【2024/4/27(土)~5/3(金)】『エドワード・ヤンの恋愛時代』/『牯嶺街少年殺人事件』/『ヤンヤン 夏の想い出』

すみちゃん

家の明かりがついていると、そこには人がいるのだなと感じるように、光は人間がここで生きているという証のようだ。

『エドワード・ヤンの恋愛時代』は急速な西洋化と経済発展を遂げる1990年代前半の台北。街には車が行き交い、台北の街をネオンは眩しく照らしている。活気に満ちあふれた時代だ。けれど、主人公のモーリーは会社経営や婚約者、友人、友人の恋人との関係に四苦八苦しているみたい。経済の発展によるモノや情報に溢れてしまった社会の中で、まさに現代の迷子のようになっている。何でもやれそうなのに、なにもしっくりこない。

『牯嶺街少年殺人事件』は、台湾が1949年から1987年の長期にわたる厳戒令のさなか、1960年代の台北が描かれ、抑圧された時代の闇が丁寧に映しとられている。この映画に出てくる明かりは、シンプルな電球、そして象徴的な懐中電灯。光は一点を照らし、何かを見つめるために存在していると感じる。「自分が悪くないのに謝る必要はない」と、主人公の少年・小四の父親は言う。小四がトラブルを起こした学校からの帰り道に、自転車を押しながら二人で歩いているシーンが印象的だ。自分が思ったことに対して正直に向き合う人の生き方は、懐中電灯の真っ直ぐな光のようだ。そしてその真っ直ぐさが、小四の感情を突き動かしていく。“光がさす”とでも言うように、彼の強固な性格は鋭く、人を傷つける。

『ヤンヤン 夏の想い出』ではカメラが登場する。カメラのレンズは光を集め、像を作る。カメラは光の記憶装置といってもいいと思う。お父さんからもらったカメラで、ヤンヤンが撮影したのは人の背中だった。彼の小さな背丈から見える、残しておきたい瞬間は、撮影するからこそ立ち現れる。この瞬間はもう訪れないと思うたびカメラを回したくなる、そんな気持ちはよくわかる。

あらゆる光があるからこそ、壁や床に影が生まれる。光が希望ならば、影は失望だろうか。良いことも悪いことも同時に起こりうることだと、エドワード・ヤンは一つの画面の中で映しとろうとする。光と影が浮かび上がらせる画面の中に、自分の生きている現実を重ね合わせる。光がなくなれば、影もなく、何もなくなる。いつかは消えてなくなってしまう命や生活のことを、よりよく生きたいという希望が失われている現実を、わたしは思わずにはいられない。

消えないでほしいから、せめて記憶の中にでもとどまっていてほしいから、カメラで、映画で、あるいは文章で人は何かを残す。あなたが心の中に残しておきたいものは何だろう? 情報過多で、自分で何かを見つけることが困難な現代社会の中でも、暗く悲しい気持ちに包まれたとしても、心の中が、ぱぁっと光で照らされるような、そんな瞬間があってほしい。生きていれば、そういう日もある。だから諦めないでいたい。生きるということ、それだけでも十分かけがえないことなのだと思わせてくれるのが、エドワード・ヤンの映画だろう。

エドワード・ヤンの恋愛時代 4K レストア版
A Confucian Confusion

エドワード・ヤン監督作品/1994年/台湾/129分/DCP/ビスタ

■監督・脚本 エドワード・ヤン
■製作 ユー・ウェイエン
■撮影 アーサー・ウォン/リー・ロンユー/ホン・ウーショウ
■美術 ツァイ・チン/エドワード・ヤン
■音楽 アントニオ・リー

■出演 ニー・シューチュン/チェン・シァンチー/ワン・ウェイミン/ワン・ポーセン
 
■1994年カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式出品/台湾金馬奨脚本賞・助演男優賞・助演女優賞受賞/2022年ヴェネチア国際映画祭クラシック部門正式出品

★当館では2K上映です

© Kailidoscope Pictures

【2024/4/27(土)~5/3(金)上映】

私たちの求めるものはどこにあるの?

