プロヴァンスの贈りもの
A GOOD YEAR
(2006年 アメリカ 118分)
2008年3月29日から4月4日まで上映
■監督 リドリー・スコット
■原作 ピーター・メイル
■脚本 マーク・クライン
■出演 ラッセル・クロウ/マリオン・コティヤール/アルバート・フィニー/フレディ・ハイモア/アビー・コーニッシュ/ディディエ・ブルドン/トム・ホランダー
陽光ふりそそぐプロヴァンス。豊穣なる土地から極上のワインが生まれるように、思いがけない休暇から、とびきりの恋が生まれた。イギリスのロンドンで超多忙な毎日を送るマックス。南仏プロヴァンスでレストランをきりもりするファニー。二人は、マックスが遺産相続のために、亡くなったヘンリーおじさんのプロヴァンスにあるシャトーを訪れたことから、運命的な出逢いをはたすのだが…。
監督のリドリー・スコットといえば、『ブレードランナー』に『エイリアン』に…。そう、間違いなく「あっち系」の巨匠だったはずなのに、ここにきてこの方向転換振りはどうだろう。きっと彼も疲れていたに違いない…、美しいプロヴァンスの陽光に癒されたくでもなったのだろうか?などと邪推してしまうのは自分だけだろうか。
ことの発端は、リドリー・スコットが、タイムズ紙に「ブティック・ワインを1ケースにつき3万フラン以上で売っているぶどう園」の記事を見つけたことから始まる。ブティック・ワインとは、シャトー名も立派な系図もないのに、ワイン愛好家の間で莫大な値段がついている希少ワインのこと。スコットはピーター・メイル(「南仏プロヴァンスの12ヶ月」原作者)に相談を持ちかける。実はこの二人、かつて1970年代のロンドンの広告業界でともに仕事をしてきた、30年来の友人であった。こうして、ハリウッド資本にフランスの小粋さが効いた、爽やかな映画は生まれた。
「ほんの小さな出来事から、無意識的に膨大な過去がよみがえる───」
時間という目に見えぬ実体を追求した20世紀フランス文学の最高峰マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」。
マックスの叔父であるヘンリーはイギリス人でありながら、南フランスのプロヴァンスに住みつき、ワイン造りを楽しみながら人生を謳歌していた。それとは対照的に、表面的な豊かさのみを追い求めていたマックス。マックスの生き方は、プロヴァンスではぜんぜん“スマート”じゃない。“失われた時(le temps perdu=ル・タン・ペルデュ)”と、“失われた片隅(le coin perdu=ル・コワン・ペルデュ)”の名をもつワイン。マックスは、ファニーは、そして我々はなにを失って今ここにいるのだろうか。
「ここは僕の人生に向かない」
「違うわ。あなたの人生が、ここに向かないのよ」
ストーリーは確かに予想の範囲内での展開だ。しかし映画の「もうひとりの主人公」とも言える、プロヴァンスという豊穣なる土地の美しさに、息をのまずにいられない。溢れんばかりの日差し、乾いた空気、鼻をくすぐるラヴェンダーの香り。美食家をうならせるトリュフ、オリーブ、ジビエ料理、そしてワイン───。
「人は楽しむために生まれてきた」ああ、どうしてこんな単純なことを、我々は忘れてしまうのだろうか?
そろそろ春めいてきているこの季節、太陽の眩しさと美しい景色に酔いしれてはどうだろう。疲れた日常から解き放ってくれる、2時間のトリップを、早稲田松竹で。(mana)
エディット・ピアフ 愛の讃歌
LA VIE EN ROSE
(2007年 フランス・チェコ・イギリス 140分)
2008年6月14日から6月20日まで上映
■監督・脚本 オリヴィエ・ダアン
■脚本 イザベル・ソベルマン
■音楽 クリストファー・ガニング
■出演 マリオン・コティヤール/シルヴィー・テステュー/パスカル・グレゴリー/エマニュエル・セニエ/ジェラール・ドパルデュー
■2007年アカデミー賞 主演女優賞/2007年ゴールデングローブ賞 女優賞/英国アカデミー賞 主演女優賞/セザール賞 主演女優賞
あなたはエディット・ピアフという人をご存知だろうか。
本名はエディット・ジョヴァンナ・ガション。1930年代から活躍し、47歳に死去するまで歌を歌い続けたシャンソン歌手、その人である。名前を知らなくとも、きっと彼女の歌を聴いたことがあるはず。
この映画の原題でもある『バラ色の人生(LA VIE EN ROSE)』をはじめ、『水に流して(NON, JE NE REGRETTE RIEN)』、『ミロール(MILORD)』、『パダン・パダン(PADAM PADAM)』・・・そして、邦題に掲げられた『愛の讃歌(L'HYMNE A L'AMOUR)』。いずれもピアフが歌ったシャンソンだが、今なお世界中で歌い継がれている。
ここでは作品のあらすじをあえてお話ししないことにしよう。この作品はピアフの生涯を土台に作られたものだから。 彼女の人生に何が起きたのかを知りたいのならば、彼女の生涯が記録された年表を見ればいい。内面や思想を知りたいのならば、彼女が書いた自伝を読めばいい。 愛と情熱に触れたいのならば、彼女の歌を聴けばいい。この文章だって、彼女について語るには何の役にも立たない。
言葉では表現しきれないのだ。ピアフというひとを紹介するには。
それが出来うるのは、ピアフを等身大で演じ、まるでピアフそのものであるかのような存在感を発した、マリオン・コティヤールただひとりの存在以外にはない。
自伝映画というと、作る側も観る側も、どれだけ本人に似せられるか、リアルであるかということを重要視する場合が多い。マリオン自身も、ピアフに成りきるために特訓をした。しかしマリオンの演技はものまねを超え、ピアフに同化するまでに至った。 あまりにも有名で謎に満ちたエディット・ピアフという女性を演じるのは、さぞ難しかったであろう。マリオンに、"これこそが女優魂”と、まざまざと見せ付けられた気がした。
マリオン・コティヤールは、ピアフを演じたことについてこんな風に話している。
「…彼女の存在、言葉、声の出し方に至るまでが同化してしまい、まるで自分の中に彼女が存在しているかのようで、彼女と待ち合わせをするような感じだった!奇跡が起きた瞬間だったし、忘れられない経験になったわ。」
情熱の愛に生きたエディット・ピアフと、ピアフに成りきったマリオン・コティヤール。ふたりの人生を、ぜひこの映画で体験してほしい。(木々)