※上映は終了しました
ミ・ナミ
顔の輪郭も目鼻立ちも丸く愛らしく、それでいて唇はきりりと引き締まっている。素朴でどこにでもいそうなのに、どこにも似たような存在はいない。ペ・ドゥナへの熱視線は、未だ韓国映画界のみならず世界で冷めるところを知りません。今週の早稲田松竹は、そんな彼女の初期の名作選。最新作は『ブローカー』(仮題)でソン・ガンホや是枝裕和監督とタッグを組むという、この先もますます脂がのったペ・ドゥナの原点です。
ぺ・ドゥナは昨年のインタビューで、「女性が理由もなく性的に虐待される映画やドラマには、今後出演しない」と明言しました。この発言は、近年韓国で社会問題化するサイバーを中心とした性犯罪に真っ向から異を唱えた頼もしさがあると同時に、彼女のフィルモグラフィーに注視すると、予期された言葉のように感じました。むごい虐待を受ける少女と手を取り合う孤独な警察官を演じた『私の少女』は分かりやすい例ではありますが、『子猫をお願い』と『ほえる犬は噛まない』もまた女性の奮闘と連帯を示していて、ペ・ドゥナという存在を通じたウーマン・エンカレッジメント・ムービーのはじまりと言えるのではないでしょうか。
ほえる犬は噛まない
Barking Dogs Never Bite
■監督 ポン・ジュノ
■脚本 ポン・ジュノ/ソン・テウン/ソン・ジホ
■撮影 チョ・ヨンギュ
■音楽 チョ・ソンウ
■出演 ペ・ドゥナ/イ・ソンジェ/コ・スヒ/キム・ホジョン/キム・ジング/ピョン・ヒボン/キム・レハ
© 2013 CJ E&M CORPORATION, ALL RIGHTS RESERVED
【2021年2月13日から2月19日まで上映】
絶対、あたしが助けてあげる
中流家庭の人々が住む閑静なマンション。飼うことを禁止されているはずの犬の鳴き声がマンション内に響き渡り、うだつの上がらない大学の非常勤講師ユンジュはイラついていた。やがて起きる小犬失踪事件…。
一方、マンションの管理事務所で働くヒョンナムは平凡で退屈な毎日を送っていた。そんな時、団地に住む少女の愛犬ピンドリがいなくなったと知り、小さな正義感に火がつきビラ貼りを手伝い始めるのだった…。
閑静な郊外のマンションで起こった 連続小犬失踪事件を巡る ちょっぴりシュールなシニカルコメディ!
言わずと知れたポン・ジュノ監督初長編映画にして、ペ・ドゥナの初主演映画です。彼女が扮したのは、マンションの管理事務所で経理を担当する冴えないキャラクターですが、いつか人に役立つことを成し遂げて市民栄誉賞をもらうことを夢想しています。
世間の底辺でしぶとく生きる人々の憂鬱と失望をコミカルに描くのはさすがのポン・ジュノ調ですが、やはり本作を支えるのはペ・ドゥナの魅力です。連続愛犬誘拐事件の犯人を捕まえようと、黄色いパーカーのフードをきゅっと被るシーンは韓国映画史に残る“闘志が燃える瞬間ベスト1”ではないでしょうか。
(ミ・ナミ)
子猫をお願い
Take Care of My Cat
■監督・脚本 チョン・ジェウン
■撮影 チェ・ヨンファン
■出演 ペ・ドゥナ/イ・ヨウォン/オク・ジヨン/イ・ウンシル/イ・ウンジュ
■2002年ロッテルダム国際映画祭KNF賞Special Mention/ドイツ・フェミナーレ女性映画祭デビュー賞受賞/2001年釜山国際映画祭「新しい波」部門Special Mention・アジア映画振興機構賞・今年の女性映画人賞・女性映画人賞演技賞受賞 ほか多数受賞・ノミネート
© 2001 by IPictures and Masulpiri Pictures.
【2021年2月13日から2月19日まで上映】
二十歳の春。なんだってできる、どこにだって行けると思っていたあの頃…
1人でいることを好み、容易に心を開かない神秘的な動物、猫。そんな猫に似た二十歳の5人の彼女達――愛の夢想家テヒ、美貌の野心家ヘジュ、神秘的なアウトサイダージヨン、陽気な双子ビリュとオンジョ。高校を卒業して別々の生活を送っている5人だがそれぞれ将来への漠然とした不安を抱えている。事あるごとに集まっては時にぶつかり合いながら友情を育んでいる彼女たちを結びつけているのは拾ってきた1匹の子猫。捨て猫のティティと共に過ごした時間、生活は予想もできない方向に流れて行くけれど、悩みながらも彼女たちはそれぞれの道を見つけていく…。
20代初めの女性の実態、夢と愛と挫折をみずみずしい感性で描いた青春映画の傑作。
韓国人になじみぶかい軍歌「戦友よさらば」を口ずさみつつふざけあった高校卒業の日はそう長くはつづかないことを、即座に次のシーンで浮き彫りにするテクニックを見せるところで、この映画が平凡さから遠くにあることがうかがえます。
当時、新空港開設のため、音を立てるように変わるさなかにあった仁川市の風景をなぞるように静かに軋んでいく5人の関係と閉塞感が、韓国人女性にとって当時の(もしかすると現在も)社会では、痛みをともなう成長も何かを得る道のりではないという絶望が通奏低音として流れていたからでしょう。しかしそんな中でもペ・ドゥナの立ち位置は、突飛な夢想家のようでありながらささやかな希望を持たせてくれる、5人にとっても観ている私たちにとっても宝物のような存在です。
(ミ・ナミ)