1920年1月20日、イタリア・リミニ生まれ。新聞記者やイラスト描き、ラジオ台本作家など様々な職業を経て映画界へ。
45年ロベルト・ロッセリーニ監督の依頼で『無防備都市』の脚本に参加、以後はネオリアリズモ系脚本家として高く評価される。50年にアルベルト・ラトゥアーダと共同で『寄席の脚光』を演出し、監督業に進出。『道』(54)で世界的に名を知られ、カンヌ国際映画祭パルムドール受賞の『甘い生活』(60)とアカデミー外国語映画賞受賞の『8 1/2』(63)で巨匠としての座をゆるぎないものにした。
以後も『サテリコン』(69)や『フェリーニのアマルコルド』(73)、『女の都』(80)などで絢爛で圧倒的な映像世界を作り上げた。キューブリック、ウディ・アレン、デヴィッド・リンチ、北野武や黒沢清など世界中の映画作家・クリエイターが影響を公言する、20世紀映画史上最大の巨匠のひとり。93年、心臓発作のため逝去。
・寄席の脚光('50)
・白い酋長('52)
・青春群像('53)
・道('54)
・崖('55)
・カビリアの夜('57)
・甘い生活('60)
・ボッカチオ'70('62)
・8 1/2('63)
・魂のジュリエッタ('65)
・世にも怪奇な物語('67)
・サテリコン('69)
・フェリーニの道化師('70)
・フェリーニのローマ('72)
・フェリーニのアマルコルド('73)
・フェリーニのカサノバ('76)
・オーケストラ・リハーサル('78)
・女の都('80)
・そして船は行く('83)
・ジンジャーとフレッド('85)
・インテルビスタ('87)
・ボイス・オブ・ムーン('90)
※監督作のみ
フェリーニといえば『道』や『8 1/2』といった映画ファンなら誰もが通過する「名作」を撮った大監督。ですが、当然ながらそれだけがフェリーニの全てではありません。70年代以降、フェリーニはチネチッタ・スタジオのセットをフルに活用し、人工的な色彩を生かした絢爛で幻想的な映像世界をより極めていきます。
記録的な事実と妄想とが混然一体と語られる青春期の自伝的映画『フェリーニのアマルコルド』はその時期の代表作です。四季の移ろいや当時の街並みを徹底的にセットで作りあげる映像美は、奔放なスタイルにも関わらず、ノスタルジックでやさしい語り口もあいまって観客を飽きさせません。まさに円熟期のフェリーニだからこそ許されたゴージャスな「私映画」。イタリア中から集めた素人俳優たちの味のある存在感も素晴らしく、もともとコミック好きでイラスト描きをしていたフェリーニの素質が存分に発揮されています(このあたりのセンスには、本作をオールタイムベストに挙げるウディ・アレンの名作『アニー・ホール』への影響が濃厚に感じられます)。
一方、『フェリーニのカサノバ』は『フェリーニのアマルコルド』以上に贅を凝らした豪華絢爛な大作歴史絵巻ですが、全体を支配しているのは奇妙な寂寥感です。本作はやや不幸な成り立ちの映画です。大プロデューサーのディノ・デ・ラウレンティスの持ち込み企画ながら主役のカサノバを好きになれないフェリーニとは意見が対立し、ラウレンティスは降板。その後もフェリーニの完璧主義のために製作費は膨れ上がり、プロデューサーがさらに交代するなどトラブル続きの末に日の目を見たものの、興行的には失敗し批評的にも賛否を呼ぶ結果となってしまったのです。
とはいえ、計算しつくされた猥雑かつ典雅な様式美と、カサノバの行動を昆虫でも観察するように突き放して描く眼差しとのコントラストから生まれるクールなペシミズムは、全体的にほんわかした作品の多い後期フェリーニ作品の中では一際忘れがたいものです。また、フェリーニには常に辛口だった蓮實重彦先生が珍しく絶賛した映画でもあります(「映画 誘惑のエクリチュール」所収「フェリーニの『カサノバ』または機械の孤独」)!他のフェリーニ作品との違いを意識しながら観ると、さらに深く楽しめると思います。
フェリーニのカサノバ
IL CASANOVA DI FEDERICO FELLINI
(1976年 イタリア/アメリカ 155分 ビスタ)
2018年12月8日-12月14日上映
■監督・原案 フェデリコ・フェリーニ
■脚本 フェデリコ・フェリーニ/ベルナルディーノ・ザッポーニ
■撮影 ジュゼッペ・ロトゥンノ
■編集 ルッジェーロ・マストロヤンニ
■美術・衣装デザイン ダニロ・ドナティ
■音楽 ニーノ・ロータ
■出演 ドナルド・サザーランド/サンドラ・エレーン・アレン/マルガレート・クレメンティ/カルメン・スカルピッタ/シセリー・ブラウン/クラレッタ・アルグランティ/ハロルド・イノチェント/ダニエラ・ガッティ/クラリッサ・ロール/ティナ・オーモン/マリー・マルケ
■1977年アカデミー賞衣装デザイン賞受賞・脚色賞ノミネート
FELLINI'S CASANOVA © 1976 Alberto Grimaldi Productions S.A. All Rights Reserved.
