今週上映するのは、グルジアが生んだ戦後の代表的監督――テンギズ・アブラゼの大作『懺悔』、
そしてドイツの若き秀英――ファティ・アキン監督の最新作『そして、私たちは愛に帰る』の二本です。
『田園詩』のオタール・イオセリアーニや、『ざくろの色』のセルゲイ・パラジャーノフなど、
偉大な映画監督を輩出しているグルジア。“テンギズ・アブラゼ”という名前は日本ではあまり知られていないけれど、
グルジアでは重要な映画監督の巨匠として名を馳せています。
『懺悔』はモスクワで1985年に一般公開された際、最初の10日間だけで70万人以上の観客を動員。
その後ソビエト全土で公開されると、「パカヤーニエ(ロシア語題名)現象」と呼ばれるほどに社会的影響を及ぼし、
1991年のソビエト連邦解体にもつながる“ペレストロイカ(改革)”、“グラスノグチ(情報公開)”の象徴となりました。
これが、『懺悔』が“伝説的映画”と呼ばれる所以なのです。
一方、ファティ・アキン監督の『そして、私たちは愛に帰る』の舞台は、
アジアとヨーロッパの交差点として長い歴史と美しい文化を持つトルコと、
270万人ものトルコ移民が生活しているドイツ。二つの国の間で三組の親子が出会い、
すれ違い、別れ、交差してゆくこの作品には、トルコとドイツが持つ社会問題が背景にあります。
三組の親子に焦点を当てながら、彼らが生きている世界を炙り出す…。
映画を通して、トルコが、ドイツが、そして世界が現れてきます。
世界を変えた映画と、これからの世界を担う映画監督の最新作。
それぞれの世界に、触れてみてください。
そして、私たちは愛に帰る
THE EDGE OF HEAVEN
(2007年 ドイツ/トルコ 122分 ビスタ/SRD)
2009年7月11日から7月17日まで上映
■監督・脚本 ファティ・アキン
■出演 バーキ・ダヴラク/ハンナ・シグラ/ヌルセル・キョセ/トゥンジェル・クルティズ/ヌルギュル・イェシルチャイ/パトリシア・ジオクロースカ
■2007年カンヌ国際映画祭最優秀脚本賞、全キリスト協会賞/2007年アンタルヤ・ゴールデン・オレンジ映画祭最優秀監督賞、最優秀編集賞、最優秀助演男優賞(トゥンジェル・クルティズ)、最優秀助演女優賞(ヌルセル・キョヒ)、審査員特別賞/2007年シネマニラ国際映画祭リノ・ブロッカ賞(ファティ・アキン)/2007年ヨーロッパ映画賞最優秀脚本賞/2008年バヴァリアン・フィルム・アワード最優秀監督賞/2008年ドイツ映画賞最優秀監督賞、最優秀編集賞、最優秀脚本賞、最優秀長編映画賞/2008年ドイツ映画批評家協会賞最優秀編集賞/2008年リバー・ラン国際映画祭最優秀女優賞(ハンナ・シグラ)、最優秀長編映画賞、最優秀脚本賞
■オフィシャルサイト http://www.bitters.co.jp/ainikaeru/
ドイツ、ブレーメン。妻を亡くして独り暮らしをしているアリは、街で出会った娼婦イェテルに、月々の手当を支払うことを条件に共に暮らそうと依頼する。
アリの一人息子で大学教授をしているネジャットは、そんな父親を良く思っていない。だが、イェテルが娼婦として稼いだ金の大半を、トルコで大学に通っている娘の教育費として送金しているのを知り、イェテルに親しみを覚える。
しかし、突然訪れるイェテルの死によって、父と息子の距離はさらに遠のいていく。ネジャットはイェテルがトルコに残してきた娘・アイテンを探すためにイスタンブールに渡るが、アイテンは既にトルコを離れ、ドイツに渡っていた。
政治活動家のアイテンは、ハンブルグでドイツ人学生・ロッテと知り合う。アイテンに魅力を感じたロッテはアイテンを家に連れ込むが、ロッテの母・スザンヌは反抗的な態度のアイテンと衝突を繰り返すのだった。
そんなある日、アイテンは不法滞在で逮捕されてしまう。政治的亡命の申請は却下され、アイテンはトルコに強制送還、投獄された。ロッテはすべてを捨ててもアイテンを救おうと決意し、イスタンブールに向かう。ドイツ、トルコ――2000キロに渡って、3組の親子の運命がからみあってゆく――。
トルコ系移民二世として73年にドイツに生まれ、ドイツとトルコの国と文化に挟まれて育ってきたという経験を持っているファティ・アキン監督。本作について、「ドイツ人として、スザンヌとロッテはヨーロッパ連合を代表し、イェテルとアイテンはトルコを代表する。彼女たちの間で起こるすべてのことは、ヨーロッパ連合とトルコの関係を表している。」と語っています。