急速な西洋化と経済発展を遂げる1990年代前半の台北。モーリーが経営する会社の状況は良くなく、彼女と婚約者アキンとの仲もうまくいっていない。親友チチは、モーリーの会社で働いているが、モーリーの仕事ぶりに振り回され、恋人ミンとの関係も雲行きが怪しい。彼女たち二人を主軸としつつ、同級生・恋人・姉妹・同僚など10人の男女の人間関係を二日半という凝縮された時間のなかで描く。

都市に生きる男女の姿を二日半の時間で描き切り、時代を先取りした青春群像劇

ハリウッド・リポーターが『ヤンヤン 夏の想い出』を21世紀の映画ベストワンに選出し、現在第一線で活躍する映画作家たちが口々にその影響力の大きさを語るなど、没後15年以上経っても、その存在感が増し続けるエドワード・ヤン。映画史上に屹立する『牯嶺街少年殺人事件』(1991)の直後1994年に、前作と全く異なるアプローチで現代の台北で生きている男女を描き、エドワード・ヤンのフィルモグラフィの中でも最大の野心作『エドワード・ヤンの恋愛時代』。2022年のヴェネチア国際映画祭で4K版がワールドプレミアされるやいなや、トロント、NY、東京と世界中の映画祭が相次いで上映し、「90年代の台北で描かれるすべてのことは、21世紀の大都市でも起こることだ」(Time Out)と絶賛された。

急速な成長を遂げている大都市で生きることで、目的を見失っていた登場人物たちが、自らの求めるものを探してもがき、そして見つけ出していく様を描いている本作。彼らの姿は、情報の海の中で自らの求めるものを見失いがちな、現代に生きる人々の姿と見事に重なり、初公開当時に正当な評価を受けたとは言い難い『エドワード・ヤンの恋愛時代』が、いかに時代を先取りしていたのかが今こそ明らかになる。

牯嶺街少年殺人事件 4K レストア・デジタルリマスター版
A Brighter Summer Day

エドワード・ヤン監督作品/1991年/台湾/236分/DCP/PG12/ビスタ

■監督 エドワード・ヤン
■製作 ユー・ウェイエン
■脚本 エドワード・ヤン/ヤン・ホンヤー/ヤン・シュンチン/ライ・ミンタン
■撮影 チャン・ホイゴン
■美術 エドワード・ヤン/ユー・ウェイエン
■編集 チェン・ポーウェン
■音楽 チャン・ホンダ

■出演 チャン・チェン/リサ・ヤン/ワン・チーザン/クー・ユールン/タン・チーガン

■1991年東京国際映画祭審査員特別賞・国際批評家連盟賞受賞/ナント三大陸映画祭監督賞受賞/台湾金馬奨最優秀作品賞・脚本賞受賞/アジア太平洋映画祭グランプリ/1992年シンガポール国際映画祭監督賞受賞/キネマ旬報ベストテン第2位・外国映画監督賞受賞/2015年釜山国際映画祭「アジア映画ベスト100」第7位

★当館では2K上映です

© 1991Kailidoscope

【2024/4/27(土)~5/3(金)上映】

この世界は僕が照らしてみせる。自分たちの手で、未来は変えられると信じて——。

1960年代初頭の台北。建国高校昼間部の受験に失敗して夜間部に通う小四(シャオスー)は不良グループ〝小公園“に属する王茂(ワンマオ)や飛機(フェイジー)らといつもつるんでいた。小四はある日、怪我をした小明(シャオミン)という少女と保健室で知り合う。彼女は小公園のボス、ハニーの女で、ハニーは対立するグループ〝217”のボスと、小明を奪いあい、相手を殺して姿を消していた。ハニーの不在で統制力を失った小公園は、今では中山堂を管理する父親の権力を笠に着た滑頭(ホアトウ)が幅を利かせている。小明への淡い恋心を抱く小四だったが、ハニーが突然戻ってきたことをきっかけにグループ同士の対立は激しさを増し、小四たちを巻き込んでいく…

光と闇で描く、愛と暴力の世界。エドワード・ヤン監督、伝説の傑作。

1961年に台北で起きた、14歳の少年によるガールフレンド殺人事件に想を得た本作は、青春期特有のきらめき、残酷さを描くと同時に、一人の少年とその家族、友人達を描くことで、その背景の社会や時代をも透徹した視線で見事に描ききっている。青春映画であると同時に家族についての映画でもあり、また一つの社会と時代を描いた映画でもある。観るたびに様相を変える、本作の大きさこそが、初公開から25年経ったいまでもなお、多くの人々を魅了する。

エドワード・ヤン監督自身の家族が1940年代の終わりに中国大陸から台湾に移住した外省人だったように、本作で描かれるのは外省人たちとその家族の物語。中国大陸に帰ることを未だ夢見る親の世代と、中国大陸への思い入れはなく、エルヴィス・プレスリー、ジョン・ウェイン主演の西部劇などのアメリカ文化にあこがれる子供たち。親世代の焦燥感は、子供たちに伝わり、将来への希望が持てない状態で閉塞感に押しつぶされそうになりながら、愛と暴力の世界へと突き進んで行く。