18世紀中盤のヴェネチア。カーニバルの喧噪の中、仮装して人々の中に交っていたカサノバは、見知らぬ女から手紙を受け取った。それはマッダレーナという尼僧からの呼び出しの手紙だった。指定の場所に着くと、マッダレーナはカサノバをフランス大使の別荘ヘと案内する。実は彼女は大使の情婦で、“のぞき”趣味の大使のためにカサノバとの情事を披露しようとしたのだ。期待に応えたカサノバは、大使の賞讃を得るのだが、その帰りに宗教裁判所の審問官に逮捕され、邪悪な書物を保持しているという理由で鉛屋根の牢に留置されてしまう…。
冒頭の謝肉祭から、ラストシーンで燃えるように激しいカサノバの眼に映るベネチアの夢まで、2時間34分に流れる十数シーンが、そのどれひとつとっても普通の長編映画に比肩する巨匠フェリーニの空前の超大作。米評論家ジョン・ハディーは『8 1/2』の主人公グイドが作ろうとしていた夢の超大作がこの『カサノバ』だという。
主人公のカサノバは世紀の色事師、漁色家、性豪として名を馳せた18世紀ヨーロッパに実在した自由人・冒険家だ。彼の晩年の大著<回想録>は、いわばカサノバの自作自演の冒険物語だが、フェリーニは「あんな本は電話帳と変わらない」と宣言し、カサノバ神話に敵意を燃やして映画化にかかった。
主演に決定した時のドナルド・サザーランドのエピソードが有名だ。彼はロンドンで<回想録>を読破し、その全巻を鞄にいれてチネチッタに着いたが、たちまち本をとりあげられ、前頭部をきれいに剃られ、大きなつけ鼻につけ顎で、素顔を見失うほどになってすっかり観念する。これはフェリーニのカサノバだと。
「この映画でどんなことをしたかったかというと、映画の究極的な本質、私に言わせれば、フィルム・トターレ(全体的な映画)へと大きく近づくことだった。1本の映画で1つのシーンを撮る。(中略)理想の映画は、ただひとつのイメージが、それが永久に固定されうるものでありながら、とどまることなく豊かな連続した動きで生きつづける、そんなひとつのイメージで成り立つ映画だ。」
――フェデリコ・フェリーニ
<1980年公開時のパンフレットより一部抜粋>
フェリーニのアマルコルド
AMARCORD
(1973年 イタリア/フランス 125分 ビスタ)
2018年12月8日-12月14日上映
■監督・脚本 フェデリコ・フェリーニ
■原案・脚本 トニーノ・グエッラ
■撮影 ジュゼッペ・ロトゥンノ
■編集 ルッジェーロ・マストロヤンニ
■音楽 ニーノ・ロータ
■出演 ブルーノ・ザニン/プペッラ・マッジオ/マガリ・ノエル/アルマンド・ブランチャ/チッチョ・イングラシア/ナンデーノ・オルフェイ
■1975年アカデミー賞外国語映画賞受賞/1976年アカデミー賞監督賞・脚本賞ノミネート/1975年ゴールデングローブ賞外国語映画賞ノミネート
© 1973 - F.C. PRODUZIONI S.R.L - PROCUCTIONS ET EDITIONS CINEMATOGRAPHIQUES FRANCAISES.
“春一番”の吹いた日の夜、ここ北部イタリアの小さな港町では町中の人々が広場に集い、訪れる春を祝って歌い踊り、騒ぎ明かしていた。賑やかな家族と暮らす15歳の少年・チッタは、学校の悪ガキたちといたずら三昧の生活を送っていた。チッタは高級娼婦・グラディスカに憧れを抱きあとを追い回しているが、彼女はチッタのことを子供扱い。一方チッタの父は、ファシズムに反対して拷問を受け、伯父は精神病院に入れられるなど一家には不幸が続き…。
タイトルの<アマルコルド>というのは、フェリーニの故郷である北部イタリアのリミニ地方の、今はもう死語になっている方言で、“エム・エルコルド”(私は覚えている)という言葉がなまったもの。そしてこれがこの映画を如実に物語っている。タイトルの意味が示す通り、この映画は1930年代の、フェリーニにとって忘れ得ぬ一年間の物語である。
その一年間にフェリーニの分身である少年チッタはさまざまな別れを体験する。優しかった母との死別、憧れた美しい年上の女との別れ、そしてやがて来る楽しい学校生活との別れ、親しい町の人々との別れ、懐かしいリミニの町との別れ、さらに<少年フェリーニ>自身との別れを詩情をこめてスクリーンに写しだす。だがその感動的な<別れ>を基調に描きながら、そこにフェリーニは自身の人生への力強い旅立ちを見事に感じさせている。
従来通り、ローマのチネチッタに巨大な野外セットを組んで撮影されたこの作品には巨匠フェリーニのすべてがある。それでいながら、これまでのフェリーニ作品に対して我々が抱きかけた難解さがない。彼は今、ここに自分の<サーカス>を我々すべての映画ファンのための<サーカス>として見せてくれる。これは1974年度イタリア国内の数々の映画賞を独占し、ヨーロッパ各地で大ヒットを記録した必見の名作である。
<1974年公開時のパンフレットより一部抜粋>