ミ・ナミ
何かを切ないと感じる瞬間は、誰にでもあるものです。しかしそれを映画に、しかもどんな人の心の琴線にも触れるように日常から切り出すことのできる映画人は、数少ないのではないでしょうか。かつて台湾ニューシネマを牽引し、今や巨匠と呼ばれるホウ・シャオシェン監督は、忘れられぬ時代や青春を振り返るようなあふれるエモーションとともに、人間の深奥を見据える冷静さも一貫して持ち合わせています。今週は、そんな彼の90年代の代表作『憂鬱な楽園』と『フラワーズ・オブ・シャンハイ』二本立てに加えて、ホウ・シャオシェンに魅了されたオリヴィエ・アサイヤス監督によるドキュメンタリー『HHH:侯孝賢』を特別レイトショーとして上映いたします。
『憂鬱な楽園』に登場するのは、組織の下っ端に甘んじるチンピラ・ガオ、彼の弟分ピィエン、その恋人マーホァ。やくざ者の割に腰の据わらない男と、腐れ縁のようについていく女の、どうということはない道行きのはずなのに、彼らの気だるさが演出するくすんだ青春が輝いて見えるから不思議です。漂泊する3人をとらえる監督の手並みは実にフレッシュで、『悲情城市』などで世界的評価を得たのちもこうしたまなざしを持てるものなのかと感心してしまいます。
初めて時代劇に挑んだ『フラワーズ・オブ・シャンハイ』のように豪奢な画と俳優陣で撮られた作品も、精彩に富んだホウ・シャオシェン監督らしさにあふれた一本でもあります。中国の古典を拠り所にし上海高級娼館を舞台にするという、ともすればオリエンタリズムばかりが前景化しそうなこの映画の中でも、監督は丁寧な感情の演出で男女の複雑な心模様を紡ぎ出しました。長回しで積み重ねられたシーンには、閉ざされた箱のような館で娼婦と客という暗い運命の中でしか生きられない者たちの愛や嫉妬が映り、その悲壮な美しさに観客は胸を打ち震わせるのです。
『HHH:侯孝賢』は、「ひとりのアーティストのポートレートとして、ホウ・シャオシェンという人間その人、友人としての彼をおさめたかった」というアサイヤス監督の言葉どおり、ふとした時に素顔のホウ・シャオシェン監督が垣間見える親密なドキュメンタリーになっています(少年時代はなかなかやんちゃだったというエピソードも微笑ましいものです)。一方で、長年をともにして来た脚本家・朱天文との製作の舞台裏が明かされるなど、ホウ・シャオシェン監督の映画作家としての原点と情熱に触れる貴重なサブテキストになり得る一本です。
フラワーズ・オブ・シャンハイ 4Kデジタルリマスター版
Flowers of Shanghai
■監督 ホウ・シャオシェン
■脚本 チュー・ティエンウェン
■撮影 リー・ピンビン/チェン・ホァイエン
■音楽 半野喜弘
■出演 トニー・レオン/羽田美智子/ミシェル・リー/カリーナ・ラウ/ジャック・カオ/ウェイ・シャホェイ/レベッカ・パン/伊能静
■1998年カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式出品
© 1998/2019 侯孝賢映像製作社・松竹株式会社
【2022年1月15日から2022年1月21日まで上映】
愛は売らない。愛は買わない。
19世紀末、上海。唯一“自由恋愛”が存在した場所――遊郭。遊女たちは、夜の闇に輝く“上海の華”であった。
気が強く、独立することを願っているツイフォン。寛容な性格のシュアンチュウ。しとやかだが、内に秘める気性は誰より激しいシャオホン。そんな遊女たちの間を彷徨うひとりの男、エリート官僚、ワン。
求めるものは、真実の愛――。
ホウ・シャオシェン監督が初めて挑んだ壮麗な時代劇。
19世紀末の清朝末期、上海のイギリス租界の高級遊郭を舞台に男たちと娼婦たちの愛の葛藤を描きだす。郷愁の田園風景や現代の台湾を舞台にしたロケ撮影が特徴でもあったホウ作品とは異なり、屋内での撮影、長編小説の映画化、上海語のセリフ、そしてトニー・レオン、羽田美智子、ミシェル・リーにカリーナ・ラウなど大スターの起用という、それまでの作風から新たな地平へと踏み入った華麗な傑作。華やかだが閉ざされた遊郭という空間だけで繰り広げられる男女の駆け引きを、ホウならではのカット割りを極力排したワンシーンワンカット手法で描写する。