本作の中で極めて印象的に描かれる夜の闇のシーン。その闇は物理的な闇であると同時に、台湾という土地のなかで外省人として生きていかざるを得ない人々の心の闇でもある。闇を照らす光を求める主人公・小四が最後に懐中電灯を手放す時、悲劇が起こってしまう。60年代の台湾を描きながらも、主人公たちが感じている焦燥感、未来への希望などは、極めて普遍的であり、将来が見えにくくなっている現代にも非常に通じるものがある。スタイリッシュな演出で情緒を排し、21世紀的と言われたエドワード・ヤンに、ようやく時代が追いついた。

ヤンヤン 夏の想い出
Yi Yi: A One and a Two…

エドワード・ヤン監督作品/2000年/台湾・日本/173分/35mm/ビスタ

■監督・脚本 エドワード・ヤン
■製作 河井真也/附田斉子
■撮影 ヤン・ウェイハン
■編集 チェン・ポーウェン
■美術・音楽 ペン・カイリー

■出演 ウー・ニエンジェン/エイレン・ジン/イッセー尾形/ジョナサン・チャン/ケリー・リー

■第53回カンヌ国際映画祭監督賞/2000年全米批評家協会賞作品賞/NY批評家協会賞外国映画賞/LA批評家協会賞外国映画賞

© 1+2 Seisaku Iinkai

【2024/4/27(土)~5/3(金)上映】

小学生のヤンヤンは人の背中の写真を撮っています。そこには、大人には見えない世界があると思ったから…

ヤンヤンは、優しい祖母、友人と共にコンピューター会社を経営する父NJ(エヌジェイ)、母ミンミン、そして高校生の姉ティンティンの5人家族で台北の洒落たマンションに住んでいる。一家は典型的な中流家庭であり、何不自由なく暮らしている。ところが、母の弟アディの結婚式の日から一家に様々なトラブルが起こり始める。

祖母は脳卒中で昏睡状態に陥り、叔父の元恋人が式場に乗り込んできて三角関係が発覚し、父は偶然初恋の女性に出くわしてしまう。祖母の入院のために母は精神不安定になって新興宗教に救いを求め、姉は隣家の少女のボーイフレンドと交際を始める。そして、ヤンヤンにも幼い恋心が芽生えようとしていた…。

その時、私たちは気づくはずだ。殺伐としていた自分の心がこの映画によって癒やされ、潤いを取り戻していることを…。

現代の台北を舞台に、都市に住む人々の現実と彼らが直面する問題をみずみずしく、リアルに描いてきたエドワード・ヤン。2007年に59歳の若さでこの世を去った監督の最後の完成作である『ヤンヤン 夏の想い出』は、カンヌ国際映画祭監督賞ほか、米紙ニューヨーク・タイムズや英国のBBCが選ぶ21世紀の映画ランキングではベスト10に選出されるなど、世界中から絶賛された。

出演は、『恋恋風塵』『悲情城市』などホウ・シャオシェン作品や、エドワード・ヤンの長編デビュー作『海辺の一日』の脚本を担当したウー・ニエンジェンが一家の父NJを、『エドワード・ヤンの恋愛時代』ほか常連俳優であるエイレン・ジンが母ミンミンを演じた。また、日本のゲームソフトのデザイナー大田役でイッセー尾形が参加。映画では日本の熱海も重要な舞台になっている。

私たちの身の回りに存在する、ごく日常的な人生の出来事。若くても、年老いていても、人は問題を抱え、自分と向き合う過程は同じであり、それはとても難しいことなのだ。監督は、ヤンヤンが人の背中の写真を撮る行為を象徴的に描く事により、人には見えない、もう一つの側面を切り取って見せている。

“人生で起きるいくつかのことは、数字の1+2と同じくらいとても簡単である。1980年に仏リベラシオン紙が世界の映画監督達に問うたシンプルな質問を思い出す。「あなたは、なぜ映画を撮るのですか?」私の答えは「多くを語らなくてすむから」

映画監督が語る最高の言葉とは、映画の表面ではなく、多分内側に存在するもののはずだ。この映画は人生における1+2と同じくらいに、とてもシンプルである。私はこの映画を見終わった観客が、まるでただの友達と一緒にいたかのような気分を味わっていて欲しいと思う。もし彼らが、「一人の映画監督」に出会ったような印象を持って映画を見終わったとしたら、私はこの映画は失敗作であったと思う。”

―――(エドワード・ヤン 2000年4月9日 台北にて)