ケン・ローチ監督特集『ケス』+『家族を想うとき』

ルー

ケン・ローチはデビュー以来一貫して労働者階級の人々に焦点を当て、彼らの現実を厳しく、しかし同時に寄り添うようなやさしい眼差しで描く誠実な映画作家として知られています。ケン・ローチ作品は世界の映画祭で常に高い評価を受けてきた一方、彼の体現する誠実さは、いわゆる「シネフィル」(映画狂)には今一つ受けの悪いものでもあったと感じています。テーマ選びを含む「社会派」の硬派なイメージ(社会的な正しさを重んじる姿勢)から受ける先入観が、逆にその繊細な演出の魅力を見えづらいものにしていた気がします。私のように長い間食わず嫌いを続けてきた人も少なくなかったはずです。

しかし社会的弱者を攻撃し、切り捨てることを支持する言葉がSNSなどを通じて公然と垂れ流されるようになった近年、ケン・ローチ作品の重要性は、より広く理解されるものになったと思います。前作『わたしは、ダニエル・ブレイク』で監督を引退するという宣言を撤回して製作された『家族を想うとき』で描かれる非正規雇用の問題は(全く不幸な事態としかいいようがありませんが)、今年(2020年)のコロナ騒動によってよりさらに顕在化してしまった印象があります。技術の発達や効率性の優先によって恩恵を受ける者とその犠牲になる者の格差は、もはや誰もが目をそらすことが出来ないレベルまで来ています。対象の抱える困難に寄り添い、変革の難しさを自覚しながら、それでも前進をあきらめない。そんな祈りと共にあるケン・ローチの作品は、先が今まで以上に見えない今だからこそ、よりグローバルに、観るべき作品になっていると思うのです。

その切実さは初期の代表作『ケス』においても変わりません。ここでもハヤブサにかすかな希望を託していく労働者階級の少年を通して、閉塞感に満ちたイギリス社会の問題が赤裸々に語られます。簡単には解決しない問題が提示されるわけですが(本作の終盤のある場面は、おそらく映画史上最も悲痛なシーンのひとつでしょう)、だからこそトリュフォー『大人は判ってくれない』と並び評される豊かな詩情を持つ映像と、独特のユーモアのあたたかさがより際立ちます(映像の美しさとユーモアもケン・ローチ作品の一貫した特色です)。初期から現在までぶれることがない、ケン・ローチの魂に触れてください。

家族を想うとき
Sorry We Missed You

ケン・ローチ 監督作品/2019年/イギリス・フランス・ベルギー/100分/DCP/ビスタ

■監督 ケン・ローチ
■製作 レベッカ・オブライエン
■脚本 ポール・ラヴァティ
■撮影 ロビー・ライアン
■編集 ジョナサン・モリス
■音楽 ジョージ・フェントン

■出演 クリス・ヒッチェン/デビー・ハニーウッド/リス・ストーン/ケイティ・プロクター/ロス・ブリュースター

■第72回カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式出品

photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019

© Sixteen SWMY Limited, Why Not Productions, Les Films du Fleuve, British Broadcasting Corporation, France 2 Cinéma and The British Film Institute 2019

【2020年8月15日から8月21日まで上映】

家族を守るはずの仕事が、家族を引き裂いてゆく――

舞台はイギリスのニューカッスル。ターナー家の父リッキーはフランチャイズの宅配ドライバーとして独立。母のアビーはパートタイムの介護福祉士として1日中働いている。家族を幸せにするはずの仕事が家族との時間を奪っていき、高校生の長男セブと小学生の娘のライザ・ジェーンは寂しい想いを募らせてゆく。そんな中、リッキーがある事件に巻き込まれてしまう──。

83歳を迎えた映画界の至宝が命を燃やして贈る、未来を生き抜くためのメッセージ

日本でも大ヒットを記録した『わたしは、ダニエル・ブレイク』を最後に、一度は表舞台から降りたケン・ローチ監督。だが、同作のリサーチ中に社会の底辺で目の当たりにした〈現実〉が彼の心の中に生き続け、いつしか〈別のテーマ〉として立ち上がり、どうしても撮らなければならないという使命へと駆り立てた。

