ミ・ナミ
時間って何だろう?
それは私たちの足かせでもありながら、傷口を癒すよりどころにもなります。思うに時間の性質は、経過とつき合うことでこそ価値を生むものであり、結果よりプロセスを可視化する映画という芸術と分かちがたく結びついているようです。
今週上映の韓国映画は、人間同士がかかわってゆく過程や交わす関係を時間とともにていねいに見せていきます。5年間一度も夫から離れたことがない主人公が初めて旅をし、友達とくり広げる日常会話からこぼれ落ちる女性の感情を緻密にすくい取った『逃げた女』。人生の崖っぷちにいる主人公にふいにおとずれる夢想の瞬間をチャーミングにとらえた『チャンシルさんには福が多いね』。人が生きていくことの哀歓をユーモアと繊細さで描いた『春の夢』。今週上映される3本に宿る時間のリズムはおだやかで、私は時間と映画の優しい関係を見出します。時間をかけてにじみ出る感情はあやふやで形がないものですが、芳醇な銘酒のように言い知れぬ幸福感で包んでくれるのです。
嬉しいことに、季節は秋になりました。高い空と長い夜は、私たちの呼吸をいつもよりゆったり感じさせてくれて、ロングテイクで撮影してくれているみたいです。まどろみの隙間から顔を出す詩情の愛おしさを心ゆくまで味わってください。
チャンシルさんには福が多いね
Lucky Chan-sil
■監督・脚本 キム・チョヒ
■撮影 チ・サンビン
■編集 ソン・ヨンジ
■音楽 チョン・ジュンヨプ
■主題歌 イ・ヒームーン
■出演 カン・マルグム/ユン・ヨジョン/キム・ヨンミン/ユン・スンア/ペ・ユラム
©KIM Cho-hee All RIGHTS RESERVED/ ReallyLikeFilms
ほんとうは あなたのまわりには 福がいっぱい
仕事だけが生きがいだったアラフォーチャンシルさんの人生に、突然のエンディングロール!? ずっとプロデューサーとして支えてきた映画監督が、打ち上げ宴会中に心臓発作で急死。これを機に失職して、何もかも失ってしまったチャンシルさん。映画だけに捧げてきた人生、気がつけば男も子供も家もなし、もちろん青春なんていまいずこ。そんな八方塞がり、アラフォー女子のチャンシルさんに、ある日突然、思わぬ恋の予感が…。
くすくすおかしくて、じわじわしみる… ホン・サンス監督のプロデューサーとして活動してきたキム・チョヒ監督長編デビュー作!
ずっと好きなことに邁進していたのに、急にすべてを失ってしまった主人公のチャンシル。世間から花盛りと呼ばれる時期を過ぎて人生のはしごを外されたような状況でも、観客にチャンシルを「哀れな存在」のようには印象づけません。それはキム・チョヒ監督が、人間の成長を常に信用しているからと、何より心から映画を愛しているからではないでしょうか。作り手の映画愛が存分に注ぎ込まれた本作品の存在そのものが、先人へのオマージュであるかのようです。
タイトルは、彼女が撮影中に口をついて出た独り言がきっかけだったそうです。たとえ日々に悲劇があっても、自分自身が生きてゆくなかで多くの感情に触れ、受け取ることこそがありあまる幸福を手にできるとこの映画は教えてくれます。(ミ・ナミ)
逃げた女
The Woman Who Ran
■監督・脚本・編集・音楽 ホン・サンス
■撮影 キム・スミン
■出演 キム・ミニ/ソ・ヨンファ/ソン・ソンミ/キム・セビョク/イ・ユンミ/クォン・ヘヒョ/シン・ソクホ/ハ・ソングク
■第70回ベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)受賞
© 2019 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved
ひとりになって 見えてきたもの。
ガミは、5年間の結婚生活で一度も離れたことのなかった夫の出張中に、ソウル郊外の3人の女友だちを訪ねる。バツイチで面倒見のいい先輩ヨンスン、気楽な独身生活を謳歌する先輩スヨン、そして偶然再会した旧友ウジン。行く先々で、「愛する人とは何があっても一緒にいるべき」という夫の言葉を執拗に繰り返すガミ。穏やかで親密な会話の中に隠された女たちの本心と、それをかき乱す男たちの出現を通して、ガミの中で少しずつ何かが変わり始めていく。
ホン・サンス×キム・ミニ 7度目のタッグで描く、揺れ動く女性心理
焼けた肉の美味しさ。自分と夫の密な関係。ある男性との抜き差しならない関係。できれば忘れたい恋愛の記憶。そして突如“逃げた”という、近所の女性についての話。この映画に登場する女性たちが交わすのは、すべて自分の半径5mくらいで起こる些末な出来事ですが、その語りは単なるつまらなさとは全く違う場所に私たちを連れて行ってくれます。それは彼女たちの会話の端々で“女性の感情”という手垢のついた言葉からは異なる息づかいが、単純な筆致によってそのまま映しとられているからなのです。
「人に会うと、しなくてもいい話をしなければいけないから」と主人公ガミは口にしながらも、誰かに会うことをやめず、話を聞き、語らいます。そこに言語化されない人間の本質をレンズでみつけるのが、ホン・サンスの絶妙なタイミングの魔術ではないでしょうか。ちなみにこの映画のキム・ミニの食べっぷり、実に気持ちがいいです。(ミ・ナミ)
【特別レイトショー】春の夢
【Late Show】A Quiet Dream
■監督・脚本 チャン・リュル
■撮影 チョ・ヨンジク
■編集 イ・ハクミン
■音楽 ペク・ヒョンジン
■出演 ハン・イェリ/ヤン・イクチュン/ユン・ジョンビン/パク・ジョンボム
■第21回釜山国際映画祭オープニング上映
©2016 LU FILM, ALL RIGHT RESERVED
バカみたいな夢をみた。
街をうろつくだけで稼ぎのないチンピラ、イクチュン。北朝鮮出身のジョンボムは給料もろくに貰えずクビになった。金持ちだが少し頼りない大家のジョンビン、そしてこの男たちのマドンナ的存在のイェリは寝たきりの父親の看病のため居酒屋を営んでいる。オアシスみたいなイェリの店に入り浸る3人の男たち。ある日見知らぬ男が店にやってくる。
まだまだ夢から醒めない大人の青春映画
この映画のことを思うと、どうしても私は涙をこらえることができません。チャン・リュル監督の映画は、いつも暖かな光があふれながらも人間の一番深いところにあってほどけない悲しさややりきれなさを露わにするのです。それは普段は気づかないけれど、ある瞬間にハッと夢から覚めたようにして目の前に現れます。そうした監督の手並みの見事さは初期作から一貫していましたが、近年は特に冴えわたるように感じます。
『春の夢』でいつもつるんでいる“3バカ”と、彼らの永遠のマドンナによる他愛のないやり取りからはユーモアがあふれ出ていますが、モノクロームでとらえられたルックは現世ではない場所とつながっているような浮遊感があります。それがまるでとり残されたようなさびしさを感じさせて、私は胸が痛くなるのです。
(ミ・ナミ)
チャン・リュル監督全監督作品解説↓
(『慶州(キョンジュ) ヒョンとユニ』オフィシャルページより)
https://apeople.world/gyeongju/filmography.html