ミ・ナミ
今週の上映作品は、近松門左衛門をはじめとした古典作家による、文楽と人形浄瑠璃を素材にした映画です。いずれも男女の色恋沙汰や心中事件を題材にしています。たとえば名匠・溝口健二による『近松物語』は、江戸時代に実際に起こった不義密通事件からインスピレーションを得ていて、主要人物のおさんと茂兵衛は市中引き回しの末磔にされ5日間人目に遺体を晒し、お家は断絶という顛末を迎えたそうです。溝口の手で銀幕に再現されたこの一大スキャンダルは、物語としては人間のあくどさが描かれながらも男女の(時に道ならぬ)絶望的な道行きが幽玄的に映し出されていて、引き込まれて悲壮美があります。
また近松門左衛門は、日本を代表する歌舞伎作家としても知られていますが、女性が男性を演じていたという起源を持つ歌舞伎は〈男性原理〉(精神・合理・言語・道徳・イデア・昼・建前)と〈女性原理〉(肉体・非合理・非言語・本能・イコン・夜・本音)との葛藤と調和であり、文楽と人形浄瑠璃もまた等しいという興味深い指摘があります(※1)。増村監督が描く『曽根崎心中』と篠田監督の『心中天網島』は、現在は男性だけの舞台芸術である歌舞伎を、原点に立ち返るかのように女性を主体的なキャラクターとして描く作品になっています。『妻は告白する』以来女性美を追求してきた増村監督が描くお初は、近松原作に忠実でありつつも演じる梶芽衣子のムードもあり切れ味の良さにひたすら魅了されますし、篠田監督の『心中天網島』もまた、小春/おさん役の岩下志麻の、文楽や浄瑠璃に登場する人形を彷彿とさせる冷徹さと一人二役を演じ切った豊かな表現力にも目を見張るものがあります。
浄瑠璃にはもうひとつ、古くから語り継がれてきた伝説の真実を紐解くという王道のストーリーラインがあります。そして多くの場合、史実通りでは描かれないことが醍醐味であるのも面白い点です。内田吐夢監督や溝口監督の各作品は、古典を大胆に解釈・翻案しています。不遇の天文学者・阿倍保名と美しい狐の化身・葛の葉による悲恋『恋や恋なすな恋』と作者の近松を狂言回しとして登場させたメタ的構造の『浪花の恋の物語』、いずれも伝統芸能をなぞるだけでは飽き足りない映画作家の野心的な創作意欲が垣間見えて、大変刺激的です。
今週は、浄瑠璃、文楽、歌舞伎の真髄とともに、各々の名匠のほとばしる才気を、ぜひスクリーンから感じてください。
(※1)田口章子「歌舞伎と人形浄瑠璃」(2004年1月1日 吉川弘文館)
曽根崎心中
Double Suicide of Sonezaki
■監督 増村保造
■原作 近松門左衛門
■脚本 白坂依志夫/増村保造
■撮影 小林節雄
■編集 中静達治
■音楽 宇崎竜童
■出演 梶芽衣子/宇崎竜童/橋本功/目黒幸子/木村元/千葉裕子/山本廉/青木和代/加藤茂雄/
渡部真美子/伊藤正博/野崎明美/灰地順/大西加代子/井川比佐志/左幸子
■1978年キネマ旬報ベスト・テン第二位/キネマ旬報主演女優賞/毎日映画コンクール日本映画優秀賞・女優演技賞/ブルーリボン賞主演女優賞
『曽根崎心中』©1978 藤井慶太/東宝
★本編はカラーです
《上映素材変更のお知らせ》
本作品は35㎜プリントでの上映とお知らせしておりましたが、諸般の事情により上映素材をブルーレイに変更させていただきます。上映間際の変更となり、お客様にはご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご了承いただきますようお願いいたします。
【2025/5/31(土)~6/6(金)上映】
お初は女の意地のため、徳兵衛、男の意地のため、夢の夢こそあはれなれ。
醤油屋平野の手代・徳兵衛は、その真面目な仕事ぶりから主人に気に入られ店を継ぐように言われるが、それには娘を娶ることが条件だった。しかし徳兵衛は遊女・お初と深く愛し合う仲。しかも、お初にも結婚話が持ち込まれ、加えて徳兵衛には冤罪も着せられ、2人に残された道は…。
意地を貫いて心中する二人の激情を、緊迫した劇的空間の中に描く増村保造監督の傑作。
