すみちゃん
言葉をありのままに書こう。わたしは怒っている!パレスチナで起きている虐殺や占領に対して沈黙を決め込んでいる人類に。外国人やマイノリティへの差別を助長するような日本社会に。そして声を上げる市民を冷笑し、デモとか意味あるんですか? と馬鹿にしている人々に!
今回上映する『美と殺戮のすべて』での写真家ナン・ゴールディンと、ドキュメンタリーと遺作が上映される映画作家ジャン=リュック・ゴダールは、作家として怒りを持って行動した。
ナンは、パーデュー・ファーマという製薬会社を営む大富豪、サックラー家に対して声を上げた。依存性が高い鎮痛薬「オキシコンチン」を安全だとして大量に処方し、多くの依存者を生み、全米で50万人以上が死亡したからだ。ナンもその被害者の一人だったし、彼女は写真家として数々の美術館で展示をしてきたが、その美術館に多額の寄付をしていたのがサックラー家だった。多くの被害者の声を知りながら展示をするなんて、ナンにはできなかったのだと思う。「人の痛みから利益を得るなんて、怒りしか感じない。」と語るナンにとって、姉が最期まで社会に問題を提起し続けたこと、そして居場所がなかったナンとともに生きてきた友人が、エイズで命を失いながらも、偏見や問題に立ち向かっていた日々を無視するなんてできるはずがなかった。痛みを知る彼女にとって、作品が展示される場所への怒りをなかったことにはできない。作品さえ展示できればよい、というような自分自身の欲求よりも、現実にある問題から目を逸らさなかった姿勢は、作家としてあるべき姿だと思う。
ゴダールは映画監督として多くの人々に知られているだろう。だが、彼は名声を得ることに抵抗し、また、世界で作られる映画のほとんどが資本主義とアメリカが作り出したものだとして、映画が作られる構造に対して批判的な視点を持っていた。作られる映画はフィクションかもしれないが、映画の現場は現実だ。その現実で起こっている問題に対して容赦しなかった。実際に彼は、フランスで起きた5月革命で、デモの学生や労働者へ連帯するようカンヌ国際映画祭で呼びかけた。「私は学生や労働者との連帯の話をしているんだ。なのに君たちはアップやドリーショットの話だけ!バカ野郎!」と声を上げて。
一体どれだけの作家が、自分自身の置かれた構造について考えているだろうか? 映画を作る人々ならば映画館、ミュージシャンならライブハウス、作家ならば美術館がどこからお金を得ているのか、そのお金がどう作られているのか考えなくてはならないと思う。誰かの犠牲のもとに成り立つ作品なんて、意味があるだろうか?
作品に政治的なメッセージがあったとしても、デモなど直接行動を起こすアーティストは多くないと感じる。ナンやゴダールは、作品がただ独立したものではなく、多くの人々と結びついていることを知っている。そして、作家だからこそ、表現することが権力と結びつきやすく、いつの間にか搾取をしながら創作することが当たり前になりかねないことも分かっていた。だから、何かを生み出すときには、自省し続けなくてはならない。創作するという喜びと同時に、批判的な姿勢を持つことができるのが作家だ。だからこそ、声を上げるということは、ナンやゴダールにとっては必然的だし、わたしは2人のその誠実さに勇気をもらえた。
声を上げた後に社会がどう変わっていくのか、どうか映画を見て知ってほしい。完全に変わることはないかもしれない。けれど、少なくともナンやゴダールが行動したことにより救われた人がいると思っている。無駄だと決めつけて、痛みを抱える人々をただ無視し続けないで欲しい。どうか、どうか。
美と殺戮のすべて
All the Beauty and the Bloodshed
■監督・製作 ローラ・ポイトラス
■製作・写真&スライドショー・出演 ナン・ゴールディン
■第79回ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞受賞/第95回アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞ノミネート/2022年全米批評家協会賞ドキュメンタリー賞受賞/NY批評家協会賞ドキュメンタリー賞受賞/LA批評家協会賞ドキュメンタリー賞受賞/英国アカデミー賞ドキュメンタリー賞ノミネート/インディペンデント・スピリット賞ドキュメンタリー賞受賞
©2022 PARTICIPANT FILM, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
【2024/8/17(土)~8/2(金)上映】
その愛が、絶望が、世界を動かした
2018年3月10日のその日、ゴールディンは多くの仲間たちと共にニューヨークのメトロポリタン美術館を訪れていた。自身の作品の展示が行われるからでも、同館の展示作品を鑑賞しにやってきたわけでもない。目的の場所は「サックラー・ウィング」。製薬会社を営む大富豪が多額の寄付をしたことでその名を冠された展示スペースだ。到着した彼女たちは、ほどなくして「オキシコンチン」という鎮痛剤のラベルが貼られた薬品の容器を一斉に放り始めた。「サックラー家は人殺しの一族だ!」と口々に声を上げながら……。