暗い室内に浮かぶランプの光線が美しい、名手リー・ピンビンによる撮影もまた見事。2019年東京フィルメックスにて、4Kデジタルリマスター版の世界初上映に際して、ホウ本人が「良い夢をご覧ください」とコメントを寄せたように、夢のような映画体験を堪能できる。カイエ・デュ・シネマ誌1998年ベストテン第1位。
憂鬱な楽園
Goodbye, South, Goodbye
■監督 ホウ・シャオシェン
■脚本 チュー・ティエンウェン
■撮影 リー・ピンビン/チェン・ホァイエン
■音楽 リン・チャン
■出演 ガオ・ジェ/リン・チャン/伊能静/シュウ・グイイン/リェン・ピートン/リー・ティエンルー
■1996年カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式出品
©1996 松竹株式会社
【2022年1月15日から2022年1月21日まで上映】
疾走の快楽、停滞の誘惑。
中年間近のチンピラと、弟分と彼の恋人のその日暮らしの毎日を描いた一編。チンピラのガオは40歳近いが正業に就かず、弟分のピィエンと彼の恋人のマーホァを連れて、田舎町の平渓にやって来る。
亜熱帯を走り続ける、爽快で、憂鬱で、気楽な「彼ら」の物語。
過去を描き続けてきたホウ・シャオシェン監督が、一転して亜熱帯を生きる現代の若者たちをみずみずしく描いた青春映画。主演に前作『好男好女』のガオ・ジェと伊能静。さらに台湾でカリスマ的な人気があった歌手リン・チャンも出演。リン・チャンは映画音楽も担当した。現場での即興や長回しを多く取り入れた本作。ラストのオートバイ走行の長回しは圧巻である。
“『憂鬱な楽園』は、方向も定まらぬまま物憂げに彷徨う南の国・台湾を舞台に根無し草的に彷徨い続ける3人の主人公たちを描きながら、同時に奇跡のような快楽を、爽快感を、若き精神の輝きをフィルム上に焙りだした映画なのだ。” ――公開当時のHPより抜粋
【特別レイトショー】HHH:侯孝賢 デジタルリマスター版
【Late Show】HHH:A portrait of Hou Hsiao Hsien
■監督 オリヴィエ・アサイヤス
■撮影 エリック・ゴーティエ
■編集 マリー・ルクー
■出演 ホウ・シャオシェン/チュウ・ティエンウェン/ウー・ニェンチェン/チェン・グオフー/ドゥー・ドゥージー/ガオ・ジエ/リン・チャン
©AMIP-La Sept ARTE-INA-France 1997
【2022年1月15日から2022年1月21日まで上映】
オリヴィエ・アサイヤス監督が素顔のホウ・シャオシェンに迫った伝説のドキュメンタリー
世界の巨匠たちに映画監督がインタビューを行う、フランスのTVシリーズ「われらの時代の映画」。アンドレ・S・ラバルトとジャニーヌ・バザンによるこの伝説的な番組で、台湾ニューシネマをフランスに紹介してきたオリヴィエ・アサイヤス監督が台湾を訪れ、素顔のホウ・シャオシェン監督に迫った。
取材当時、ホウ・シャオシェン監督は『フラワーズ・オブ・シャンハイ』(98)の脚本を執筆中だった。チュウ・ティェンウェン(朱天文)、ウー・ニェンチェン(呉念真)らホウ・シャオシェン監督と共に台湾ニューシネマを牽引した映画人たちへのインタビューを中心に、『童年往事 時の流れ』(85)等過去の作品の映像と共に、作品にゆかりある地をめぐる。
台湾ニューシネマはなぜ生まれたのか? 少年期の思い出、映画監督としての葛藤、映画製作のプロセスをホウ・シャオシェンが語り尽くす
ホウ・シャオシェン監督は傍らのアサイヤス監督に、広東省から台湾に移住した家族のこと、少年期の思い出、そして映画に懸ける思い、映画製作のプロセスについて語りかけていく。
80年代、仏誌“カイエ・デュ・シネマ”で映画批評家をしていたアサイヤス監督は、台湾ニューシネマの監督たちの存在を知り大きな衝撃を受け、いち早くフランスに紹介した。13年の友人関係を経て、ホウ・シャオシェン監督に密着した本作は、映画監督としての表情、映画仲間たちとの軽妙なやりとりや、カラオケに興じる素顔のホウ・シャオシェンを映し出だした。
本作のタイトル「HHH」はホウ監督の英語表記Hou(侯)Hsiao(孝)Hsien(賢)の頭文字に由来している。