「此の世の名残り、夜の名残り」の道行文で知られる近松門左衛門の人形浄瑠璃の傑作を、抑圧的な環境に対抗して意志的に生きる女性像をプログラム・ピクチャーの中で追求した増村保造監督が映画化。お初役の梶芽衣子の演技は絶賛され、数多くの賞を受賞した。また、ダウンタウン・ブギウギ・バンドの宇崎竜童は本作が初の本格的映画出演作となった。
近松物語 4Kデジタル修復版
A Story from Chikamatsu
■監督 溝口健二
■原作 近松門左衛門
■製作 永田雅一
■脚本 依田義賢
■撮影 宮川一夫
■音楽 早坂文雄
■出演 長谷川一夫/香川京子/南田洋子/進藤英太郎/小沢栄(小沢栄太郎)/菅井一郎/田中春男/石黒達也/十朱久雄/荒木忍
■1954年ブルーリボン賞監督賞受賞/2017年ベネチア国際映画祭クラシック部門出品
★当館では2K上映となります。
© KADOKAWA 1954
【2025/5/31(土)~6/6(金)上映】
恋愛の悲しさを描いて不滅の光芒を放つ近松の名作、世界の名匠溝口により現代のいぶきを得ていまここに開花する映画芸術の極致!
宮中の大経師の手代・茂兵衛は、ある誤解から師の後妻おさんと不義密通の汚名を着せられる。師の怒りを買った二人は、家を逃げ出し、たどり着いた琵琶湖で入水自殺を考える。しかし、いつしか二人の間には真実の愛が芽生えていた。二人は命懸けの逃避行を続けることにするのだが・・・。
茂兵衛(長谷川一夫)、おさん(香川京子)、大経師以春(進藤英太郎)、助右衛門(小沢栄)、お玉(南田洋子)と適役揃いの配役に田中春男、浪花千栄子、菅井一郎、石黒達也の一流メンバーを網羅したものである。特に注目されるのは長谷川一夫が初めて溝口健二作品に登場することで、坂田藤十郎以来の伝統ある上方和事師の流れをくむ長谷川一夫が、溝口監督一流のリアリスティックな演出と相まって、打ち出された相乗的な魅力の結晶が見事である。さらに香川京子が若女房おさんという、かつてない新鮮な魅力を出して、長谷川一夫と四つに組んだ競演の成果は大きな見どころであろう。
浪花の恋の物語
Chikamatsu's Love in Osaka
■監督 内田吐夢
■原作 近松門左衛門
■脚本 成沢昌茂
■撮影 坪井誠
■音楽 富永三郎
■出演 中村錦之助/有馬稲子/花園ひろみ/日高澄子/進藤英太郎/田中絹代/片岡千恵藏
■第33回キネマ旬報ベスト・テン 第7位/第14回毎日映画コンクール 美術賞受賞
©東映
★本編はカラーです
【2025/5/31(土)~6/6(金)上映】
金が仇の世の中に、おなじ心を通わせて 幸福つきるところまで 離すまい離れまい…
たった一夜のなれそめから、互いに心ひかれる浪華飛脚問屋の若旦那・亀屋忠兵衛と、槌屋の遊女・梅川。金で買われる女と知りつつも恋に命を賭ける男と、寝ても起きても金が仇の世の中に生きる女が、自由なき封建時代の中、愛という激情の波にのみこまれていく。
日本を代表する歌舞伎作家・近松門左衛門の名作をもとに、悲恋の物語を描いた時代劇大作。忠兵衛役に中村錦之助、遊女・梅川役に有馬稲子が体当たりの演技で挑むほか、近松門左衛門に片岡千恵藏が扮するなど、豪華キャストが勢揃い。“大菩薩峠”の巨匠・内田吐夢監督が描破した感動巨編。
恋や恋なすな恋 4Kデジタル復元版
The Mad Fox ★with English subtitles
■監督 内田吐夢
■脚本 依田義賢
■撮影 吉田貞次
■編集 宮本信太郎
■音楽 木下忠司
■出演 大川橋蔵/嵯峨三智子/宇佐美淳也/日高澄子/天野新二/薄田研二/毛利菊枝/山本麟一/柳永二郎/原健策(原健作)/月形龍之介/小沢栄太郎/加藤嘉/松浦築枝/玉喜うた子/明石潮/河原崎長一郎/五条恵子/高松錦之助/尾形伸之介
■第23回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門正式出品/第23回ベニス国際映画祭マスケーレ賞受賞
★当館では2K上映となります。
©東映
【2025/5/31(土)~6/6(金)上映】
純粋な恋、幻影に包まれた恋、許されぬ恋…ここに描くは、恋のすべて!