「オキシコンチン」それは「オピオイド鎮痛薬」の一種であり、全米で50万人以上が死亡する原因になったとされる<合法的な麻薬>だ。果たして彼女はなぜ、巨大な資本を相手に声を上げ戦うことを決意したのか。大切な人たちとの出会いと別れ、アーティストである前に一人の人間としてゴールディンが歩んできた道のりが今明かされる。
写真家ナン・ゴールディン、彼女はなぜ戦わなければならなかったのか。未来を生きるために、今我々が知るべき彼女の人生がここに記されている
1970年代から80年代のドラッグカルチャー、ゲイサブカルチャー、ポストパンク/ニューウェーブシーン……当時過激とも言われた題材を撮影、その才能を高く評価され一躍時代の寵児となった写真家ナン・ゴールディン。2023年には、イギリスの現代美術雑誌ArtReviewが発表するアート界で最も影響力のある人物の1位に選出されるなど今日に至るまで世界にインパクトを与え続けている。監督はアカデミー賞に輝いた『シチズンフォー スノーデンの暴露』のローラ・ポイトラス。本作ではヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を獲得。アカデミー賞ノミネートほか世界が称賛した闘争の記録。
【オピオイド危機とは?】
オピオイドとは、ケシから抽出した成分やその化合物から生成された医療用鎮痛剤(医療用麻薬)で、優れた鎮痛効果のほか多幸感や抗不安作用をもたらす。1995年、米国では製薬会社パーデュー・ファーマがオピオイド系処方鎮痛剤「オキシコンチン」の承認を受け、常習性が低く安全と謳って積極的に販売。主に疼痛治療に大量に処方されるようになり、2000年頃から依存症や過剰摂取による中毒死が急増。全米で過去20年間に50万人以上が死亡し、大きな社会問題となっている。
ジャン=リュック・ゴダール 反逆の映画作家(シネアスト)
Godard Cinema
■監督・脚本 シリル・ルティ
■撮影 ジェルトリュード・バイヨ
■編集 フィリップ・バイヨン/シリル・ルティ
■ナレーション ギョーム・グイ
■音楽 トマ・ダペロ
■出演 マーシャ・メリル/ティエリー・ジュス/アラン・ベルガラ/マリナ・ヴラディ/ロマン・グーピル/ダヴィッド・ファルー/ジュリー・デルピー/ダニエル・コーン=ベンディット/ジェラール・マルタン/ナタリー・バイ/ハンナ・シグラ/ドミニク・パイーニ
■第79回ヴェネツィア国際映画祭ヴェネツィア・クラシック・ドキュメンタリー部門ノミネート/2022年 ヘント国際映画祭アーティスト・オン・フィルム部門ノミネート/ Doclisboa国際映画祭ハートビート部門ノミネート/2023年ビリニュス国際映画祭 (VIFF) キノ パヴァサリス ドキュメンタリー部門ノミネート/イッツ・オール・トゥルー国際ドキュメンタリー映画祭国際映画賞ノミネート
©10.7 productions/ARTE France/INA – 2022
©Anne Wiazemsky
【2024/8/17(土)~8/2(金)上映】
衝撃の死から1年――20世紀映画界の伝説、その陰に隠された「人間」ゴダールの知られざる素顔に迫るドキュメンタリー
1950年代末から60年代のフランス映画界で革新的な映画運動、「ヌーヴェル・ヴァーグ」を先導し、常に独自のスタイルを開拓・探究しながら最前線を駆け抜けたシネマの巨人にして鬼才、ジャン=リュック・ゴダール。2022年9月13日、スイスにて91年の生涯を閉じた。自ら選択した安楽死だと伝えられた衝撃の死から1年。いま改めて振り返る20世紀映画界の伝説であり永遠の反逆児、ゴダールの人生とは? その伝説の陰に隠された、一人の「人間」としてのゴダールの知られざる素顔に迫る最新ドキュメンタリー。
監督・脚本・編集は、ドキュメンタリーの編集を数多く手掛けてきたフランスの映画監督、シリル・ルティ。本作は2022年9月、奇しくもゴダールがこの世を去る直前のタイミングで、第79回ヴェネツィア国際映画祭の「ヴェネツィア・クラシック・ドキュメンタリー部門」で上映されたことでも話題となった。
「ヌーヴェル・ヴァーグ」の旗手として、時代を熱狂させた“流行監督”としての1960年代。その華々しさに自ら背を向けるように突進していった68年の五月革命をターニングポイントとする政治の季節を経て、70年代の内省と再生、80年代に入ってからのキャリアの劇的な復活。唯一無二の映画作家、ジャン=リュック・ゴダールの“映画=人生”を紐解き、革新的な功績を網羅的に紹介する構成は、容易に捉え難い映画作家の全貌を整理できるのと同時に、初めてゴダール作品に触れる映画ファンにもゴダール入門として最適なものといえるだろう。
ジャン=リュック・ゴダール/遺言 奇妙な戦争