本作は、関係に問題を抱えた三組の親子の、それぞれが辿る再生への道を描いています。大切なものを喪失した人々が、そのあと、どのように歩んで行くか――。登場人物が世界の関係を表してもいるということと同じように、映画は世界との向き合い方を描いているような気がします。
懺悔
MONANIEBA / REPENTANCE
1984年 ソビエト(グルジア) 153分 SD/MONO
2009年7月11日から7月17日まで上映
■監督・脚本 テンギズ・アブラゼ
■脚本 ナナ・ジャネリゼ/レゾ・クヴェセラワ
■出演 アフタンディル・マハラゼ/ゼイナブ・ボツヴァゼ/ケテヴァン・アブラゼ/エディシェル・ギオルゴビアニ
■1987年カンヌ国際映画祭審査員特別大賞、国際批評家連盟賞、キリスト教審査員賞/1987年シカゴ国際映画祭審査員特別賞/1988年NIKA賞(ソ連・アカデミー賞)作品賞、監督賞、主演男優賞、撮影賞、脚本賞、美術賞
■オフィシャルサイト http://www.zaziefilms.com/zange/
台所で、教会を形どったケーキを作る女性、ケテヴァン。傍らで新聞を読んでいた男が叫んだ。「素晴らしい人が死んでしまった!」――ケテヴァンが新聞を覗くと、そこには満面の笑みをたたえた、ヴァルラム・アラヴィゼの写真があった。
ヴァルラムの葬儀には次々に弔問者が訪れ、誰しもが彼を称えた。だが葬儀の次の日、事件は起こる。朝、ヴァルラムの息子・アベルと妻のグリコが吠えたてる犬の声に目覚めると、掘り起こされたヴァルラムの遺体が庭の樹木に寄り掛かっていた。
その後二度も同様の事件が起こったため、アベルは墓に柵を取り付けて犯人を待ち伏せする。犯人の捜索にはアベルの息子・トルニケも参加していた。とうとう犯人が現れ、トルニケが撃った銃弾が犯人の肩に命中した。墓を暴いた犯人は、ケテヴァンだった。
裁判が行われ、端麗な服装に着飾ったケテヴァンが法廷に現れた。自分の行為を認めたものの、それは「罪」ではないと言い張るケテヴァン。「私が生きている限り墓地で眠らせません。ヴァルラムは私にとって忘れえぬ不幸と苦悩の源泉なのです。」
ケテヴァンは静かに語り始めた。それはケテヴァンが8歳の頃のこと。ケテヴァンは画家である父・サンドロ、美しい母・ニノと共に幸せな生活を送っていた。しかし、サンドロが文化遺産である老朽化した協会の修復をヴァルラムに申請したことを機に、生活に不穏な空気が忍び寄り始める…。
映画では架空の都市を舞台に、独裁者と、その独裁者に苦しめられ翻弄される市民、そして彼らの未来が映し出されます。その合間に編みこまれるのは、白昼夢のような幻想的な映像と、ユーモア。遺体が何度も掘り起こされて木に寄りかかっていたり、裁判中に検事がルービックキューブを手の中で遊ばせていたり…不穏な雰囲気が全体を覆うなかで、ときどきくすっと笑ってしまいます。社会的なテーマを扱っていながらも、決して深刻なだけに陥らず、だけれどきちんと芯が通った強さを保ち続けている。そこに監督の技量を感じます。
『懺悔』は、『祈り』(1969年)、『希望の樹』(1977年)に続く、懺悔三部作の最終章です。本作は1992年に岩波ホールの「自由と人間」国際映画週間のオープニング作品として一度だけ上映されただけで、劇場公開はされませんでした。原因はソビエトの検閲のため、そして、世界配給権を買ったアメリカの配給会社が“儲からない”と判断し、日本での公開が見送られたためだと言います。
(※ソビエトの検閲は厳しく、国家にとって不利益だと判断された作品は上映禁止とされます。ソビエト出身のアレクサンドル・ソクーロフ監督の作品は1986年のペレストロイカまで上映禁止にされ、そのために日本で彼の作品が観られるようになったのは1992年以降だそうです。)
そうした受難のために長らく幻の映画とされていた『懺悔』は、製作から20余年経った2009年、ようやく日本公開されるに至りました。岩波ホール総支配人の高野悦子氏を始めとした方々の尽力がなければ、わたしたちがこの先、『懺悔』を観ることができる機会は得られなかった可能性は大きいでしょう。テンギズ・アブラゼ監督とのやりとりなど、日本公開までの詳しい背景はパンフレットに記載されているので、ぜひ読んでみてください。
映画は作る人々がいて、またそれを観客に届ける人々がいる。『懺悔』を観て作品に触れ、改めてその仕事への感謝の心得を忘れてはいけないと思い直しました。もちろん映画の主役は映画そのものだけれど、『懺悔』の日本公開に携わった方々に感謝せずにはいられません。
(sone)