朱雀帝の頃、政争の犠牲となって最愛の人・榊の前を失った天文学者・阿部保名は、悲嘆のあまりに正気を失い流浪。その旅先で巡り合った榊の前の妹・葛の葉姫と、葛の葉に化けた白狐に、亡き恋人の面影を求めるという悲恋の物語。
最大の悲恋を絢爛たる顔ぶれで描いた超大作!
「暴れん坊街道」「浪花の恋の物語」「花の吉原百人斬り」と一連の古典演劇の映画化に力を注いできた巨匠・内田吐夢が、人形浄瑠璃の不朽の名作「芦屋道満大内鑑」及び、清元の古典「保名狂乱」を素材に描き上げた野心大作。主演・大川橋蔵と、妖艶なまでに美しい嵯峨三智子が織りなす悲しくも純粋な恋が、一部アニメーションを盛り込んだ映像で幻想的に綴られていく。
【モーニング&レイトショー】心中天網島
【Morning&Late Show】Double Suicide
■監督 篠田正浩
■原作 近松門左衛門
■製作 中島正幸/篠田正浩
■脚色 富岡多恵子/武満徹/篠田正浩
■撮影 成島東一郎
■美術 粟津潔
■音楽 武満徹
■出演 岩下志麻/中村吉右衛門/小松方正/滝田裕介/藤原釜足/加藤嘉/河原崎しづ江/左時枝/日高澄子/浜村純
■1969年ヴェネツィア国際映画祭出品/ロンドン映画祭出品/第43回キネマ旬報ベストテン作品賞・監督賞・女優賞受賞/第24回毎日映画コンクール日本映画大賞受賞
★本作品は特別モーニング&レイトショー上映です。
☟入場料金
一律1200円(割引なし)
★チケットは、朝の開場時刻より受付にて販売いたします。
©表現社
【2025/5/31(土)~6/6(金)上映】
男と女の情念と愛憎、二人を死に追いやった日本の精神風土を、前衛性と華麗な様式美が一体となった手法で描く。
治兵衛は、妻子がありながら遊女小春と深く馴む。情死を案じた治兵衛の兄に、小春は治兵衛と死ぬつもりはないと話す。それを立ち聞きした治兵衛は、小春が心変わりしたと思い取り乱す。数日後、恋敵が小春を見受けするとの噂に、治兵衛は悔し涙にくれる。見かねた妻のおさんは、小春の心変わりは、自分が頼んだことだと打ち明ける。そこへおさんの父が来て、おさんは離別させられてしまう…。
近松門左衛門の最高傑作を映画化した篠田正浩監督の代表作。心中という形でしか遂げられなかった悲恋を、粟津潔による大胆な美術や、武満徹による実験的な音楽、劇中に黒子を登場させ浄瑠璃を取り入れる演出など、前衛的映画手法を駆使して表現。社会構造の不条理と、近松独自の美の世界を浮き彫りにしている。脚色には詩人の富岡多恵子と音楽も担当した武満徹が参加。アート・シアター・ギルド(ATG)との提携による低予算映画でありながら、キネマ旬報ベストテン第一位、監督賞を受賞。女房と遊女の二役をこなす岩下志麻の演技も高く評価され女優賞も受賞し、ATGを代表する一作となった。