐそばにはロープに繋がれたまま力の限りほえるツォーホルが。ツォーホルは、幼い弟を守り抜けることができるのか。
子供はみんな不幸だと思っていた。裕福な家に生まれた子も、サラリーマンの家に生まれた子も、才能に恵まれた子も、そうでない子も。それぞれに用意された環境を、本能で母乳を欲するようにただ飲み込んで受け入れるしかないから。親を、兄弟を、住む場所を、やがてそこから離れるまでの生い立ちを。何者にも攻撃されないように、愛情を注ぐ対象にふさわしい姿としてあんなに愛くるしい格好をしているのだ、と思って、いた。
だけど、放牧に出かけた草原で迷子になってしまった愛犬ツォーホルを探して、広大な草原の海を馬に乗って掻き分けて進むナンサの姿はたくましかった。その目は余分な愛情も保護も拒む強さがあって、小さな体は自分よりもか弱いものを守ろうという使命にこうこうと燃えていた。
まだ伸びきらない腕も足も小さな手も、不思議なくらい澄んだ眼も、大人から何かを乞うためについているのではない。誰に頼まれなくてもやがて大地をしっかりと掴んで立つことを知っている。若木のようにすくすくと。
(ロコ)
愛より強い旅
EXILS
(2004年 フランス 103分 )
2006年5月13日から5月19日まで上映
■監督・製作・脚本・音楽 トニー・ガトリフ(『モンド』『ガッジョ・ディーロ』)
■出演 ロマン・デュリス / ルブナ・アザバル / レイラ・マクルフ
男は窓から外を眺めている。全裸の彼が振り返ると、ベッドにはやはり全裸の女がいる。唐突に男は女に告げる。「アルジェリアに行こう」
耳ではなく、肌で音を感じられるオープニングだった。トニー・ガトリフの映画には、どうしてこんなにもパワーが宿るんだろう。「聴く」でも「観る」でもなく、体で感じて、心が揺さぶられてしまう。
男はアルジェリア生まれのフランス人で、ロマの血を引く移民2世。女も国籍こそフランス人だが、アフリカ大陸にルーツを持つ移民の子だ。そして二人のルーツを探る旅は始まる。よくある物語ではある。そしてこの映画にそれ以上の物語は存在しない。あるのは、旅と音楽。この二つが全てで、これしかないが、激しく熱く、体に響く。
音楽は音であり、人の声であり、街の騒音であり、自然のざわめきだ。異国の言葉で話されると、普通の会話すら歌のように聞こえてくる。夜明けの広場で、ロマン・デュリスが蹴飛ばす酒瓶の音すら美しいのは何故だろう?私は今まで、映画の音楽はストーリーや映像に音を乗せるものだと思っていた。でもこの映画では、音楽こそがストーリーであり、映像であり、登場人物だ。劇中に流れるジプシーやアルジェリアの音楽は、トニー・ガトリフの手によるものである。彼は、映画監督というより音楽家なのだろう。映像に音楽を乗せているのではなく、音楽の背景として映像をならべている。
旅する二人は飲んで、食べて、眠る。走る、踊る、セックスする。人と出会って、そして別れる。なんて事のないそんな一つ一つの行動にはしかし力が溢れて、激しさの余り目が眩む。道端で髪の毛を洗うシーンにすら生命力がみなぎっている。真っ赤に熟したプラムを、枝からもがずにそのまま齧りつくシーンなんて、くらくらするくらい官能的だ。
ラストシーンに映し出された原題を見たとき、自分も二人と同じようにこの映画でEXILES(流浪者・放浪者たち)になっていたことに気づいた。考えてみれば、現実の人生に起承転結なんてあるわけない。探していたものを見つけ出したり、過去を乗り越えたり、トラウマを解き放ったり、そんなのが予定通りにいくわけがない。エネルギーに溢れた音楽に鳥肌を立てて、クライマックスの、音楽によるトランスシーンに酔う。久しぶりに熱いものに触れた、と思わせてくれる映画だ。
(mana)