引退表明を撤回した名匠が最新作で描いたのは、グローバル経済が加速している〈今〉、世界のあちこちで起きている〈働き方問題〉と、急激な時代の変化に翻弄される〈現代家族の姿〉だ。2019年のカンヌ国際映画祭では、「私たちがやらねばならないことはひとつ。耐えられないことがあれば、変えること。今こそ変化の時だ」という、公式上映後のケン・ローチ監督のスピーチがさらなる拍手を呼んだ感動作。

個人事業主とは名ばかりで、理不尽なシステムによる過酷な労働条件に振り回されながら、家族のために働き続ける父。そんな父を少しでも支えようと互いを思いやり懸命に生き抜く母と子供たち。日本でも日々取り上げられている労働問題と重なり、観る者は現代社会が失いつつある家族の美しくも力強い絆に、激しく胸を揺さぶられるだろう。

ケス
Kes

ケン・ローチ 監督作品/1969年/イギリス/112分/ブルーレイ/ビスタ

■監督 ケン・ローチ
■製作 トニー・ガーネット
■原作 バリー・ハインズ「少年の長元坊」
■脚本 ケン・ローチ/バリー・ハインズ/ トニー・ガーネット
■撮影 クリス・メンゲズ
■美術 ウィリアム・マックロウ
■編集 ロイ・ワッツ
■音楽 ジョン・キャメロン

■出演 デヴィッド・ブラッドレイ/リン・ペリー/フレディ・フレッチャー/コリン・ウェランド

■1970年英アカデミー賞助演男優賞・新人賞受賞、作品賞・監督賞・脚本賞ノミネート/第17回カルロヴィ・ヴァり映画祭グランプリ

KES: Images courtesy of Park Circus/MGM

【2020年8月15日から8月21日まで上映】

少年の心は"ケス"と共に大空高く舞い上がる。

イギリス・ヨークシャーの寂れた炭鉱町に暮らすビリー。父はおらず、母と不良の義兄の3人暮らし。年の離れた義兄とは喧嘩が絶えず、学校にもあまり友達はいない。家は貧しく、ビリーは朝から新聞配達のアルバイトをしている。どこにも居場所がない彼は、ある日、町はずれの修道院跡の廃墟にハヤブサの巣を発見する。彼は巣からヒナを持ち帰り、「ケス」と名づけ育て始める。次第にビリーとケスの間に信頼関係が生まれていくが…。

『大人は判ってくれない』イギリス版と言わしめた伝説の傑作!

大人たちの無関心、教育制度の挫折、暗い問題を抱える社会をリアルに切り取りながら、犠牲者としての労働者層を描くだけに終始するのではなく、随所にユーモアと温かいまなざしをさり気なく潜り込ませるケン・ローチの才能こそ、製作から半世紀以上も経った現在でも、世界の映画人から“イギリス映画の最高峰”と称賛される所以だろう。

映画の中には、60年代後半の雰囲気が見事に切り取られているミュージック・パブのシーンをはじめ、イギリス北部の炭坑町とそこで生活する人々の姿が生き生きと映し出されている。ケン・ローチ自身が「我々スタッフ仲間の内側から自然と出てきた作品であり、そのフィルモグラフィーの中でも最も好きな作品だ」と語ったように、『ケス』はまさにローチの会心作である。

飄々として愛すべきビリー役を好演した少年は、当時ロケ地バーンズレイに実際に住んでいた素人のデヴィッド・ブラッドレイ。ビリーの心のざわめきを、奇跡的ともいえる自然さで演じている。S・ペキンパー監督作『わらの犬』などに出演し、『炎のランナー』でアカデミー賞脚本賞を受賞したコリン・ウェランドが、ビリーを理解する教師役で顔を見せている。

(96年日本公開時パンフレットより一部抜粋)