Trailer of the Film That Will Never Exist: 'Phony Wars
■監督・脚本・出演 ジャン=リュック・ゴダール
■2023年カンヌ国際映画祭クラシック部門選出/サンセバスチャン国際映画祭ザバルテギ・タバカレラ コンペティション部門最優秀作品賞ノミネート/カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭出品/トロント国際映画祭出品/ニューヨーク映画祭出品/金馬奨ノミネート
© SAINT LAURENT – VIXENS – L’ATELIER – 2022
【2024/8/17(土)~8/2(金)上映】
ゴダールが手掛けた最後の映像作品
映画界から永遠に去る直前まで、ジャン=リュック・ゴダールはこの短編映画に手を加え続けた。その手で書き、色を付け、紙や文章をコラージュした。さらに音楽とサウンドトラックの切れ目には、彼自身の老いた、穏やかな、そして激しく震える声を聴くことが出来る。自身をして「最高傑作だ」と言わしめた作品の全貌がついにスクリーンで明かされる。
2022年9月に亡くなったジャン=リュック・ゴダールが最後に手掛けた映画作品『ジャン=リュック・ゴダール/遺言 奇妙な戦争』。フランスのメゾン、サンローランが立ち上げた映画会社、サンローランプロダクションが、ペドロ・アルモドバル監督『ストレンジ・ウェイ・オブ・ライフ』に続いて製作した短編映画であり、2023年カンヌ国際映画祭クラシック部門でワールドプレミアを迎え、世界の国際映画祭を席巻した。
ショスタコーヴィチによるスコア(弦楽四重奏曲第8番)と共に、刹那的な荒々しさを感じさせる赤と黒の鮮烈なイラストをはじめ、ノートのページを思わせる白い紙に展開されるのは、ゴダール自身が書き記し、色付けした紙や写真、文章によって構成されたコラージュの数々。「感情(sentiment)」「情熱(Passion)」など断片的なワードが散りばめられたコラージュや、「暗い部屋で黒猫を探すのは難しい」から始まる独白が音符のように配置された一枚まで、彼自身にしかなし得ない総合芸術の一端が明らかになる。
【レイトショー】ニューヨークの中国女
【Late Show】Two American Audiences
■監督 D・A・ペネベイカー/リチャード・リーコック
■撮影 D・A・ペネベイカー、ジョン・クック
■録音 ロバート・リーコック
■編集 マーク・ウッドコック
■出演 ジャン゠リュック・ゴダールほか
©Pennebaker Hegedus Films / Jane Balfour Service
【2024/8/17(土)~8/2(金)上映】
ゴダールと若者たちの熱気に満ちた討論の記録
アメリカ合衆国においてゴダールの名声が頂点に達していた1968年、『中国女』の配給権を取得したリーコックとペネベイカーは、ゴダールが各地の大学を訪れる講演旅行を組織する。ニューヨーク大学の学生たちと、『中国女』をめぐって、流暢な英語で当意即妙の議論を交わす1968年4月4日の映画作家の姿を収めた本作は、当時のアメリカでゴダールが若者にどれほど強い関心を引き起こしていたのかを生き生きと伝える貴重なドキュメントである。
【レイトショー】1PM-ワン・アメリカン・ムービー
【Late Show】1PM
■監督 D・A・ペネベイカー/リチャード・リーコック
■撮影 ジャン゠リュック・ゴダール/リチャード・リーコック/D・A・ペネベイカー
■録音 ケイト・テイラー
■編集 D・A・ペネベイカー
■出演 ジャン゠リュック・ゴダール/リップ・トーン/ルロイ・ジョーンズ/エルドリッジ・クリーヴァー/トム・ヘイドン/ジェファーソン・エアプレイン
©Pennebaker Hegedus Films / Jane Balfour Service
【2024/8/17(土)~8/2(金)上映】
激動の時代をとらえたゴダール幻のアメリカ映画
激動の1968年の秋、ゴダールは『1AM』(『ワン・アメリカン・ムービー』)なる企画のため、アメリカ合衆国の反体制的な政治と文化の状況に目を向ける。カメラを回すのは、ダイレクト・シネマの旗手リーコックとペネベイカーである。だが、ヌーヴェル・ヴァーグを牽引した末にいまや商業映画と訣別するに至ったゴダールと、ドキュメンタリー映画界の革命児たちの夢の共同作業は編集段階で頓挫してしまう。『1PM』は、ゴダールが放棄したフッテージをペネベイカーが繋ぎ合わせて作った映画である。
ここでは、現実と虚構を掛け合わせようとするゴダールの目論見と、現実を未加工のまま提示しようとするダイレクト・シネマの手法がせめぎ合っている。黒豹(ブラックパンサー)党のエルドリッジ・クリーヴァーの談話や、ジェファーソン・エアプレインの印象的なパフォーマンスを捉えた記録映像を通じて、ありえたかもしれないゴダール映画を透かし見るのも一興だろう。