現在37歳のジャ・ジャンクー監督は、中国山西省の小さな田舎町・汾陽〔フェンヤン〕生まれ。27歳のときに北京電影学院の卒業制作として監督した16mm長編劇映画『一瞬の夢』が、卒業制作にも関わらず98年ベルリン国際映画祭<フォーラム部門>でのプレミア上映、ヴォルフガング・シュタウテ賞(最優秀新人監督賞)の受賞、さらにプサン国際映画祭、バンクーバー国際映画祭、ナント三大陸映画祭で連続してグランプリを獲得するなどし、世界の注目を集めた。

一瞬の夢
小武 XIAO WO
(1997年 中国・香港 108分)
2008年5月10日から5月16日まで上映 ■監督・製作・脚本 ジャ・ジャンクー
■撮影 ユー・リクウァイ
■出演 ワン・ホンウェイ/ハオ・ホンジャン/ズオ・バイタオ

■1998年ベルリン国際映画祭最優秀新人監督賞・最優秀アジア映画賞受賞/1998年プサン国際映画祭グランプリ受賞/1998年ナント三大陸映画祭グランプリ受賞ほか

■オフィシャルサイト http://www.bitters.co.jp/filmbook/xiao/xiao_top.html

ジャ・ジャンクーの出身地で撮影が行われた本作『一瞬の夢』は、ジャ・ジャンクーが二年ぶりに帰郷したことが撮影に挑むきっかけとなったという。久しぶりに帰ったとき、故郷の人々の生活の変化を感じたジャ・ジャンクーは、そのとき感じたことを「映画にする必要がある」と考えたのだろう。

スリを行って生計を立てている青年・小武(シャオウー)。かつてのスリ仲間だったヨンは青年実業家として成功したが、小武を結婚式に呼ぼうとしない。そのことを知った小武は祝い金を渡そうとヨンの家へ行くが、結婚式に呼ばなかった言い訳をするヨンに対しスリで作った祝い金を投げつけて去る。翌日、カラオケ・バーで働く女性・メイメイと出会う小武。スターになるという夢に破れてカラオケ・バーで歌うメイメイに心を開く小武は、一瞬の夢を見る。

小武は成功することを夢見つつも、現状を乗り越えられずにいる。友人に真っ当な道を歩むように言われもするが小武の耳には届かない。そんな小武の姿は、頑なに前進を拒んでいるように見える。しかし、小武にもとうとう現実に向き合わなければならないときがくる。彼と私達、当事者と観客の関係が揺らぐとき、見物している立場にいた私達はスクリーンのなかに引き込まれていく。

本作の制作はインディペンデントの立場で開始され、中国の検閲を受けずに完成した。本作が日本で公開されたとき、中国ではまだ公開の目処が立っていなかったという(現在の上映状況は不明)。中国が抱える問題である生活格差、失業者と犯罪者の増加(これらは日本の問題でもある)…中国の現状を捉えた映画が上映されないというのは、なんと悲しいことだろう。制作から10年。10年という年月は、思うよりも何かを変えることができないのかもしれない。

『一瞬の夢』(1998年)、『プラットホーム』(2000年)、『青の稲妻』(2002年)、『世界』(2006年)。そのいずれにおいても、中国の現在を撮り続けてきたジャ・ジャンクー。最新作の『長江哀歌』では、長江・三峡ダムの建設によって故郷を追い出される人々、生活のために危険を冒して働く労働者、音信不通の愛するひとを探すふたりの男女―――中国に横たわる広大な運河・長江と、そのほとりに生きる人々の、鮮やかな日常を淡々と描き出した。


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長江哀歌
三峡好人 / STILL LIFE
(2006年 中国 113分)
pic 2008年5月10日から5月16日まで上映 ■監督・脚本 ジャ・ジャンクー
■撮影 ユー・リクウァイ
■出演 チャオ・タオ/ハン・サンミン/ワン・ホンウェイ/リー・チュウビン/マー・リーチェン

■2006年ヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞
■オフィシャルサイト http://www.bitters.co.jp/choukou/

中国の古都、奉節(フォンジェ)。二千年の歴史を持つ大河・長江の景勝の地である三峡は今、ダム建設により永遠に返らぬものになろうとしている。炭鉱夫のハン・サンミンは、16年前に別れた妻子を探すため山西省からやってきた。妻が昔住んでいた場所に行ってみるが、そこはすでに三峡ダム建設のために水の底に沈んでいた。サンミンは三峡の街、奉節(フォンジェ)に部屋を借り妻子を探すことに。

そしてもうひとり、愛するひとを探す人物がいる。2年間音信不通の夫を探しに山西省からやってきたシェン・ホン。夫グォ・ビンが働いているはずの工場へ行ってみるが、夫の姿はなく荷物だけが残っていた。シェン・ホンもまた、奉節に留まり夫を探し始める。

印象に残るのは、浅葱色の山々や大河・長江だけではない。淡い光が照らす霧と、無造作に置かれた空き瓶、生活者の食事のシーン、街の喧騒、遠くから聞こえる音、そこらじゅうから聴こえてくる歌声と音楽。それらが鮮やかに「生活」を形作る。迫り来る終わりのときを前にした、穏やかな日常。歴史とともに思い出も故郷も、何もかも破壊されようとしている。先の見えない不安を抱いたまま人々は、それでも笑みを絶やさない。

『長江哀歌』の景色や音楽が私達のこころにすっと入ってくるのは、同じアジアの国だからというだけではなく、その日常の色というか、温度が似ているせいかもしれない。ふと思い出すのはわたしがまだ幼い頃の、例えば夏の昼下がり。台所の勝手口から差し込む光と風、屋根をたたく突然のにわか雨。立ち上る砂埃。木々が揺れる音。わたしはわたしの生活を思い出す。世界に何が起ころうと、黙って見つめていた遠い昔のこと。

山峡ダムは予定より工事が進み、早ければ2008年に完成する見込みである。住む場所を奪われた人々は新しい世界に向かわなければならない。

ちなみに、『長江哀歌』には現実離れした場面が時折挿入される。不思議なことに、“現実ではない”瞬間に立ち会うと、私たちは途端に現実に引き戻されるようだ。我に返り、辺りを見回す。いま目の前で起きたことは何だったのだろう、と考える。ジャ・ジャンクーが「三峡の美しい風景とあまりにそぐわないので、飛んでいって欲しいと思い、あのようなシーンを作りました」と言っている場面があるのだが、何のことかは、観てからのお楽しみ。

(木々)


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